彼が最後に見た風景 青空に映える桜
最期の言葉 “お母~ん(おかぁ~ん)”
平成31年4月20日 土曜の朝 晴れ青空
仕事は休みだったのだが
同じ町内に住む清水健太郎さん(80歳)宅を訪ねた。
彼は末期の肺癌と診断され
腸骨と仙骨そして頭部まで転移
「余命」1ヶ月と告知され
退院し残りの日々を
家で15歳年下の妻と長女と過ごした
日々体力は衰え食事も水分も余り摂らなくなってきた。
傾眠状態だった彼
彼の名前を呼ぶと目が覚め、数分間会話を交わした。
彼が寝ている部屋の窓から
青空に映えた桜の花が見えた。
「余命」1ヶ月と告げられ3ヵ月余りが経過
彼にとり本当に最後の花見となった。
14:32 スマホが鳴り画面を見ると
健太郎さんの妻からであった。
“夫の呼吸が苦しくなり、いま救急車を呼んだ”
“いますぐ伺います”
彼の家から14㎞先にいた自分。
訪問看護師に電話したが繋がらず
自分より近い場所に居た妻に電話を入れ彼の家に向かうようお願いした。
妻は14:48に着き
脈拍、血圧、
SPO2が測定できない状態
“清水さ~ん”と呼ぶ
彼の聲が聞こえたかと思うと
大きな息を引き眠りについた。
救急車は30分後に2台到着
前回救急車を呼んだときには10分以内に到着したのだが
今回30分も時間を要したのは
妻が電話をしたとき名前だけで住所を話さなかったのではないか(焦り動転)
それで電話番号から検索し所在地の把握に手間取ったものと推測
心停止となり
救急隊員は
AEDを行うも・・・・
救急隊に“急変のときは南陸奥総合病院で受け入れる約束ができている”と話す。
救急外来と連絡がとれスムーズに搬送となった。
妻から電話が入り“いま救急車は病院に向かったから、病院に行って”と言われ
救急車が着く前に救急外来入口に着き、彼を待った。
救急車が着き、救急外来処置室に搬送。
医師が心臓マッサージを行い、最後に聴診器を胸にあてた
“15時20分 お亡くなりになりました”と妻に話す。
自宅で最期を看取ることができた妻。
“いつもと違う様子だった”
“お昼は大好きなリンゴジュースとヨーグルト、ミニクリームパンを食べた”
“トイレに行くと言いだし、立つのもやっとなのに、トイレに3回も行き オシッコをした”
ベッドから夫は声を振り絞り“お母~ん”と話したのが最期の言葉だった。
彼の顏は 肺癌末期の苦しみから解放され 穏やかに眠っていた。
彼の額に手を当てたり手を握ると 温もりの余韻を感じたと同時に
彼の生命は終わったことに複雑な気持ち抱いた。
息を引き、死んでしまった彼
呼びかけても答えてくれない
彼の躰はストレッチャーの上に「有る」のだが
彼の「存在」は そこにはもう「無い」ことを意識したとき
死んだら本当に終わりという意味は
「存在」であることに 改めて認識した。
葬儀屋が到着するまでの1時間余り
その場を離れず 家族(妻、長女)の話を聴いた
妻は“本当に最後まで夫を看れたのだろうか”と呟いた
“最後まで頑張って看られましたよ。本当にお疲れ様。
ご主人も「ありがとう」の気持ちで「お母~ん」と呼ばれたのだと思いますよ”
と、慰めにもならない言葉で返した。
彼と同じく穏やかな顔で自分も逝きたいものだ。