ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

naniwaFEX 2008 EPISODE

2008年07月06日 | むかしばなし
大阪、地下鉄鶴見緑地線、鶴見緑地駅。
この駅を利用するのは実に18年ぶりである。



1982年のオランダ花博「フロリアード」が日本に花業界に与えた影響は大きかったと思う。
「日本でもこんな花博を」との機運が盛り上がったことは想像に難くない。

1990年、大阪「国際、花と緑の博覧会」

当時はまだ水田の残る新興住宅地「鶴見」に大規模な緑地公園を造成し、博覧会場は作られた。
地下鉄が会場まで掘られ、当時は鶴見緑地駅が終点だった。

開催期間中の6月20日から1月の間「堀の内のゆり」が会場の展示に使われた。
装飾を担当したのは「サトウ花店」さん
naniwaFEX会場でもお会いしましたが、18年の歳月は長く、昔話はできませんでした。

わが産地からもバスを仕立てて見学に行ったものでした。

会場の奥のほうにオーガスタの12番をコピーしたパー3が1ホールだけあって「ホールイン1チャレンジ」をしていた。
ゴルフを始めたばかりのころだったので挑戦したかったのだが、前もって申し込んで抽選に当たらないとできない。
歯がゆい思いで見ていたものでした。

「竜神雷神」と言う立って乗るコースターがあって、遊園地としても人気でした。


そのころ堀の内では、花博にちなんで青年花卉研究会主催による「フラワーフェスティバル」が開催された。
かつて無い大掛かりな装飾はオランダのフロリアードの影響を受けたもので当時大きな話題になった。

バブル景気絶頂期の花博。
花博景気もあいまって花消費は活気に満ちていた時期でした。
             
9月になり、会場で品評会がありました。
「何かしらの賞に入れば立派なものさ」と言われ「紅の舞」を出品した。

種球に使った大球を使用したとっても立派なものを出品した。

「銀賞」
通知を聞いて、居ても立ってもいられなくなった。

夜8時代の汽車で長岡へ。 北陸回りの夜行に乗りました。
寝台は満席で、席も無く、通路に新聞紙を敷いて座ったまま眠れずに大阪へ。
早朝の鶴見緑地駅に降りた。

開門前の行列に並び「咲くや此の花館へ」
他にも堀之内からもたくさんの出品があり、もちろん「金賞」受賞もありました。

その日は他のパビリオンをほとんど観ずに自分の「銀賞、紅の舞」の周りを行ったり来たりして過したように記憶している。

午後になって新幹線に乗った。東京回り。

夜遅くに家に着いた。
古い日記を見ると「26時間の旅」と題した紀行文があった。

記念の銀メダルをもらったのだが見当たらない。
メダルよりも一人で旅した記憶のほうが光っているのです。
http://blog.goo.ne.jp/horinouchi-lily/e/08fa5a9a851bbee31d99a4ff31130ad7

コメント (2)
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