ほとんど眠れずに病室で迎えた11月2日 朝。
ようやく誕生日だ。満60歳になれた。 この日が来るのをずっと待っていた。
何年か前、同級生が次々この世を去って落ち込んだ頃、誰かが呟いた一言 「 60の坂はきついんだな 」
その一言が苦になって何とか60歳を無事に迎えたかった。
きつい坂でも登った後はしばらく平坦な道が続くそうだ。
一昨日11月1日の朝の気温は1度。1並びにまた1を並べるほど冷え込んだ朝。
大正15年(昭和1年)1月11日生まれ、1並びの日に生まれたのうちの爺さん。
11月1日の朝に突然息ができないほどにゼーゼーと苦しみだした。 夕べは晩酌もしたのに。
病院に連れていくと心不全と肺に少し水がたまっているらしい。早速入院。
手続きを済ませて家に帰ると 「 様態急変、すぐに来い 」
駆けつけるとすでに人工呼吸、すぐに婆さんを呼ぶ。
延命治療はするなと言われているので家族全員の中で呼吸器を外す。
最後の力でいびきをかく、、、、
一度は止まりかけた心臓は自力の呼吸で酸素を取り入れてきちんと脈を打っている。
もともと生命力のある人だけが生き残った年代の91歳。
生きる意志はまだまだしっかり有るようだ。
ほとんど眠れずに病室で迎えた11月2日、誕生日の朝。
脈拍、血圧、血中酸素量、呼吸数、、、、昨日より正常だ。
埼玉から駆け付けた姉と変わってもらって仕事に帰る。
子供たちも見舞いに帰って励ます。
2晩目もタンが絡んで吸引してもらうだけで容態は変わらず。
こうなるとこちらも欲が出て 「 4日にアメリカからもう一人の姉が帰るまで死ぬな 」と叱咤する。
11月3日。晴れの得意日だ。
雨続きの年もここに来てようやく晴れ間が出ている。
約10000株のウルイ掘り取り。1500箱の予定だ。
同時に来年用の畑に堆肥撒きも再開。
昨日今日のドタバタの中でも優秀な従業員に恵まれたおかげでかなりの掘り取りが進んだ。
ハウス作の最終作、トゥーレイガが始まった。秀品。
一年中災害のような悪天候の年の最後の最後に完璧な出来だ。
4日はヒカラビ君も定期演奏会http://www.rikkyo.ne.jp/sgrp/glee/sns.html
初のソロパートを歌うそうだ。残念ながら聴きに行けない。
極貧の山奥で生まれ、高等小学校を出てすぐに東京に奉公、戦争に行きかけたところで終戦。
戦後すぐに花を作り始め、ずっとこの世界で生きてきた人。
後進の道を閉ざさない。これがこの人の歩く道なのだなと、ありがたく思う。