老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1061;木造校舎と桜の風影

2019-04-17 03:31:27 | 春夏秋冬
大正・昭和時代の懐かしい木造校舎と桜の風影


“風景”を“風影”と表現したのは
陽の光で影ができる
当然風景にも影が映り
陰は陽が当たらない処を意味する

影は影でも
古賀政男の名曲
影を慕いて は 
心に滲みてくる


昭和33年4月に
自分は小学校1年生になり
青いトタン屋根の家から木造校舎の小学校
(長屋風平屋建)まで路程は2㎞余りあった 
蝦夷富士が見える山村の4月はまだ根雪があり
長靴で登校

いまは木造の中学校は廃校になり影も形もない
寂しい限り

学校には教室ごとに煙突がそびえ立っていた
晩秋になると石炭ストーブが設置される

当番が決められ
百姓の子と町の子が組み合わせになり
石炭ストーブを焚きつけ
級友が登校するまでに教室を温かくする

町の子は焚きつけることが思うようにできなかった
百姓の子は 自宅に薪ストーブや石炭ストーブがあり
焚きつけはオチャノコサイサイで上手だった

北海道の冬の山村は
2~3mの雪が積もった
雪原を照らす満月の光は幻想的
蛍雪時代という受験雑誌があった
蛍が無数に集まった光も幻想的
満月に照らされた雪原は明るく
読書ができる

深夜、雪原で満月の夜に
見知らぬ女性とすれ違うときは
背筋が寒くなり
怖いもの見たさに
つい後ろを振り返ってしまう

自分も老人になった
昔の話を懐かしがるような齢になってしまった
若いとき
老人は何て
繰り返し昔の話をしたりするのか、と
自分ながら苦笑してしまいます