老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1036 ; 令和

2019-04-01 12:00:00 | 阿呆者
赤坂ダム湖〜夏は枯れ水はない


在宅訪問の帰り路
国道289号線沿いにある赤坂ダム湖
春は水があり 美しい
此処で休み湖面を眺めていたいものだ

新元号は〝令和〟
他国に比べ日本の文化は
遅れており
“令和”をきっかけに
文化を充実していけたら・・・と思う

〝令和〟はダブルZEROだね
〝令〟=0
〝和〟= 輪= 0
苦笑かな
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1035;口から食べれなくなったとき・・・・

2019-04-01 04:33:16 | 老いびとの聲
 口から食べれなくなったとき・・・・

昨日 夕暮れどきを過ぎ
しばらくぶりに
妻とお茶した
駅前の珈琲店で

そのとき
ふと思った
言葉にはせず
自分の頭のなかにしまっておいた

もし自分は
口から食べれなくなったとき(飲み込みができなくなったとき)
ドクターから
「胃瘻(いろう)を造りますか」、と言われたとき・・・・
どう答えるか


口から何も食べれない
実際にそうなったら
生きる楽しみが奪われ 
ショック
生きていくはりあいがなくなる

人間だけでなく犬や猫たちも
食べるために生きる
生きるために食べる

ブログをみていると
意外に多いのが食べ物の画像
美味しい物を食べる
人間にとり至福の瞬間でもある

自分が
本当に口から食べれなくなったとき
胃瘻を造らずに
そのまま自然死で逝くか

その場合は
認知症が重く
数分前の会話や出来事も忘れているようなときは
胃瘻は造らずそのまま

口から食べれなくとも
まだ惚けてなく頭がはっきりしているときは
胃瘻を造ろうかな?、と思う

食べる楽しみを奪われたことは辛いけど
まだ頭がしっかりしていて
歩いてトイレに行き用足しができ
本を読んだりテレビを観たり
ブログや会話ができれば
生きていたい


でも、頭のなかで考えているだけで
本当に口から食べれなくなったとき
どう思うかは
そうなったときでないと
胃瘻を造るか否かの選択は
わからない

大概胃瘻を造るときというのは
飲み込む力もさえもなく
体力が落ち寝たきりの状態にある
十分な栄養も摂れなくなり
床ずれ(褥瘡)もできはじめてくる
そうなったら本当に「自然死がいい」

珈琲を飲みながら
独り妄想に耽る

妻は、珈琲を飲み
パフェを口にし
「明日から頑張れるぞ」、と
聞こえるように呟く










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