M2ちゃん(小5):
レッスン時間の少し前に、「今学校から帰ってきたから、少し遅れます」と電話をくれました。
M2ちゃんの後は誰も来ないから、慌てないでゆっくりおいで、と返事して、しばらくしてからM2ちゃんがやってきました。
「あした、下北沢音楽祭に出るから、その練習で遅くなった」
と、汗びっしょりです。
「そうそう!タウンホールで、大学生のバンドがいっぱい出る前に、M2ちゃんたち H小学校の5年生が出るんだよね。見に行くからね」
「うん」
M2ちゃんは、ちょっと嬉しそうな、はにかんだような顔をしました。
「M2ちゃんを すぐ見つけられるかなあ。どの辺にいるの?」
と聞くと、M2ちゃんは正面の、ピアノの譜面台を指さしました。
「ここが舞台だとするとね、M2はこの辺。右の方で 鍵盤ハーモニカだよ」
「うん、わかった。右ね。右って、お客さんから見て、右?」
「そうだよ」
私は感心しました。
即座に「お客さんから見ての右側」と答えたM2ちゃんは、すごいなあと思って。
大抵、子どもだと「自分から見て」の場所を考えるもんじゃないでしょうか?
「わたしは左側にいるよ」「それって、自分から見て左?お客さんから見たら、右に見える?」などと聞いて初めて、「ああ、そう。お客さんから見たら右になるよ」などとやりとりがある気がします。
子どものうちは、何事においても まだまだ世界の中心は自分で、自分から見た物の見方をするものです。つまり「天動説」なのです。太陽(他人や外の世界)が、自分(地球)の周りを回っているのです。
それに引き替え、大人になると、自分(地球)も、広い宇宙の中の一惑星に過ぎないことを理解します。視野が広がり、世界から見た自分の位置や役割、といった見方ができるようになります。つまり「地動説」を受け入れられるようになるのです。
まだ小学生なのに、「全体の中の自分の位置」とか「見る人の立場からの見え方」を把握していて、スッと答えたM2ちゃんって、なんか大人っぽいところがあるなあ・・・と、新しい発見をしました。
あしたは、「下北沢音楽祭」の「関東7大学音楽祭」が 近所のタウンホールで開催されます。
地域のH小学校5年生がゲスト出演することになっていて、うちの生徒ではM2ちゃんとY子ちゃんが該当しています。
ぜひ見に行かなきゃね。
レッスン時間の少し前に、「今学校から帰ってきたから、少し遅れます」と電話をくれました。
M2ちゃんの後は誰も来ないから、慌てないでゆっくりおいで、と返事して、しばらくしてからM2ちゃんがやってきました。
「あした、下北沢音楽祭に出るから、その練習で遅くなった」
と、汗びっしょりです。
「そうそう!タウンホールで、大学生のバンドがいっぱい出る前に、M2ちゃんたち H小学校の5年生が出るんだよね。見に行くからね」
「うん」
M2ちゃんは、ちょっと嬉しそうな、はにかんだような顔をしました。
「M2ちゃんを すぐ見つけられるかなあ。どの辺にいるの?」
と聞くと、M2ちゃんは正面の、ピアノの譜面台を指さしました。
「ここが舞台だとするとね、M2はこの辺。右の方で 鍵盤ハーモニカだよ」
「うん、わかった。右ね。右って、お客さんから見て、右?」
「そうだよ」
私は感心しました。
即座に「お客さんから見ての右側」と答えたM2ちゃんは、すごいなあと思って。
大抵、子どもだと「自分から見て」の場所を考えるもんじゃないでしょうか?
「わたしは左側にいるよ」「それって、自分から見て左?お客さんから見たら、右に見える?」などと聞いて初めて、「ああ、そう。お客さんから見たら右になるよ」などとやりとりがある気がします。
子どものうちは、何事においても まだまだ世界の中心は自分で、自分から見た物の見方をするものです。つまり「天動説」なのです。太陽(他人や外の世界)が、自分(地球)の周りを回っているのです。
それに引き替え、大人になると、自分(地球)も、広い宇宙の中の一惑星に過ぎないことを理解します。視野が広がり、世界から見た自分の位置や役割、といった見方ができるようになります。つまり「地動説」を受け入れられるようになるのです。
まだ小学生なのに、「全体の中の自分の位置」とか「見る人の立場からの見え方」を把握していて、スッと答えたM2ちゃんって、なんか大人っぽいところがあるなあ・・・と、新しい発見をしました。
あしたは、「下北沢音楽祭」の「関東7大学音楽祭」が 近所のタウンホールで開催されます。
地域のH小学校5年生がゲスト出演することになっていて、うちの生徒ではM2ちゃんとY子ちゃんが該当しています。
ぜひ見に行かなきゃね。