自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ヒガンバナ紙のことで

2015-09-19 | 随想

わたしの仕事場にやって来た小学3年生のAさんが,たまたまヒガンバナ紙に関係した体験談を話してくれました。

2年生のときに,生活科学習でヒガンバナ紙をつくったのだそうです。「ヘェー! すごいじゃないか」とびっくりしていると,「でもね,今も家に大事においているけど,クニャッと昆布みたいに曲がってしまって,色も黒くなっている。臭いも変なんだよ」というのです。「葉書をつくろうということで紙をつくったんだけど,結局出せなかった」ともいうのです。

「持って来ましょうか」といったので,そうしてもらうことに。そして実物を見て,わたしは「これでは紙になっていないな」と感じました。もちろん,Aさんにそんなことをいうのは禁句です。「そうか,せっかくつくったのに,残念だったね。今度機会があれば,満足できる紙をつくりたいね」としかいえませんでした。

学校でつくった紙は,色とかたちから,さらには臭いから,明らかに生の材料をミキサーで砕いて,それをそのまま紙料としてつくったとしか思えない作品でした。それを,Aさんは宝物のようにしてたいせつにしまっているのです。

 


材料を煮ないでそのままミキサーに入れ,機械的に繊維を取り出す方法もあります。工業的にも確立された手法です。しかし,その場合は限りなく純粋繊維を取り出せるまで叩解したうえで,早く乾燥させる必要があります。中途半端に砕いただけでは,非繊維質がたっぷり残るのです。すると,これが腐敗の原因になります。紙を漉く場合,生の材料を使うときはよほど注意をしておかなくてはなりません。

おまけに,生の場合は細胞がまだすこしは生きた状態にあります。乾かしたつもりでも水分が多分にあるために,それが蒸発するにつれ紙自体が徐々に収縮するのは当たり前です。

さらに,秋になると途端に湿紙が乾燥しにくくなるという難題を考慮しておかなくてはなりません。ヒガンバナのような水気の多い植物体を扱うのはとくに厄介なのです。

Aさんが通う学校では,何年か,こうしたかたちで体験学習が行われているようです。学びの場で,かたちばかりの取組が続いているのは,悲しい話です。これでは子どもの目が開かれません。着眼はよいとしても,ほんものとの出合いをつくり出すことが真理を追求する学校のしごとのはず。まだまだ改善が足りない気がします。

ほんもののヒガンバナ紙は似て非なり,です。Aさんが手づくりした次元をずっと超えたところにあります。とても簡単にできるのに。惜しい惜しい。

 


また孵化!

2015-09-19 | ルリタテハ

9月14日(月)に採取したた卵2個のうち,2つめが孵化。野外での観察経過を考えると,まさに今が孵化のラッシュ時といった感じがします。この2つめの記録を載せておきます。

9月16日(水)。朝見ると,全体が白っぽくて,「孵化近し」を予感。


9月17日(木)。この個体もまた,虫の知らせなのか,偶然目撃することに。頭部や毛が確認できます。間もなく孵化が始まりそう。

 
卵の上に穴が開けられ,幼虫の頭が出てきました。外気を吸った瞬間。


ぐうっとからだを伸ばして……。 


着地しようとして……。 


脚が着いて,からだが完全に出て……。 


幼虫は殻から離れて行きました。 


大変化が無事に終了。一連の動きはじつに無駄のないものに見えました。何度観察しても飽きません。いのちの誕生物語はいつも感動的です。