21年前のオランダ行きはなぜか越後堀之内駅からスタートしていた。
それにしても、、、、濃いメンバーだ、しかも若い。
シベリア上空。 冷戦が終わって大陸の上空を飛べるようになったころだ。
前は北回りアンカレッジ経由で16時間もかかったところが12時間程度で行けるようになった。
2回目のオランダ、格好もラフだ。 それにしても濃いメンバーだ。しかも若い。
ウエストランド花市場。
説明してくれたのは、、、21年前のフランスオーニング。若い、ハンサム、ダンディ。
巨大な市場だがセリ場は時計が2台程度、ひな壇も大勢ではない。が、セリ部屋がいく部屋もある。セリ人の掛け声はなくて静かだ。
近くのPO社。ユリ農家には一番なじみの会社だ。
球根洗浄能力、精度の高さは一番という説明だったような記憶だが、驚いたのは冷蔵庫とその管理。
おなじみの5箱積みのパレットではなくて2箱積みのパレットだ。つまり、各箱の3面は必ず冷気にあたるので温度むらが少ない。出荷時に積み替えるそうだ。
しかも同じロットでも掘り取り順に管理されている。充実度の高い球根が長期抑制に向けられる。
1992年、平成4年、バブル崩壊後とは言え花業界はまだまだ絶頂期、特にオリエンタルユリは超ヒット商品だ。
次々品種が紹介され、倍々ゲームで売り上げが伸びていた。
ユリでさえあれば作れば作るほど儲かった時代だった。そんな年のオランダ行きだった。
31年前のオランダ行きは以前に紹介してあるが、比べると違いがよくわかる。
1982年初めてのオランダ 1 http://blog.goo.ne.jp/hikarabinotiti/d/20080206
1982年初めてのオランダ 2 http://blog.goo.ne.jp/hikarabinotiti/d/20080209
1982年初めてのオランダ 3 http://blog.goo.ne.jp/hikarabinotiti/d/20080214
1982年初めてのオランダ 4 http://blog.goo.ne.jp/hikarabinotiti/d/20080228
1982年初めてのオランダ 5 http://blog.goo.ne.jp/hikarabinotiti/d/20080307
一番の違いは育種の進化だろう。たった10年の間にすさまじい勢いでカラフルであか抜けたユリに変わっている。
キュウケンホフリリーパレード。この会場だけでなんと180枚の写真が残っている。
それほど品種を見ていたことになる。
アカプルコ
SHISHI
スターファイター
アメリカ
アントンヘーシンク
エリート
カスケード
ガリレイ
スタードリフト
タヒチ
メロースター
ダムブランチ
ティバー
ニッポン
ビバルディ
ヒルデ
プロント
ベアトリックス
ペサロ 夏には全部奇形になったっけ。
ベルリン
リボルノ
今も人気のマルコポーロ
ベルガモだ。作ってみたら地這いになった。
アーリアンス
ローラリー、なつかしい。
リガタ
ルレーブ
一目で惚れ込んでしまったのが バルバレスコ ルージュのような色にみんなが虜なった。
今も健在の品種、作っては見たものの蒸し暑い魚沼の気候には向かなかった品種、待ってたが日本には入ってこなかった品種。
たくさんの男、じゃない品種が通り過ぎたが決して見た目だけに惚れてはいけないという教訓は残したはずだが、今もそれは生かされていない。それほど品種には魔力があるのだ。
すごい品種品目に圧倒されたキュウケンホフ公園のリリーパレードでした。 つづく。