老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1053;“筋を通せ” “上をだせ” 2 入院拒否 外来受診拒否の宣告 “病院出入り禁止”

2019-04-12 08:45:54 | 老いの光影 第4章
入院拒否 外来受診拒否の宣告 “病院出入り禁止”

厚井善雄さんは
アパートで独り暮らし

生活スタイルは昼夜逆転
太陽が空高く昇った刻 11時過ぎに起きだす
朝食と昼食を兼ね1日2食
夕食は焼酎大五郎25度270ml入りを
大ジョッキーで3,4杯飲む
勿論煙草も吸う

その為栄養の偏り、不健康な清潔がたたり
地元の病院に入院したこともあった。

入院中、大きな声で医師や看護師に話すため
相手に不快な感情を与えたり
脅された、と誤解されてしまう
治療途中で医師と口論になり強制退院となった

地元に2つしかない病院からは
入院拒否、外来診察拒否と宣告され
管轄の福祉事務所生活保護課にも連絡

唯一診察してくれているのは
整形外科医院1箇所のみ

他のクリニック、医院も診察拒否

「大きな声は地声だから仕方がない」
 「大きな声は、相手にとり怒鳴られ威嚇された、と思われるから、今後は気をつけた方がいい」と話すも
なかなか治らない。

“筋を通せ” “上をだせ”

相手のミスや言葉尻を
待ってしました言わんばかりに
獲物を狙うように待っているような彼

日中は、テレビと喫煙
獲物を定めた相手に電話をかける
当然私の所にも日に何度も電話がかかって来ることもある

部屋の掃き出し口からベランダへ出るところは段差があり
上がりお降りができなく洗濯が干せない
住宅改修を行い
掃き出し口とベランダをフラットにした
足が滑らないようにということで上面はゴム製の素材を張った

ベランダは常に雨風直射日光にあたり
長い間にはゴムの上面は変形したり膨張するのは当然ある
そのときはゴムを張り返ればそれで済むのだが・・・

彼の場合は
工事のミス、欠陥品であると
住宅改修を担当した職員を電話で呼びつけクレームをつける

「俺の言っていることが間違っていいるのかどうか」と問いただす
業者は「間違っていない」と答える
「俺の話は筋が通っているだろう」
次に「お前では話が進まないから、上の者(社長)と話をするから連絡をとれ」と“口”撃をかける

結局は、全て工事やり直しをさせた。

私は「あんまり我儘なことや自己中心的な事をしていると使えるサービス事業所はなくなるよ」
「私もサービス事業所、紹介できなくなる」と話したら
「お前にそんな筋合いを言われることはない」と怒った口調で怒鳴りだした。
「お前って呼んで欲しくない。私には名前がある」と返す。
「俺の言っていることがそんなに間違っているか」
「間違っているね。私が気に入らなければケアマネを他の人に変わってもいいよ。私から辞めるということは言えない。厚井さんが私に辞めて欲しい、と言えば辞めます」
「そんなことは思っていないから続けて欲しい」と・・・・。

私も大人げない冷静さを欠いた言動だったが、これくらい話さないとわからないと思い・・・。
ケアマネジャー失格だな


彼はまだ、62歳で若い。彼との関わりあいは、私がケアマネジャーを引退するまで続く、腐り縁となるであろう。

その後もいろいろあった
或る日、水中毒症になり
幻覚 幻視症状で暴れ出し
部屋は散乱
救急隊員から私の所へ電話がかかり
「大至急来て欲しい」と。

急いで駆けつける
彼は意味不明な言葉を連発。

受け入れ先の病院がなかなか見つからず2時間も要した
何せ地元の医療機関は診察拒否
結局30キロ先の精神科病院に搬送され入院となった

その日は救急隊員も私も
彼のために8時間ものの時間を費やしてしまった
その間救急車を必要としている人たちは
遠くの救急車を利用するしかなかった、と思うと
複雑な心境であった。
入院時兄に電話連絡を入れたが
兄は退院する日まで面会には来なかった。

(続く)








1052;“筋を通せ” “上をだせ” 1

2019-04-12 05:48:40 | 老いの光影 第4章
俺の勲章は「前科10犯 服役5回」

地域包括支援センター長から
「男性のケアマネジャーでないと担当できないケースで生保(生活保護受給者)の方で
一度他の男性ケアマネが受けたのだけど上手くいかなかった。受けてもらえるだろうか」
と、依頼の電話が入った。

断る理由もなく、「いいですよ」の返事で受け入れた。

名は厚井善雄さん(59歳)
太平洋が見える漁村で生れた。

中卒後東京の親戚を頼り
畳屋に就職した。
長続きせず寿司見習いに転職するも
その後は仕事を転々とする。

18歳のとき大麻所持と使用で
特別少年院のお世話になる。
その後は身を崩し
恐喝、傷害、詐欺などを繰り返し
「前科10犯、服役は5回した」と
自慢げに話す彼。

両変形性股関節を悪くし
両膝を曲げることもできなくなり
脚を伸ばしたままどうにか歩行
55歳のとき東京から兄夫婦が住む実家に舞い戻る

老母が認知症になったことで手がかかり
兄から家を出るように言われ

那須連山が見える村に転居
生活保護受給世帯となり独り暮らし開始

希望される介護サービスは
訪問介護と福祉用具貸与、住宅改修であった
(続く)