老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

473;生理的欲求と介護 ④ 「食べる」 ⅳ(終わり)

2017-10-14 16:34:57 | 介護の深淵
生理的欲求と介護 ④ 「食べる」 ⅳ(終わり) 

一杯の水

一杯の水(お茶 でも同じ)を
老人(お客様)に出すとき

個々の老人の特徴(特性)を覚えておく
初めての老人に対しては、「細かく聴くこと」

「冷たい水」がいいのか
「ぬるま湯」がいいのか
「お湯」がいいのか
また、最近(今日、昨日・・・)お腹が痛くなかったか
下痢はしていなかったか
猫舌なのか
などなど 細かく聴くことが大切。

ただ水を出すのではなく、


韓国ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』第4話「母の教え」のなかで
ハン尚宮(さんぐん)は、チャングムに話す。

水でも器に盛られた瞬間から料理になること。食べる人への配慮が一番だということ。
“料理は人への気持ち”である。


472;生理的欲求と介護 ④ 「食べる」 ⅲ

2017-10-14 10:00:40 | 介護の深淵
秋桜デイサービスの台所

生理的欲求と介護 ④ 「食べる」ⅲ 

マズローの欲求の階層からみれば、
生理的欲求である「食べる」は、
最下層にあり低次元の欲求ではあるけれど、
介護施設やデイサービスなどをご利用されている老人にとり、
「食べる」ことは〔楽しみ〕であり〔待ち遠しい〕。

食事時に
お膳の上に
「冷たいご飯」「冷めた味噌汁」「冷たいおかず」が並べられても
箸はあまり進まず、バケツに捨てられた残飯を見ても
無関心な介護職員や栄養士。
明治・大正から昭和一桁までの老人は、
食べれなかった過去〔戦前や終戦直後〕の時代を思えば、
冷えたご飯や味噌汁、おかずであっても、
文句のひとつもこぼさずに食べておられる。

〔これから団塊の世代以降の老人は我慢ならないであろう〕

おかずが冷たくても、ご飯と味噌汁だけでも温かければ
何故か箸は進む。
それはお腹のなかに、温かいものが入ることで、
人の体や心も温もりを感じるからである。

ご飯や味噌汁は最後に盛り付ける。
50人もいる介護施設ではそうはいかず
最初によそったご飯、味噌汁は、冷めてしまっている。
仕方がないと諦めるのではなく
どうしたら温かいものを温かく食べられるか。
テーブルごとに、お櫃を置く
味噌汁の鍋をテーブルの近くに置き、よそった順番から配る。
できる利用者には、お櫃からのご飯の盛付けをお願いする。
これだけも食卓の雰囲気は変わる。

たまに家族そろって外食するから、うれしいし〔贅沢した気分〕、美味しいし、楽しい。
とくに主婦は、嬉しい、作ることもなく後片付けもなく、解放される
(上膳下膳からの解放)。
しかし、いつも上膳下膳になると、受け身の食事になってしまう。

小規模である秋桜デイサービスは、
餃子作り、コロッケ作り、料理のしたごしらえ、ホットプレートでカレー作りなど
利用者(老人)とスタッフ(介護職員)が一緒になって行う。
料理する過程から参加することで、美味しさや食べる喜びは、2倍も3倍も膨らみ拡がっていく。
食後の食器拭きは、いつもお願いしている。

確かにマズローが述べているように食事は、生理的欲求であり、
人間生きていく上で欠くことのできない基本的欲求である。
老人介護においては
「今日が最後の晩餐かもしれない」
そう思い
食事作りや
食事の雰囲気を
大切にしていきたい。


食べること 人間に残された最後の喜びかもしれない。