老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

469;生理的欲求と介護 ④ 「食べる」 ⅰ

2017-10-12 15:24:51 | 介護の深淵

  生理的欲求と介護 ④ 「食べる」

生理的欲求の1つである「食べる」とは。
人間にとり食べることは、生きることと密接な関係にある。
食べなければ、腹が減り、腹が減っても食べないで居続けると飢え死(餓死)となる。
人間に限らず、他の動物も同じであり弱肉強食の世界のなかで生存している。

食事が満足に出されず、空腹感や渇望感がある子どもや老人は
家庭以外の場所で食べ物が出されると、
他者の眼を気にすることなく貪り食べる様は、デイサービスの昼食風景でも見られる。
食事に飢えている子どもや老人は、ある意味では家族愛に飢えているような気がしてならない。
食を満たすことは、生命を紡ぐ上でも大切になってくる。

しかし、人間は腹を満たせば(満腹)、それで満足する動物かというと、そうではない。

「食」は、生活であり文化であり、
故郷(ふるさと)の味、おふくろの味が懐かしく、
東京の小料理や割烹では、故郷の料理や旬の食べ物を求めお客が暖簾(のれん)をくぐる。

仕事など自分が頑張ったとき、家族などの誕生祝い、嬉しいときなど
人間は外食や家庭ではご馳走を振るまったりして、食事を楽しんだり、食を味わったりする。
一人だけで食事は(どんなご馳走であっても)味気なく、箸も進まなくなる。
気の合った人たちと、食事するときは、美味しいし、楽しいく、満足感に浸れる。



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468;上手な介護サービスの活用処方 第24話「認定調査の項目」㉒

2017-10-12 11:14:11 | 上手な介護サービスの活用処方
 上手な介護サービスの活用処方 第24話「認定調査の項目」㉒

3-9 外出すると戻れない

1.ない
2.ときどきある
3.ある

「外出すると戻れない」行動の頻度を評価する項目である。
1.外出して一人で戻れないことが、過去1か月間に1度も現れたことがない場合や
ほとんど月1回以上の頻度で現れない場合をいう。

・意識障害、寝たきりなどの理由により、外出が起こりえない場合も含まれる
2.少なくとも1か月間に1回以上、1週間に1回未満の頻度で現れる場合をいう
3.少なくとも1週間に1回以上の頻度で現れる場合をいう

・「外出すると戻れない」行動とは、外出だけでなく、居室や居住棟から出て自室、自宅に戻れなくなる行動も含む
・現在、入所中で、ほぼ毎日のように、食堂や、他のフロアーなどに行くと、自分の居室がわからなくなり、
介護職員によって居室へ連れて行ってもらっているは、「ある」になる。

・ほぼ毎日、近所に散歩に出かけるが、月に1度程度、家に帰って来ることができないため、
近所の人が家まで送り届けてくれることがあるは、「ときどきある」になる。



認知症の症状があるか、ないか判断される調査項目である。
例えば、俗に言われる「徘徊」の行動とも関連し、目を離すと外へ出てしまい、家がわからなくなり大変なことになることから、
常に注意し家から出ないよう声掛けをなどをしている。
そのため、この1か月間「外出すると戻れない」は、「1.ない」の選択になってしまうと、何もなく平穏無事に生活されている、と思われてしまう。
その場合、認定調査員には、「1.ない」ではあるが、常に目を離せない状態にあり、いつも声掛けや所在の確認を行っている等、
手間がかかっていることは話されたほうがよい。
夕食時に外へ出ることが多く、そのため夕食づくりなかなか進まないことなど話されるといでしょう
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467;生理的欲求と介護 ③ 「生理的欲求と病める老人」

2017-10-12 00:36:59 | 介護の深淵
 生理的欲求と介護 ③ 「生理的欲求と病める老人」

赤ん坊は生まれたばかりの無力な存在にあり
《食べる》《排せつ》《睡眠》の3つの欲求は、
人間生きていく上で不可欠な欲求であったが、、
それは泣くことで母親などに助けを求めていた。

脳卒中等の病気や大腿骨骨折等の事故に遭遇した老人達は
赤ん坊と同じく自力で生きる力が損なわれた存在に置かれる。
「ひとりで生きることはできず」、「誰かの手を借り」なければならない。
そのような要介護老人は、「弱者」(好きな言葉ではない)に映り
ある意味では赤ん坊と似たような状態に在る。
しかし、赤ん坊と老人は似たような状態にあっても
老人は長い人生を過ごしてきた《生活史》があるだけに
赤ん坊以上に《プライド(誇り)》を持っている。
それは自尊心であり、
人間の生活に値するような《生理的欲求》が充たされているかどうかが、
大きなテーマとして問われてくる。

病気が因で手足・体が不自由になったり、認知症の症状が表出したとき
《食べる》《排せつ》《睡眠》の生理的欲求は、自力で行うことが困難になる。
明治・大正・昭和9年以前に生れた昭和一桁の老人達は、
度重なる戦争と貧困生活のなかで「忍従」の二文字で生き抜いてきた老人達の精神力は強い。、
(寝たきりや認知症を患ったとしても、「弱者」老人であるとは言い切れない一面もある)。

しかし、現実は誰かの手を必要とする老人達であることには変わりはなく、
特別養護老人ホームや老人保健施設などの介護施設やサービス付き高齢者住宅などで暮らしている老人達が居る。
《食べる》《排せつ》《睡眠》の3つが充たされている介護施設や高齢者住宅は、
質の高い施設ではないが、安心して老親を預けることができる施設であり、及第点がつけられる。
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