自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

“木の葉”紙 ~カシワ~

2015-09-14 | 野草紙

もっぱらわたしが紙にする対象は野草です。草の生活形とセルロース繊維との関係を,紙づくりをとおして考えていくことが主眼です。したがって,しゃにくもにとにかく紙にしたいという気持ちはありません。「とにかく紙にしたい」ということなら,たとえば,紙にしやす別の紙料を加えてつくれば簡単至極です。

わたしの知人に,牛乳パックを必ず適量加えて上等な(?)紙をつくるのに凝っている人がいます。わたしも多少練習すればその域に達するでしょう。しかし,草の生活と向き合うことなく実用的な紙をつくることはほとんどわたしには関心がありません。いくらすてきな紙ができようとも,です。

草のからだの,どの部分が,どんなセルロース繊維で構成されていて,それがどんな風合いの,どんな紙になりうるかを突きとめるのがわたしの関心事です。この経験則がすこしずつ蓄積できてきたお蔭で,どんな草を見ても,どんな部分を手で揉んでみても,どんな紙ができるか,おおよその見当がつくようになりました。

ところで,こんな見方で草に接していると,草本と木本の共通性と相違性が改めて気になってきます。とりわけ,共通性について思うところが大です。よく考えてみると,葉でも草と木は大して違いはないではないかと思えるのです。どちらも紙になるはず。つまり,セルロース繊維が葉のかたちを形成し,かたちを維持するために機能しているのですから。

それなら,こんなこともいえそうです。「草の葉から紙がつくれるのなら,木だって同じだろう」と。

先日,集落で小さな寄り合いがあって,そこで出されたのが柏餅。「この葉からも紙ができるはず」とひらめき,葉を6枚持ち帰りました。そこにいた人は,「そんなもので紙がつくれるか?」と疑うばかり。


家に帰って,さっそく煮ました。煮終わっても,葉のかたちは崩れていません。ただ,とても柔らかくはなっていました。

それをミキサーにいれて,打解・叩解しました。すると,細かな繊維が集まりました。色は驚くような茶褐色。主脈を中心にして葉脈にこれだけの繊維があったことになります。これで,紙にできる見通しがつきました。


結局,葉4枚程度の繊維から栞が1枚完成しました。


考えてみると,餅を包んでいるカシワの葉は褐色ですが,元は緑色をしていたはず。つまり,今も完全に枯れてしまったのではなく,水分が補給されて生の状態がほんのすこしは維持されているとみていいでしょう。

今回の結果から,木の葉でも,繊維をじょうずに取り出せたら紙ができて当たり前だということがわかってきました。これまでは,なんとなくそう思いながらも,実際には試さなかっただけです。先日つくったイチョウの葉の紙も,マア,できて当然といえばそのとおりだったわけです。

ずっと以前のこと。ある方から「枯れた葉からも紙ができるのでしょうか」と問われたことがありました。水分が失われて分解が始まり,腐朽菌が付くなどしているので,「それは無理ではないか」とお答えしたのですが,実際には試したことがありません。そのことも,こころの片隅で気になっています。理屈だけで片付けているような気がして……。

それはともかくとして,自然がまた広がって見えてきました。ありがたいことです。