平成24年度わがまち魅力醸成事業報告会の資料作りで
今一度、小林先生にお借りした、ご本を読み返しています。
シコクビエは、日本の四国では、栽培事例が少なく、
「シコクビエ」という呼称を使わず、穂の形から、ヤツマタビエ、マタビエ、ヤツマタ、
と呼ばれている。インターネット上では、「四石稗」と表記してあるものもあります。
橘氏が「白山麓の焼畑農耕」の本を書かれた時には、
未だそこまでは、確定していなかった様ですが、
橘氏は、本の中で、白山麓白峰では、豊年時には反当たり、
四石に達したと付記しておくと書かれていますので、
其の後の本には、四石稗と表記される様になったのかも知れません。
白山麓では、穂の形がカモの足に似ている事から
カモアシ、カマシ、と言われる事が多く、
北谷の御所ガ原では、天保14年(1833)越前藩士、高田保浄の紀行文、
「続白山紀行」に挿絵入りで「此辺より水田に見なれさる穀あり、
土人のいふ、又兵衛草とて種を取、団子に製し、食事とする由、
保浄云、又稗成るへし、この草自然生も有之、但たけ長からす、図下に出す。
と、あったそうです。
昨年の夏頃から、谷の村の人たちが、このマタベを再び栽培したのか
家にあった物を粉に挽いて、子供の頃に親にしてもらった様に
砂糖を混ぜて熱湯をかけて練って食べてみたら、美味しかったので
お面様祭りのオバの味として 食べてもらおうと考え
当日、紙コップに少量ですが、皆さんに試食して戴きました。
マタベは、稲、稗、粟の様に殻が有りません。
普通殻のある物は粉に挽くと量が減りますが
マタベは何故か、量が増える(一石が一石二升)になると書かれてあります。
他の穀物の粉と混ぜて使うと、粘り気やスベスベ感が出て美味しさが増し
色も赤みをおびて引き立つので 重宝がられたとも書いて有りました。
粉挽きには、手で回す石臼も使われましたが、小倉長良(おさなが)先生の書かれた、
「打波川流域の出作り制度とあゆみ」の中に御所ガ原では「ガッタリ」
と言っていたのは、「カラウス」で有った事も分かりました。
御所ガ原は、家々が離れていたり、近くても水口が違っていたので、
このカラウスは、殆んどの家に有りました。
打波川流域の出作りでは、カラウス小屋のある家は
少なかった様で、粟など精白するには、 借りたり、家族労働で
夜なべ仕事か、雨の日にホガチ臼と杵で搗き、唐箕(とうみ)に
かけて精白したと書かれてあります。
焼畑農耕は エコそのものですから、
今の感覚で考えると 大変な労力です。
昔の人々の暮らしと知恵に敬意を表し、
私たちが忘れている生き方を考えて行ければと 思っています。
今一度、小林先生にお借りした、ご本を読み返しています。
シコクビエは、日本の四国では、栽培事例が少なく、
「シコクビエ」という呼称を使わず、穂の形から、ヤツマタビエ、マタビエ、ヤツマタ、
と呼ばれている。インターネット上では、「四石稗」と表記してあるものもあります。
橘氏が「白山麓の焼畑農耕」の本を書かれた時には、
未だそこまでは、確定していなかった様ですが、
橘氏は、本の中で、白山麓白峰では、豊年時には反当たり、
四石に達したと付記しておくと書かれていますので、
其の後の本には、四石稗と表記される様になったのかも知れません。
白山麓では、穂の形がカモの足に似ている事から
カモアシ、カマシ、と言われる事が多く、
北谷の御所ガ原では、天保14年(1833)越前藩士、高田保浄の紀行文、
「続白山紀行」に挿絵入りで「此辺より水田に見なれさる穀あり、
土人のいふ、又兵衛草とて種を取、団子に製し、食事とする由、
保浄云、又稗成るへし、この草自然生も有之、但たけ長からす、図下に出す。
と、あったそうです。
昨年の夏頃から、谷の村の人たちが、このマタベを再び栽培したのか
家にあった物を粉に挽いて、子供の頃に親にしてもらった様に
砂糖を混ぜて熱湯をかけて練って食べてみたら、美味しかったので
お面様祭りのオバの味として 食べてもらおうと考え
当日、紙コップに少量ですが、皆さんに試食して戴きました。
マタベは、稲、稗、粟の様に殻が有りません。
普通殻のある物は粉に挽くと量が減りますが
マタベは何故か、量が増える(一石が一石二升)になると書かれてあります。
他の穀物の粉と混ぜて使うと、粘り気やスベスベ感が出て美味しさが増し
色も赤みをおびて引き立つので 重宝がられたとも書いて有りました。
粉挽きには、手で回す石臼も使われましたが、小倉長良(おさなが)先生の書かれた、
「打波川流域の出作り制度とあゆみ」の中に御所ガ原では「ガッタリ」
と言っていたのは、「カラウス」で有った事も分かりました。
御所ガ原は、家々が離れていたり、近くても水口が違っていたので、
このカラウスは、殆んどの家に有りました。
打波川流域の出作りでは、カラウス小屋のある家は
少なかった様で、粟など精白するには、 借りたり、家族労働で
夜なべ仕事か、雨の日にホガチ臼と杵で搗き、唐箕(とうみ)に
かけて精白したと書かれてあります。
焼畑農耕は エコそのものですから、
今の感覚で考えると 大変な労力です。
昔の人々の暮らしと知恵に敬意を表し、
私たちが忘れている生き方を考えて行ければと 思っています。