自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ヒガンバナの花(花弁&蕊)紙

2015-09-29 | 野草紙

ヒガンバナ紙にはゆかいな表情があると思います。繊細な繊維なので際立った特徴が現れるのでしょう。

先日つくった花紙は,生の花を使ったもので,しかも子房の膨らみ部分も相当量入ったものでした。

ところで,ヒガンバナは1週間程度咲いた後,花が水分を失ってすっかり縮れてきます。ちりちりっとした感じで,茎の先端に付いたまま。「あんな強烈な印象を残す花が枯れたら,こんなふうになるのだなあ」と感慨深くなります。そのちりちりっとしたものは,花弁と蕊(おしべ・めしべ)です。それらだけを集めて紙をつくったら,どんな色の,どんな風流な紙ができるのか,ついつい確かめてみたくなりました。

さっそく紙づくりです。子房のところはまだ緑色をしています。それを除いて,花弁と蕊とを根気よく集めていきました。30分もすればどっさり採集できました。


それを煮ること30分。この30分は,湯が沸騰してからの時間です。これでもとのかたちが崩れて,繊維の集合体のようになりました。色は濃い焦げ茶色。有毒成分を含んだヒガンバナの個性を感じさせます。


繊維を揉みながら水で洗っていきます。廃液が無色になったらOK。これで紙料が取り出せたのです。やはり濃い焦げ茶色をしています。


これを漉き枠に入れると,湿紙の出来上がりです。このあとは,直射日光にしっかり当ててできるだけ早く水切り,乾燥を行います。終盤は,風通しのよい日陰で乾かします。


幸い秋晴れの日だったので,翌日にはしっかり乾きました。これまでに見たことのない色! 驚くような焦げ茶です。やってみなくちゃわからないものです。


わたしたちの身の回りには,このようにまだまだわからないこと,試されていないことがたくさんある気がします。今の自然の見え方って,ほんとうにたくさんの人がふしぎを解き明かそうとして蓄積してきた,とりあえず現時点での知の集大成にすぎません。わたしはわたしなりに,感じたふしぎをそのままにしておかないで,できるだけ真理に近づく努力をしたいと願っています。何歳になろうとも。 

 


ヒガンバナとアゲハ

2015-09-29 | 昆虫と花

ヒガンバナの花は鮮やかな赤をしています。だれに,なにに向かってその存在をアピールしているかといえば,もちろん訪ねてくるべき昆虫に対してです。なのに,一向に虫らしい虫が訪れるようなこともなく,種子ができているようでもありません。

実際,虫はほとんど訪れないばかりか,種子もできません。これは,ヒガンバナの染色体に関係していて,ちょうど種なしブドウが人の手を経ることなく自然にできているようなものです。それで,花は蜜を生産する意味はまったくなくなっているために,蜜があっても先祖の血をわずかに引いている程度にすぎないというわけです。まあ,ご先祖さまを忘れない程度,といったほうがふさわしいかもしれません。

それで,昆虫はまず訪れなくなっているのです。

この「まず」というところがミソで,ときには訪れることもあるという点も忘れてはなりません。アマチュア写真家が撮った写真で,ヒガンバナの花にアゲハがとまっているものをたまに目にすることがあります。そうした大型の昆虫を,ヒガンバナはきっと昔は歓迎していたはずです。大きく伸びた蕊や花弁を見ていると,よくわかります。それはちょうどユリの花とアゲハとの関係を思い浮かべれば理解できるでしょう。

脚場は花弁と蕊。蕊のねもとにある蜜源に口吻を伸ばす格好をしたとき,オシベの先に付いた葯がからだに触れます。すると,花粉がからだに付着するでしょう。同時に他の花で付いた花粉がメシベの先柱頭に接触します。これで,送受粉が完了。

このつくりは,むかしむかしヒガンバナが昆虫のどうつながっていたかを物語る名残りです。運がよければ,このつながりを直に観察できます。ほんとうにたまには,アゲハがやって来るのですから。

先日,自宅近くの土手で紙づくり材料にと思いヒガンバナを採集していました。そこにまず現れたのがアゲハ。一年前に本ブログ記事で報告して以来の出合いでした。

 


直後,すぐ近くの別の花にとまったのがクロアゲハ。

 


また,別のところでもクロアゲハ(メス)が。


いずれもすこしばかりいて,そうして舞い上がっていきました。ふしぎな,ふしぎなひとときでした。