変色しかかった古いアルバム写真に写る姿はみな若く、頭には今からは想像もつかない量の髪の毛がありました。
オランダで10年に1度開かれる花の博覧会「フロリアード」
会場はそのつど新設され、終了後は都市公園として整備されるという。
国を挙げての博覧会なのです。
亡くなられた山喜農園の先代社長さんを団長に堀之内から9名、総勢13名でオランダに渡りました。
南回りで22時間半のフライト、家を出てからは33時間かかったと思います。
当時のヨーロッパはとても遠いところでした。
当時日本の花消費は「床の間」を中心にした「生け花」や「テーブル花」が中心でしたので、会場の花展示を見てそのスケールの大きさに圧倒されながら思ったことは「こうして飾れば花は会場の主役になる。大量に売れるな」ってことでした。
日本からは大勢の花関係者がここに行って同じように感じたと思います。
8年後の1990年には大阪で花の万博が開かれ、花は大量消費時代へと進んで行った様に思います。
広大な敷地にはほかの花も沢山展示してありましたが我々の関心はやはり「ユリ」で初めての上向きのオリエンタル「スターゲイザー」を見るのも目的の一つでした。
当時ユリといえば「紅の舞」を中心にした「透かしユリ」が中心の時代で、オリエンタルは「内田かのこゆり」、堀之内では「パシフィックハイブリット」が作られているくらいでした。
破けたジーパンに不釣合いなネクタイを締めていますが、当時海外に行くのはVIPで、パスポートに貼る写真はネクタイ姿が常識のころだったのです。
ちなみにその10年前、1972年のフロリアードには、滝沢久寛氏(滝沢種苗の前代表)と星野 伊氏(元農協参事)の二人が赴いています。
その後滝沢さんは、冷蔵庫とメリクロン育苗施設を作られ、自作品種を中心に大規模切花農家へと発展していきました。
農協でも球根冷蔵庫が建てられ、堀之内は抑制ユリ切花産地へと発展していくのです。
海外を見た人が自らも世の中も変えていく。
お二方は堀之内にとって、勝海舟であり伊藤博文なのです。
この次は(いつになるか?)旅の航程や広大な圃場、洗練されたオランダの農家(会社)のことも書いてみます。 つづく