老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1066;死に場所と死に方

2019-04-20 18:49:24 | 生老病死
枯草? 枯花? 何だろう、一冬を越した

死に場所と死に方

何処で死にたいか
猫は人知れず死に場所を見つける、という

長年住み慣れた家で(我家の畳の上で)死にたい

独り暮らしの死は “孤独死”と騒がれるけど
自宅で死ねるなら、それは本望であり“孤独死”ではない

長年住んできた自宅は
家族、夫婦、自分の歴史が
家のあちこちに刻まれ
自宅の風景は自分の躰の一部である
だから自宅では死ぬ 寂しくない

それより白い壁と医療機器に囲まれた病室で死ぬ方が寂しい、と
独り暮らし老人は呟く

自分は22本のロウソクほど離れた妻と暮らしているからか
自分の死の見守りは妻がしてくれるものと勝手に思っている
途中で棄てられたらそのときは仕方がない

自宅で死にたい、と
その意思表示を生きているときに 家族に話すこと


そして老い往き
死期が近づいたとき(迫ってきたとき)
本人は再度「自宅で死にたい。救急車を呼ぶな、病院では死にたくない」、と
固い意志を示す(話す)ことが大切


そうしないと家族(連れ合い、息子夫婦、娘夫婦、子ども)は
死に逝く人の 死に対し気持ちが大きく揺れ動き、狼狽え
病院で亡くなった方が「安心」であり「心の負担」も軽くなり、世間体もよい
本人の気持ちとは裏腹に 死に場所を病院に変えられてしまう

自宅で死にたい、と
本人の意思表示だけで
その気持ちを叶えることは難しい。

家族や兄弟姉妹たちが
自宅で死にたい老親の気持ちを叶えてあげよう、と
その死に臨む強い姿勢が問われる
それには医療関係医者(往診・かかりつけ医、訪問看護師や介護事業所スタッフとケアマネジャーのチームケア(支援体制)が不可欠になる

自宅で死にたい本人、見守り(看取り)をする家族、ケアマネジャーを調整役とした医療・介護スタッフ
この3者が歯車となり一つになり、一人の死に対峙しながら 見送ることができるのだと思う

死に場所が決まれば
次に問われるのは死に方である
一つは延命処置を望むのか望まないのか。
延命処置の範囲をどこまで指すのか。

死に方の内容は延命処置のことだけではない
死を意識したとき
自分は死ぬまでに何をしたいのか
残された家族に伝えたいことや整理したいこと
また体力が許すならば 行きたい処へ出かけたい等々

自分は死の瞬間まで どんな生き方をしていきたいか
生死一つ 生き方と死に方 それは同じ意味を持つ

最期の瞬間 どんな風景を見て自分は死ねるのだろうか
そんなことを思う









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1065;チューリップのアップリケ

2019-04-20 05:43:53 | 歌は世につれ・・・・
チューリップのアップリケ


チューリップのアップリケ
作詞 岡林信康 大谷あや子 作曲 岡林信康  

うちがなんぼはよ 起きても
お父ちゃんは もう くつトントンたたいてはる
あんまりうちのこと かもてくれはらへん 
うちのお母ちゃん どこへ行ってしもたのん

うちの服を はよう持って来てんか
前は学校へ そっと会いに来てくれたのに
もうおじいちゃんが 死んださかいに
だれもお母ちゃん 怒らはらへんで
はよう持って来てんか スカートが欲しいさかいに
チューリップのアップリケ ついたスカート持って来て

お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい
うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい


うちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで
毎日くつを トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつも金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや

そやでお母ちゃん 家を出ていかはった
おじいちゃんに お金のことで
いつも大きな声で 怒られはったもん 
みんな貧乏のせいや お母ちゃん ちっとも悪うない
はよう持って来てんか スカートが欲しいさかいに
チューリップのアップリケ ついたスカート持って来て

お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい
うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい


40数年前に
チューリップのアップリケ に出会った
貧乏のせいで お母ちゃん 家を出ていかはった
お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんにこうてほしい

少女の悲哀(かなしさ)と怒りがじ~んと伝わってくる
貧乏したのは誰のせいや
貧乏という壁は いまもなくならない

同じく岡林信康が唄う
『お父帰れや』の詩、曲も
同じく貧乏がテーマ
北海道、東北の冬は雪国
田畑は雪の下
お父(おとう)は 貧乏のせいで
東京へ出稼ぎに行く

うちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで
自分の家も
貧しい農家であった
お父、お母は 暗いうちからおそうまで百姓をしていた
当時小学生だった自分
中学生になっても思っていた
毎月給料が入る公務員や会社員の家族に憧れていた

土曜の午後や日曜日は
いつも百姓の手伝いをされた

躰を使う労働や農作業を厭う自分
いま思うと情けない思考回路であった自分 



コメント (2)
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