今年咲いた梨の花
時間は砂時計のようなものであるのかもしれない。
落ち往く砂は早く 残された砂は少なくなってきた。
老人にとっても
わたしとっても
残された砂のように 大切な時間である。
老人の顔に深く刻みこまれた皺、
節くれだった手指から、
わたしはなにを感じながら
なにを話すのでしょうか。
病院のなかで“臨床経験”という言葉をよく耳にする。
読んで字の如く「床に臨む」となり、
「床」つまりベッドに寝ている人は患者=病人であり、「臨む人」は医師や看護師である。
直訳すると ベッドで痛み苦しみを抱きながら病魔と闘っている患者に対し、
向き合っている医師、看護師は 何を為さねばならないのか。
介護の世界においても同じである。
ベッドは畳(たたみ)一畳の限られた時空間のなかで、
寝たきり老人は生活している。
ベッドに臥床(がしょう)している老人と目の前にしたとき、
わたしは どんな言葉をかけし 何を話しかけていくのだろうか。
十年間寝たきりのある老人がいた。
長い間家族から離れ そして友人が住む地域から離れ じっと耐え 生きてきた十年間。
明日のことより 今日 精一杯生きていくことだけを考え、
今日まで生かされてきた。
わたしには 時間がある?
あなたには 時間は残りすくない
わたしの時間を あなたにプレゼントする思いで
ゆっくりと あなたの傍で 話をしてたい