老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

477;生理的欲求と介護 ⑤ 「排せつ」 ⅰ

2017-10-18 00:16:47 | 介護の深淵
 生理的欲求と介護 ⑤ 「排せつ」ⅰ

生理的欲求の2つめは「排せつ」である
「排せつ」は「食べる」ことの意味とは違う意味で、
耐えられなく、辛いものを感じてしまう。
人間に限らずの他の動物も同じく、
食べたら必ずと言っていいほどオシッコやウンチ(「排せつ」)を出す。
これは我慢できるものではない。
筆者、23歳の頃の話で「ひと夏」の体験をしたことがあった。
上高地を散策していたときのことで
寒村のある蕎麦屋で食べた蕎麦が「当たり」
突然腹痛になり
少し間をおき次に襲ってきたのは
便意をもよおし、いまにも肛門括約筋が緩みになるのを堪え
早くトイレを見つけ駆け込みたい心境にになった。
片方の手は腹を抑え、もう一方の手は肛門を抑え抑え歩く。
探せど探せどなかなかホテルは見つからず
肛門括約筋は極限に達し、顔は青くなり冷や汗になってきた。
極限が切れる寸前に内装工事中のホテルが見つかり、
トイレになだれ込み入るや否や、下衣を降ろすと同時に「多量軟便と下痢」を排出。

神戸や東日本の大地震で一番困ったことのnumber1は「トイレ」であった。

口から食べ物を摂ると、必ず糞尿が出る。
出ないとそれは大変なことになり
生命(いのち)取りになり「糞死」しかねない。

老いてくると
爺さんより婆さんの方が、、
あたりかまわず、恥らいもなく、
立ちションを平然と用を足している。
これも恥らいよりも
自然の摂理が我慢できず
ところかまわずの行為に出てしまう。
それほど排せつは切実な行為なのかもしれない。



一部下品な表現があったことをお詫び申し上げます。
他に適切な言葉が見つからず、ただただ言葉不足を痛感します。