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一次避難場所は志津川小学校体育館でした、
志小体育館で一ヶ月ほど...”不安と心配さに”気持がち落ち着かない日が続きました、
少しずつ...全国の皆さんに”支えられてるなと”思うように感じてきたのは数日過ぎてからでした、
家族4人全員無事に安堵したことがなによりでしたが、
でも体育館での避難生活に入ると心配事が...父94歳母88歳が上手くこの生活に耐え切れるかと。
でも上の写真見ていただくと分かりますが私たちが心配するほどでもなく、
その状況と状態に高齢ながらも体が順応することに気づきました。
しかし高齢者にとって避難所の環境に、いつ体調を崩すかハラハラでした。
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南三陸町が二次避難先として高齢者、障害者、乳幼児等の家族を募集し、第一陣として応募しました。
今現在は南三陸から車で2時間ほどの鳴子温泉施設に二次避難しています。
私はと申しますと...週4日ほど南三陸へ仕事への模索と情報収集と、
しかし何も無くなった町に変化なし、いまだ行方不明者の捜索がつづいています。
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