老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

487;老いの風景 〔3〕 「何げないことが大切」

2017-10-26 14:15:00 | 老いの光影
老いの風景 〔3〕
「何げないことが大切」
《 再び歩くことへの挑戦 11


今年の8月 寝たきり状態にあり、要介護5の認定通知を受けた
堀川清子さん(90歳)は、
自力歩行まではいかないが
手を握ってあげれば足並みをあわせながら歩けるようになった
昨日
デイサービスの帰り路
スーパーに立ち寄る
カートにつかまりながら陳列台に手を伸ばす
一緒に夕ご飯のおかずを買ったときの
笑顔満面「うれしい」の呟き
彼女の頑張りで
寝たきり状態からの脱出
再び歩くことに挑戦してきた彼女


清子さんは
こうしてスーパーで買い物をし
食べたい物を手に取り
レジで支払いをする

人間歩けることは当たり前のことであり
歩けることの意味を考えたりすることもない
交通事故や病気などで
寝たきりになり歩くことができない、と認識したとき
本当に歩けなくなった自分は惨めであり絶望になってしまう
その後、本人の頑張りと周囲のサポートにより
不死鳥の如く 再び立ちあがり 立ち そして一歩、二歩、三歩と足を踏み出し
再び歩くことができたときの気持ちは
寝たきりになった人でなければわからない


人間にとって「歩く」とは
どんな意味があるか

次号のブログに書いていきたい

☆連載中「生理的欲求と介護」は、近いうちに書きます。
☆連載中「上手な介護サービスの活用処方」第27話も近いうちに、ノビノビデ

486;老いの風景 〔2〕 「すべてを捨ててきた」

2017-10-25 15:16:24 | 老いの光影
老いの風景〔2〕
「すべてを捨ててきた」

60歳の声を聞く頃に
自動車運転免許証が取り消しされ
車の運転はできるのだが
車のハンドルを握ることができなくなった

息子から「人間失格」と罵倒され
唾を吐きかけられた父親
無言のまま家をでたまま
帰らぬ人となり
家族も仕事に纏(まつ)わる人も断ち切り
すべてを捨ててきた
そこで人生が終わった

男は人里知れぬ山峡に移り
屋根も壁も傷んだ枯葉のような平屋に棲んでいた
人生再スタートしようと
ハローワークで職探しするも
あるのはアルバイトや日雇い
いまは年金暮らし 自慢にも定期預金は零
居間には時代遅れのテレビが置かれ
向かい側の壁には日焼けた文庫本が無数に高く積まれていた
他にある家電は冷蔵庫と洗濯機、掃除機のみ

身寄りのないひとり暮らし老人として
村役場に登録され 訪れる人は地区の民生委員と郵便配達
ふらつきと躓きが目立ち転ぶこともしばしば
物忘れもではじめ 
しまい忘れ置忘れがあり
物を探すことに時間をとられ
それが日課となった初老の男
民生委員の勧めで要介護認定を申請したところ
「要支援1」のお墨付きを頂くも
生活苦は変わらず
忘れた頃にケアマネジャーという
カタカナの肩書を持った年齢不詳の背が低い男性が訪問する
訪問者がひとり増えた

男はわずかな年金額から
夏目漱石をひとり取り出し缶箱に入れ
夏目漱石が12人になると
紅葉の季節 温泉のひとり旅を愉しむ

故郷の墓地に骨を埋める気持ちもなく
最期は朽ちた吾身を献体に捧げ
無縁墓地に眠りたい、と
老人は聴き取りにくい言葉で
私に話す
辺境の地に無名の老人が生きていたことを
無縁仏になっても
覚えて欲しくて
私に話したのであろうか






485;老いの風景 〔1〕 「金の無い老人・金の有る老人」

2017-10-25 05:26:53 | 老いの光影
老いの風景〔1〕 
「金の無い老人・金の有る老人」

若い父母が酒に呑まれ酒に溺れ
軽自動車が信号機の支柱に激突大破
1歳の子どもが夢や希望を抱かぬうちに
亡くなり、悲痛としか言いようがない。

親の自覚の無さから子を死なせてしまった。

子どもの話から一転して老人の話に変る。

人間老い
病いや不運にも骨折などに遭遇し
誰かの手を借りなければ生きていけなくなったとき
さまざま人間模様や老いの風景が映し出される。

年金額のない老人には
人は寄ってはいかない。
ひとり暮らしの男性老人が
ひと月に20万円前後の年金額を持っていようものなら
水銀灯に蛾が集まるが如く
男性老人の家を出入りし世話をやく。
金が無くなれば寄りつかず
年金が入れば出没する。
40年余りまえに妻を亡くし
子どもとの関係も疎遠のまま
寂しい老後生活。
週3回の血液透析を受けている我が身。
この先自分はどうなるのか
どう生きていけばいいのか
ベッドに寝るとき
不安が募り寂しさが増し心細くなる。
数百万円あった定期預金も二人の娘に解約され手元には一円もない。
老女は、男性老人の年金が振り込まれる通帳・印鑑・カードと金銭の管理をお願いされたので、
預かってもいいですか、だめですか、と尋ねられても・・・・。

ひとり暮らしになった老いた男は
ひとりで生きていく気力と生活力がなければ
蛾や蟻が集り、吸い取られ貧しい生活を送らざるを得なくなる。

老い弱くなったとき
老人はつい我が子に預金、印鑑、カードなど全財産を渡してしまう。
子どもに全財産を渡した段階で
親子の力関係は逆転し、老親の力は失墜する。

今の若い親はどう考えているかわからないが、
親は可愛い子どものために財産を遺そうと思うものなのか。
親の金は子どもの金ではない(遺産分与を否定するつもりはない)。
老親にお金がなければ、寝たきりになったときお世話はできない。
老親にお金があるから、お世話をする。

お金がない親は、老人ホームに入所させるしかない、そう考える子もいる。

お金がなくとも親の面倒はみれる。それは、「介護の世話で働けない」という大義名分により生活保護を受け暮らす息子。
親の年金で一緒に暮らす閉じこもりの息子。

老い、寝たきりになったとき、どうするか
私の場合 最近あちこちに増えているサービス付き高齢者住宅に入居できるだけの年金受給額はなく
生活保護の額よりちょっといいだけの金額でしかない
要介護4または5の認定を受け、寝たきりや認知症になったとき
特別養護老人ホームに入所しようと思う。
個室(ユニット型)の特別養護老人ホームは費用が高いので
4人部屋の特別養護老人ホームを選び入所するしかない。

こうしてみると老いや介護は
他人事ではなく自分の問題でもあった。
年金額だけで老い方や老いの幸福が左右されるわけではないことは
頭ではわかっているが
実際に病気をしたときなどのことを考えると不安が渦巻く。
慢性疾患を抱えているだけに、老いを生きてゆくのは
若い時代以上にエネルギーと気力を持たねばならない。
生きている意味がない「社会の厄介者」と
思ってしまったとき「死」なのかもしれない。

老後において金は大事だが、やはり人の温もり、人とのつながりが大切なのかもしれない。
人が死で逝くとき、ひとりぼっちなのか、それとも傍らに手を握り看取ってくれる人がいるのか。
大金を老女に奪われ、厳しい形相をし無念の想いで亡くなった老人の顔を思い出す。
終わりよければ全てよし、といきたいものである。



482;終わりよければ全てよし

2017-10-24 03:43:10 | 老い楽の詩
台風21号の大雨で氾濫した阿武隈川/阿武隈川上流の写真

 『終わりよければ全てよし』

おわりよければすべてよし、All's Well That Ends Wellとはウィリアム・シェイクスピアの言葉。
シェイクスピアが意図する言葉の意味とは違うかもしれないが、
私はこの言葉をふと思いだすたび
人生の終わりを迎えるとき
本当に「終わりよければ全てよし」のはっぴいえんどで
人生の幕が降りることができたら、と思う。

老いは「人生の最終章」にあるが、
純粋無垢な赤ん坊から老いる前の熟年まで生きてきたその結果として
老いはある。
「本当に生きてきた」、といえるような生き方であったか。
また
「自分を含め他者を大切に生きてきた」、と思えるようなつきあい方であったか。
老いは、
その人が生きてきた結果。

自分は老いのはじめに在り
終わりよければ全てよし、という人生には
まだまだほど遠く
重い荷物を背負い杖をつき歩かねばならない。
他者の老い風景は幸福に映る。
自分の老い風景
何を大切に生き逝くか。
悶々とする日々。
老いてもなお、働けど働けどわが暮らし楽にならず。
それでもはっぴいえんどという希望と夢を抱き、生きていこう。
老い楽の詩を・・・・

481;秋深まり冬近し

2017-10-23 11:54:48 | 春夏秋冬
秋深まり冬近し

台風21号は去り
阿武隈川上流は危険水域に留まりホッとする

数日で11月の暦となり
紅葉から枯葉舞い
あと1月足らずで初雪の予感

寒サニ負ケズ 体縮コマラズ
心元気ヨク  今日ヲ生キル

480;上手な介護サービスの活用処方 第26話「認定調査の項目」 ㉔

2017-10-22 00:05:33 | 上手な介護サービスの活用処方
 上手な介護サービスの活用処方 第26話「認定調査の項目」 ㉔

3-1 意思の伝達(能力)


ここでいう「意思の伝達」とは、調査対象者が意思を伝達できるかどうかの能力である。

1.調査対象者が意思を他者に伝達できる
2.ときどきできる
3.ほとんで伝達できない
4.できない

1.手段を問わず、常時、誰にでも「意思の伝達」ができる状況をいう。
2.通常は、調査対象者が家族等の介護者に対して「意思の伝達」ができるが、その内容や状況などによってはできる時と、できない時がある場合をいう。
3.通常は、調査対象者が家族等の介護者に対して「意思の伝達」ができないが、ある事柄や特定の人(例えば認定調査員)に対してであれば、まれに「意思の伝達」ができる場合をいう。
・認知症等があり、「痛い」「腹が減った」「何か食べたい」等、限定された内容のみ「意思の伝達」ができる場合は、「ほとんど意思の伝達ができない」を選択する。

4.重度の認知症や意識障害等によって、「意思の伝達」が全くできない。あるいは、「意思の伝達」ができるかどうか判断できない場合をいう。

・失語症が原因で会話が成立しなくとも、本人の意思が伝達できる場合は、それが会話によるものか、身振り等によるものかは問わない。

479;生理的欲求と介護 ⑤ 「排せつ」 ⅱ

2017-10-21 16:11:06 | 介護の深淵
 生理的欲求と介護 ⑤ 「排せつ」 ⅱ

「排せつ」行為は、
他者に見られたくない恥部であり、トイレは秘密の空間にある。
また、空腹よりも「ウン・ション」は我慢ができない。

とくに紙オムツをするようになったら、人間お終いだ。
死んだ方がましだ、と老人は話す。
(オムツをして死んだ老人はまだ見かけない)
オムツのお世話になり他者に取り換えてもらうことは、
赤ん坊と同じレベルになり
大人から「半人前」の人間になってしまったことを意味する。

喉が乾けば、人間に限らず他の動物も水を飲むのも自然の摂理。
水を飲んだり食べたりすれば、尿や糞が出るのも自然の摂理。
「オシッコがしたい」「ウンチが出そう」、尿意・便意を感じたとき
誰しもトイレへ向かい、便器で用を足す。
これは当たり前の行為である。

そして大切なこと、それは誰もが洋式便器に坐って、用を足している。

要介護5の認定を受けていても、椅子や車いすに座ることができる人は
紙オムツに尿・糞をするのではなく、洋式便器に坐り用を足せるのである。
紙オムツから洋式便器で排便をした人は、紙オムツに糞は出したくない。

同じ排せつ介助を受けても、
他者から紙オムツを取り替えてもらう
トイレで、一連の排せつ行為のなかで、できないところだけを手助けをしてもらう
排せつ行為として、あなたはどちらがよいですか、と聞かなくても
オムツよりはトイレの方がよいに決まっている。

しかし老人が入院すると、
歩くのが大変だったり、排せつ動作に手間がかかったりすると
医療従事者は「バルンカテーテル」を挿入してしまう。
本来の看護とは何か。
自然に尿が出るのに、管で排出する。
肺炎は治癒したが、尿意は喪失し紙オムツになって退院。
もし、ナイチンゲールが生きていたら
彼女は安易に使うバルンを見て何と思うだろうか。
不必要にバルンを用いるのは、生理的欲求に反し非人間的なケアなのでは、と思ってしまう。

排せつ器官が駄目になり尿が容易に出ないときにはバルンは必要である。バルンを100%否定しているのではない。

私も術後安静のため、7日間バルンを挿入され、苦痛を体験。
一番苦痛だったのは、排便中、排便後にオシッコが一度に放尿されたとき
思うように管に尿が流れず、尿が溢れでたような感じで、尿道の痛みが耐えられなかった。

478;何をしたいか

2017-10-21 15:10:41 | 読む 聞く 見る
 何をしたいか

台風21号上陸 不安、憂鬱

文庫本になるのを待ちきれず
池井戸潤『陸王』を購入してしまった。

たび作り百年の老舗が、ランニングシューズ作りに挑む。

272頁に
相手が
「何をしたいのか、それすらわからずにサポートなんかできないどろう。そんな仕事に何の意味がある」

今の私にとり
原点に返る言葉そのものであった。
老人は「何をしたいのか」。
そして自分は「何をしたいのか」、
自問自答してみた

477;生理的欲求と介護 ⑤ 「排せつ」 ⅰ

2017-10-18 00:16:47 | 介護の深淵
 生理的欲求と介護 ⑤ 「排せつ」ⅰ

生理的欲求の2つめは「排せつ」である
「排せつ」は「食べる」ことの意味とは違う意味で、
耐えられなく、辛いものを感じてしまう。
人間に限らずの他の動物も同じく、
食べたら必ずと言っていいほどオシッコやウンチ(「排せつ」)を出す。
これは我慢できるものではない。
筆者、23歳の頃の話で「ひと夏」の体験をしたことがあった。
上高地を散策していたときのことで
寒村のある蕎麦屋で食べた蕎麦が「当たり」
突然腹痛になり
少し間をおき次に襲ってきたのは
便意をもよおし、いまにも肛門括約筋が緩みになるのを堪え
早くトイレを見つけ駆け込みたい心境にになった。
片方の手は腹を抑え、もう一方の手は肛門を抑え抑え歩く。
探せど探せどなかなかホテルは見つからず
肛門括約筋は極限に達し、顔は青くなり冷や汗になってきた。
極限が切れる寸前に内装工事中のホテルが見つかり、
トイレになだれ込み入るや否や、下衣を降ろすと同時に「多量軟便と下痢」を排出。

神戸や東日本の大地震で一番困ったことのnumber1は「トイレ」であった。

口から食べ物を摂ると、必ず糞尿が出る。
出ないとそれは大変なことになり
生命(いのち)取りになり「糞死」しかねない。

老いてくると
爺さんより婆さんの方が、、
あたりかまわず、恥らいもなく、
立ちションを平然と用を足している。
これも恥らいよりも
自然の摂理が我慢できず
ところかまわずの行為に出てしまう。
それほど排せつは切実な行為なのかもしれない。



一部下品な表現があったことをお詫び申し上げます。
他に適切な言葉が見つからず、ただただ言葉不足を痛感します。


476;影は自分を映す

2017-10-17 21:52:22 | 老いびとの聲
影は自分を映す

朝陽を浴びると
地面に我が影が映る。
悩みや不安が鬱積すると
姿勢は前屈みになり
影は曲がって見えてしまう。
人間、心が曲がれば
影も斜めになってしまう。
影はいまの自分を映しだす。

自分が老い病み
寝たきりや惚けてしまったとき
その人の心の影はできあがっている。

他者を大切に
感謝の気持ちで素直に生きてきた
老人の影はまっすぐに映る。

自己中心的で
「どうして自分だけが」と
愚痴や僻みが強く抱き生きてきた
老人の影は斜めに映る。

あなたを慕う影は寂しくせつない。

475;自然が一番

2017-10-16 04:44:20 | 老いびとの聲
  自然が一番  
自然が一番
自分はいま毎日7種類の薬を
朝食後は7種類9錠
夕食後は3種類5条
免疫抑制剤がそのなかに3種類あり
服薬忘れは厳禁
忘れるものなら血液透析に逆戻り
服薬しない自然な体が一番だが
こればかりは
一病息災で老い往くとしようか

いまサプリメントは大流行であり
烏がない鳴かない日があっても
TVで毎日のようにCMされている
サプリメントを全く否定するつもりはないが
自然の野菜、果実、魚、肉などを摂るのが一番

いま野山は錦繡で彩りされ一服の名画に映る
自分の眼で観るのが一番
残像として思い出すこともあるが
その美しさを写真に映し残すことも素敵

自然のいいところは
ありのままで在ること
自然体というか
自分も
ありのままでいれたどんなにいいか
ありのままの大切さに気づいたのは
老いを意識してからであろうか
紅葉のように
老い始めてくると
ありのままの花や風景に憧憬(あこがれ)てくる

ありのままで在ること
それは素直さの同義語かもしれない
我家のbeagle・genki
素直に甘えてくる

474;憐れな女性の話

2017-10-15 07:46:31 | 老いびとの聲
憐れな女性の話

「生理的欲求と食べる」を書いてきて
職場で気になる50代の女性がいる。
彼女の人生観は、「損得」に徹し
「無駄」なこと
つまり自分にとって「無意味」なことは関わらない。

極力友達とのつきあいはしない。
何故?
つきあいとなると「お茶飲み」もあり
お金がかかるから、ということになる。
職場で自分が入社したときには「歓迎会」をしてもらったことは忘れ
後輩が入社されたときは、歓迎会会費を出すのが惜しく、出席しない。

成人した息子と二人暮らし。
息子には結婚するな、と話している。
何故?
結婚すると親戚つきあいがあり、金がかかるので・・・。
だから息子はいまも友達はひとりもおらず。

「食べる」ことになると、
本当に憐れな彼女に映り寂しくなり悲しくなる。
どう言葉をかけていいか、
男の自分が言葉をかける訳にもいかず、ただただ唖然としている。
例えばこんなことがある(いつもある)。
同僚やお客様からお土産(お菓子)を頂く。
本人も含め職場仲間が5人、お菓子が10個とする。
彼女は一人で6個食べても平然としており、
それも陰に隠れるように台所に屈みながら食べている。
他人よりも多く食べれたことで「得」した気持ちになる。
彼女からはお土産や差し入れをすること(自分から身銭をきること)はない。
「損」することはしない。

老人(利用者)と外食に行くときも、たかりのような言動。
彼女はメニューのなかで、一番最低の価格を注文する。
ある婆さんが、ステーキを注文した。
「それ全部食べれる。食べきれないでしょ」と言葉をかけるやいなや
ステーキの真ん中部分を箸てつまみ、食べてしまう。
婆さんもあんぐりで、開いた口が塞がらない。

彼女は
外食にもいかず
行ってもドリンクバーを注文することさえためらう
着飾ることもなく化粧することもない
勿論旅行などは論外
職場の新聞折り込みのチラシを見て
休憩時間に食材のバーゲン品を買いに行く

だから老人とのかかわりを見ても
プラスアルファの気持ちで
介護にかかわるようなことはない
責任逃れは上手
友だちつきあいがないから
相手を思い遣る気持ちが希薄なのかもしれない
自分がよければそれでいい

こうして憐れなひとりの女性のことを書いている自分が
いちばん憐れなのかもしれない

473;生理的欲求と介護 ④ 「食べる」 ⅳ(終わり)

2017-10-14 16:34:57 | 介護の深淵
生理的欲求と介護 ④ 「食べる」 ⅳ(終わり) 

一杯の水

一杯の水(お茶 でも同じ)を
老人(お客様)に出すとき

個々の老人の特徴(特性)を覚えておく
初めての老人に対しては、「細かく聴くこと」

「冷たい水」がいいのか
「ぬるま湯」がいいのか
「お湯」がいいのか
また、最近(今日、昨日・・・)お腹が痛くなかったか
下痢はしていなかったか
猫舌なのか
などなど 細かく聴くことが大切。

ただ水を出すのではなく、


韓国ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』第4話「母の教え」のなかで
ハン尚宮(さんぐん)は、チャングムに話す。

水でも器に盛られた瞬間から料理になること。食べる人への配慮が一番だということ。
“料理は人への気持ち”である。