東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

平成22年度 わがまちげんき発展事業報告会に参加して

2011年03月27日 18時18分01秒 | 日記
 今日は、いよいよ 発表の日。朝7時前に家を出ました。福井では 車の上に 4センチほど 積もっていたので 勝山では もっとあるだろうと 思っていましたが、今日は 勝山の方が 少なかった様に思います。8時半 市長の挨拶の後 発表が始まりました。私が 発表する のは 協働提案の部という事で一団体だけでしたので、一番先に 登壇させて 頂きました。それに続いて 一般提案の部が 21団体あり一団体 制限時間は 4分でしたが 出入りや 質問を合わせ2時間あまり かかりました。 東山いこいの森へ 来られる 家族連れの 方々にも 勝山で いろいろ 体験していただける 企画も ありましたので 随時お知らせさせて頂き、恐竜博物館だけでなく 連泊して 頂いて 楽しんでいただければと 思いました。 その後、魅力あるまちづくりへ!平成23年度「わがまち魅力醸成事業」の説明会が ありました。エコミュージアムによる市民の主体的な活動を応援します。として 対象事業に対しての 助成の説明でした。 私も 失なわれゆく五所ケ原の歴史、文化など 今生きている人から 聞いて文章にして残しておきたいとの 思いがあり それには 「新規チャレンジ事業の部」という 制度が あるとの事ですので、申請をさせて頂こうと 思って聞かせて 頂きました。この ブログにも 何回か とり上げました 資料集めなど ぼちぼち始めていますが、正式に 申請をして 具体的に 事を 起こして行こうと 思っています。    今日の発表は 4分間という 決められた時間範囲の中でしたので、伝え 足りない点も 多く もう少し ゆっくり説明させて 頂きたく 思いました。 これより 発表文を 書きます。 勝山市青年団体連絡会と 谷はやし込み保存会の協働提案の部の事業報告をさせて いただきます。事業の概要としては 「谷のお面さん」に合わせて、雪像作りをして 雪と親しみ、お寺の囲炉裏を囲んで「山の幸」や「冬のおば〔年寄りのおばあちゃんたち〕の味」を大人たちと一緒に味わう。又、栃餅つきや 昔のゲームの体験ツアーを実施する事により、次世代を担う少年少女たちに勝山で発掘された遺産を認識して頂く。という事で 活動内容を 簡単に説明させて頂きますと、22年4月18日、年度総会を 勝山青年団連絡会の方と 谷集会場で させていただきました。5月。フキ、ウド、ゼンマイ、など山菜の採集、保存加工。10月、カヤの実、栃、クルミ、クリの実などの採集。11月。雪像祭りの会議。栃の実の皮剥きなど。12月サバのなれ寿司の準備。1月。雪像作りの打ち合わせ。サバのなれ寿司の試食会。2月11日。雪像作り。雪像にかぶせる お面やゴザ帽子、餅つき道具や、材料の確認。 12日。雪像作り。お面、ゴザ帽子の取り付け。栃餅つきの準備。13日。朝 雪像の雪払い。道踏み。お面さんの参拝準備。9時より 集会場で参拝出来る様にしました。 昼、1時 お寺で お勤めがあり お参り。2時より、神社で 年初めの 神事に参拝。 夕方5時。雪像、箱形雪穴に ロウソクの点灯。5時半お寺で 栃餅つき。6じから8時。お寺の大きな 囲炉裏に炭を入れ、赤々と燃える囲炉裏を囲んで、栃餅や おばたちが 心を込めて作った、保存食の山菜料理。サバのなれ寿司、カヤの実、クリ、クルミ、銀杏など 頂きながら 昔の思い出話など 語り合い、その場に同席している 少年少女たちにも 伝えていきました。宝引きなど 昔遊びを例年は 行うのですが 今年は 時間の都合上 出来ませんでした。 14日。後片付けをしました。  事業に取り組んでよかった点。     この度は 東北沖地震で 日本沈没の様な騒ぎになっていますが このエコミュージアムに参加させて頂いた事で改めて 感謝に思う事は 、谷のお面さん祭りは 谷集落は 限界集落で、残った年寄りだけでは やっていけなくなりました。そこへ 青年団連絡会。そして 北谷子供の村小学校などの協力を得て、谷に伝わる、山菜の保存食作りの 材料の採集から 体験していただきました。このことは 、万が一 災害に見まわれ 電気やガスなど ライフラインが アウトになっても 薪や炭、があり 保存食を作る技術が 伝承むされていって、それを作るだけの 人でがあれば、みんなで 協力して 暮らしていけるのではと 思いました。これからは イベントとしてでは無く、もっと普段の生活の中に このスローライフを 取り入れていくべきだと 思いました。   今後の課題、改善点。   山菜などは 自然に あるものを 採ればいいと 言っても 昔の様に 田や畑の周りの草を刈ったり、肥料用のネグサ場や、屋根用の萱場、炭焼きもしなくなったので、山菜の出る範囲が 狭くなって終いました。荒廃した 野山を手入れし、山菜や木の実が 育ちやすい環境を 作って行く事は、人々が暮らして行くうえでも 大切な事だと 思います。 以上で報告を終わります。有難うございました。