老いの風景〔4〕 「直立歩行と老人」
社会科(歴史)で習ったのかな
人間と猿の決定的な違いはどこか
直立歩行ができたことにある
猿だって歩くではないか、でも手と足の使い分けは完全ではなく、両手を着いて歩いている
猿で混乱するのであれば、人間と牛馬の違いは何か 直立歩行
直立歩行になったプロセスは省略させて頂く
人間は直立歩行になったことで
両手が自由になった。
自由に使える手は、石を掴み、採集した果実を打ち砕いたり
石に棒をつけるとハンマーになり、尖った石に棒をつけると槍になる
自由になった手で道具を作りだしていった。
エンゲルスが著した『猿から人間になるについての労働の役割』(大月書店 国民文庫)のなかで
猿から人間になったのは、労働が果たした役割の大きさと重要性を指摘している。
19のときにこの本に出会い、感激したものだった。若かったあの頃・・・・
赤ん坊の動作が目まぐるしく速いスピードで変化する
新幹線よりも速いスピードである
赤ん坊 仰向けから寝返り
寝返りの状態から這い這いをはじめ
這い這いから高這い
高這いからつかまり立ち
つかまり立ちから立つ(立位保持)
立位保持から歩く
個人差はあるが1歳2箇月前後には
歩けたときの乳児自身は大喜び 得意満面の笑顔
父親母親も大喜び 忘れられない人生の一場面である
立ち、歩く
これはヒトから人になったことを意味し
パノラマの世界になり
乳児にとり好奇心がさらに拡がっていく
歩けること
それは目的をもって行動することに連なる
目的もなしに人間は歩くことはない
歩けることにより
人間は自由に行きたいところへ行ける
堀川清子さんが再び歩けるようになり
「本当にうれしい」と洩らした言葉の真意は
人になれたこと
自由になった手でカートを押し
陳列棚から商品をつかみカゴに入れられたこと
歩けるから買い物ができた
清子さんにとって
一時は歩くことも諦めた
それは赤ん坊のとき以外に経験したことがなかった
おむつをつけそのなかにオシッコやウンチをし
おむつの交換も
他者のお世話になったこと
屈辱的な気持ちになり生きる気力も失せた
あとでそのような感想を漏らした
普段何気なく歩いている人にとり
歩けることがどんなに幸せかは気づきもしない
何かの原因で歩けなくなった老人は
そこではじめて歩けていたことがどんなに素晴らしかったことに
気づくのである
歩けることを目指し
人間の生活をとりもどそう(人間回復)と
頑張っている老人もいれば
諦めてしまい、手足だけでなく心まで拘縮してしまう老人もいる
歩ける可能性を秘めている老人の力を引き出すのは
ケア(看護、介護)にかかわる人たちの責任は大きい
何気ない赤ん坊の動作のなかに
寝たきりになった老人の動作を変革していくヒントがある
社会科(歴史)で習ったのかな
人間と猿の決定的な違いはどこか
直立歩行ができたことにある
猿だって歩くではないか、でも手と足の使い分けは完全ではなく、両手を着いて歩いている
猿で混乱するのであれば、人間と牛馬の違いは何か 直立歩行
直立歩行になったプロセスは省略させて頂く
人間は直立歩行になったことで
両手が自由になった。
自由に使える手は、石を掴み、採集した果実を打ち砕いたり
石に棒をつけるとハンマーになり、尖った石に棒をつけると槍になる
自由になった手で道具を作りだしていった。
エンゲルスが著した『猿から人間になるについての労働の役割』(大月書店 国民文庫)のなかで
猿から人間になったのは、労働が果たした役割の大きさと重要性を指摘している。
19のときにこの本に出会い、感激したものだった。若かったあの頃・・・・
赤ん坊の動作が目まぐるしく速いスピードで変化する
新幹線よりも速いスピードである
赤ん坊 仰向けから寝返り
寝返りの状態から這い這いをはじめ
這い這いから高這い
高這いからつかまり立ち
つかまり立ちから立つ(立位保持)
立位保持から歩く
個人差はあるが1歳2箇月前後には
歩けたときの乳児自身は大喜び 得意満面の笑顔
父親母親も大喜び 忘れられない人生の一場面である
立ち、歩く
これはヒトから人になったことを意味し
パノラマの世界になり
乳児にとり好奇心がさらに拡がっていく
歩けること
それは目的をもって行動することに連なる
目的もなしに人間は歩くことはない
歩けることにより
人間は自由に行きたいところへ行ける
堀川清子さんが再び歩けるようになり
「本当にうれしい」と洩らした言葉の真意は
人になれたこと
自由になった手でカートを押し
陳列棚から商品をつかみカゴに入れられたこと
歩けるから買い物ができた
清子さんにとって
一時は歩くことも諦めた
それは赤ん坊のとき以外に経験したことがなかった
おむつをつけそのなかにオシッコやウンチをし
おむつの交換も
他者のお世話になったこと
屈辱的な気持ちになり生きる気力も失せた
あとでそのような感想を漏らした
普段何気なく歩いている人にとり
歩けることがどんなに幸せかは気づきもしない
何かの原因で歩けなくなった老人は
そこではじめて歩けていたことがどんなに素晴らしかったことに
気づくのである
歩けることを目指し
人間の生活をとりもどそう(人間回復)と
頑張っている老人もいれば
諦めてしまい、手足だけでなく心まで拘縮してしまう老人もいる
歩ける可能性を秘めている老人の力を引き出すのは
ケア(看護、介護)にかかわる人たちの責任は大きい
何気ない赤ん坊の動作のなかに
寝たきりになった老人の動作を変革していくヒントがある