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映画 「たそがれ清兵衛」 に出てくる幕末の頃の山形の暮らしには昔懐かしいシーンが出てくる。
焚き木を背負って山から出てきたり、囲炉裏に鍋がかかっているシーン。
子供の頃のわずかな記憶では、プロパンガスなどは無く、囲炉裏端で家族が集まって煮炊きをして丸い「ちゃぶ台」で飯を食った。
年寄りは食い終わった後、茶碗にお湯を注いでコウコウでくるりと茶碗を洗い、その湯を飲むとそのまま箱膳に仕舞う。
囲炉裏の脇には「キジリ」(キジャリ)と呼ばれる、杉っ葉やボイ(焚き木)のストック場所があった。
芋、クルミや渋柿を焼いて食うのが子供のおやつだった。
さすがに電灯はあったが、、、
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井戸からは手漕ぎのポンプで長いトヨで流し台の隣の風呂桶に水を汲むのが子供の役目だった。
風呂焚きも子供の仕事だった。
春先には、 「はるきやま」と言って、山の斜面の雑木をなたで切り落として束ねて家まで背負った記憶がある。
どこの家にもボイやコロ(薪)を積み上げてカヤで屋根をかけた「ニュウ」と言うものがあった。
何年かおきに切られるので雑木も小さく、雪の重みで山が抜けることも少なかった。
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幕末と父の子供の頃とはちょうど100年のタイムラグがあるのにあまり暮らしは変わっていなかったのだな。
などと昔を思いながら、クロカンです。
山まで登ってみたがきのこは出ていません。
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スケーティングでかなりの登りも行けちゃうしスピードも出る。
でも下りは難しい。
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畑じゅう飛び回って汗びっしょりになってしまった。
足より腕のほうがだるい。ちから加減が間違っているのかも。
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初 「ふうきんとぅ」 ゲットでした。
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小高の同級生の家にはマージャンに行きました。
もう30年以上前のことです。
またガスを掘る時代が来るかも?
楢枯れはほとんどです、大きな木ほど。
友人が撒きストーブを入れるそうで、うらやましい。
杉林はひどい木が多いので薪には事欠かないでしょうが、杉はあまり良い薪ではないように聞いてますが、雑木だと切り出すのが大変でしょうね?
ランプは屋根裏で発見して学校に寄付したと思ったが、、、
今で言う、コンポスト、見たいなもんだけど。
あれって、いいシステムだと思うけどね、、、、。
私は中学1年の遠足で原から山を越えて油田の有った所へ行きましたとさ 失礼しました。
私の記憶では4-50年前までは春お山で芝刈りをしていました、
田麦山では私が小学校の頃 石油 ガスがでてなくなりましたとさ。
最近はファッションとして昔の暮らしを楽しむ方が居られますが、まことに贅沢な話と感じております。
それにしてもブログを拝見するたびにナラ枯れ被害が拡大しているのを感じております。
自然界の仕組みは我々には理解できませんけれど、何らかの警告でなんでしょうね。
私は「らんぷ」の記憶が有ります。