ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

棚田巡り

2013年04月17日 | 観察

 14日、日曜日、高田に行く途中の回り道ドライブ。

昔から、山回りのドライブが好きであちこちを回ってはいるが、頸城地方はあまり来たことが無い。

河がどちらに向かって流れているのか方向音痴になりやすい地形で、なんとなくラビリンスだ。

国道253号線を松代まで、そこから山に向かって国道403号線を選んだ。

峰づたいに小さな集落が点在しその両脇から谷に向かって棚田が続く。

冬はどうしているのかと心配にはなるが、どっこい雪の量は魚沼よりも少ないらしく山桜が咲くほど雪解けは進んでいた。

峠を越すと上越市大島区。旧大島村、日本のチロルと銘打った山村に出る。景色は全く今までと変わらない両側棚田の風景。

でも、見え隠れする棚田には草が生い茂って荒れている、そのうえゴミの投棄場所に、、、、

もう一つ峠を越えると旧安塚町だ。沢の奥にはゲレンデの評判がすこぶる良いキューピットバレイと言う大きなスキー場があるがはたして交通の便はいかがなものだろうか。

雪だるま高原と銘打っているが雪は少ないようだ。見える景色は全く同じで山肌には荒れた棚田の跡、、、、

国道405号線に変わってまた峠を越すと旧牧村、ここはあのプロゴルファー金井清一のふるさとだ。

彼はこの地から東京のラジオ店に就職しサラリーマンゴルファーからプロになって青木功やジャンボ尾崎のライバルで公式戦男と呼ばれるまでの活躍をした。

今だ新潟県からは彼を超えるゴルファーが出ないのは残念だ。

少し山が穏やかな傾斜なのか利用している棚田があって少しほっとする。

人類が誕生して何万年もの間、エネルギーはマキと炭だけだった。

人類はエネルギーを求めて山へ山へと移り住み、山奥ほど豊かだった。

山は富の象徴で、山を多く持つほど旦那様だった。

稲作が始まって人は山を切り開き、わずかな水を利用して棚田を作った。

たった100年足らず前からエネルギーは化石燃料に変わった。

職を求めて人は里へ通勤するようになる。

牧村からは上越市街が見える。平野はすぐそこなのだ。

 頸城群の合併はとても理にかなっている。

松代町、松之山村は渋海川水系だ。川は十日町を経て旧小国町、旧越路町を経て長岡に下る。

通勤圏も十日町の方が近いので十日町市になった。

そのほかの町村は水系も通勤の利便性も良い上越市に編入されて、旧町村名をそのまま区名に変えて名を残している。

しかも中心になる市は大きくて財政面でのリーダーシップが取れている。

残った人にいろいろな思いはあろうものの、大枠ではあまり大きな違和感なく合併できたのではないだろうか。

 

平成の大合併時、一番先に合併協議会を立ち上げたのは北魚沼郡だった。

その後多くの町村が消え大きな市が誕生したが、後発の合併市は段階を踏んだり周辺との調整を経て合併している。

お隣の川口町は悩んだ挙句、長岡市に飛び地編入している。

急いで合併した割にぶら下がっていた合併特例債も思うように利用できないばかりかこれと言った前向きなビジョンも掲げられないまま人口も産業もへこみっぱなしだ。

急ぎすぎた感は否めない。

6月には市議会選挙があるが定数削減したのに立候補者が定数に足らないともっぱらの評判だ。

 

高田公園の桜は満開で見事と言うほかないがそれ以上に大変な人出とこのわずかな期間のために整えられた体制に目が行く。

中心部にはなるべく車が入らないようにして周辺のショッピングモールからシャトルバスを出す。

多くの人が帰りに買い物をするだろうから相互メリットはあるだろう。

うまい方法って世の中にはたくさんあるような気がする。

 

 

 

 

 

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