●今日の一枚 412●
Steely Dan
Aja
ジャケットのミステリアスな女性は、世界的に活躍したファッションモデルの山口小夜子さんである。パリコレクションにアジア人で初めて起用され、1977年には『ニューズウィーク』の世界のトップモデル6人も選ばれた人だ。その山口小夜子さんも2007年に亡くなってしまった。
高校生や大学生の頃、夢中になっていても不思議ではなかった。私がこのアルバムに出合ったのはずっと後のことだ。ラジオでグループの名を何度も聞いた記憶は確かにある。しかし、コルトレーンを中心に生々しい音楽をフォローしていた当時の私にはピンとこなかったのかもしれない。このサウンドに共感するには、当時の私はあまりに子どもで、あまりに貧しかったというべきかもしれない。
スティーリー・ダンの1977年作品、『彩(エイジャ)』である。スティーリー・ダンは、ドナルド・フェイゲン とウォルター・ベッカーを中心に、その都度いろいろなスタジオミュージャンたちによって構成されたユニットである。高度な演奏技術と複雑なアンサンブル、そして録音技術への深い造詣をベースに、ソウルやファンクとジャズを融合させたサウンドで、独特の世界を形作っている。このアルバムでも、ウエイン・ショーターやスティーヴ・ガットというジャズ畑のミュージシャンが起用され、重要な役割を果たしている。もう30年以上前の、あるいは40年近く前の作品だということに、改めて驚かされる。
現在でも聴く数少ないロック作品のひとつだ。リアルタイムで聴いたアルバムではないのに、不思議なことだ。ここ数年、時々スティーリー・ダンを聴く。この『彩(エイジャ)』と『ガウチョ』がよく聴くアルバムだ。彼らがやろうとしていたこと、めざしていた方向性、時代の中での革新性と位置づけが、今になってよくわかる。今となっては、リアルタイムで聴かなかったことが悔やまれる。そのサウンドの意義を理解できなかったことが口惜しい。同時代にスティーリー・ダンときちんと出合っていたなら、私の青春は何かもっと違うものになっていたかもしれないと思うことすらある。
●今日の一枚 407●
酒井俊
あいあむゆう (I Am You)
7時過ぎにおきた妻が、早起きして黙とうしなかったことを悔いていた。妻のそういう誠実なところが好きだ。阪神淡路大震災から20年目だ。地震はわずか15秒程度であったという。たった15秒程度の地震が神戸をあのような惨状にしたのだ。戦場だと思った。テレビの映像で見た時、戦争が起きたようだと思った。けれども落ち着いて考えれば、やはり戦争などではないのだ。震災はそのあとに被災者を救出しようとすることができる。途方に暮れ、悲しむことができる。戦争は引き続きやってくる爆撃におびえ、逃げ惑うしかないのだ。あるいはこうもいえる。地震は不可抗力だ。避けることはできない。防災の努力によって被害を最小限にとどめることができるのみだ。しかし戦争は、人間の想いと、知恵と、勇気によってくい止めることができる。その可能性があるのだ。だからこそ・・・、戦争を決して許してはならない。辛酸をなめるのはいつも民衆だ。
震災の日の夜は満月だったという。酒井俊には震災を歌った「満月の夕べ」という名曲・名唱もあるが(→「四丁目の犬」、→「満月の夕べ」)、今日は違う作品を取り上げたい。2001年作品の『あいあむゆう(I Am You)』である。録音は1999年と2000年のようだ。冒頭とラストに配された2つの「グレープフルーツムーン」をしみじみと聴きたい。トム・ウェイツの名曲を、日本人が日本人のために歌った好演だ。酒井俊の歌う横文字の歌はちょっと演歌チックだ。それを日本的な貧困だと片づけてしまう評価もあるだろう。けれども、それはよりリアルな表現を求めた結果なのだと思う。おそらく、酒井俊はそのこと自覚している。演歌やジャズや洋楽や邦楽といったカテゴリーはどうでもいいのだ。日本人の歌手としての自身が、日本人の聴衆にむけてどのように表現するか、それが酒井俊のテーマだ。彼女のライブを聴きにいくと、そのことが本当によくわかる。「表現」のために、グローバリズムを潔く断念しているのだ。ジャズを歌ってジャズっぽくない、洋楽を歌って洋楽っぽくない。そのような批判を酒井俊は甘んじて受けるだろう。「表現」ということに対する矜持が、酒井俊には確かにある。その意味で、グローバリズムを断念した場所から、酒井俊の言葉は発せられている。グローバリズムを断念したところから、酒井俊の歌唱は生まれるのだ。
●今日の一枚 405●
Steve Kuhn
Temptation
一昨日、HCを務めるバスケットボール部の県大会で強豪チームに惨敗し、昨日と今日はしばらくぶりのお休みである。昨日は午前中から風呂屋にいってまったりした時間を過ごし、午後はオールジャパンの女子決勝をテレビで観戦した。今日は朝から必要な資料や文献を読みつつずっと書斎で音楽を聴いているのだが、午後になって風呂屋に行きたいという強い強い「誘惑」に駆られている。14:00からオールジャパン男子決勝の生中継もあるのだが、どうもこの誘惑には勝てそうもない感じがする。
スティーブ・キューンの2001年録音作品、『誘惑』、ヴィーナス盤である。ECM時代の透明感のあるスティーブ・キューンからすると、嘘のような力強い演奏である。ピアノの音が強い。ベースもゴリゴリである。ドラムスも存在感を誇示してやまない。しかし、ずっと聴いていると、アドリブ演奏の普通でなさに感銘を受ける。スピード感のある曲では十分すぎるスピード感をもって、スローな曲では狂おしいほど情感豊かに、普通でない独特の音使いによるアドリブが冴えわたる。
ところで、CDの帯の宣伝文にこう書いてある。
スティーブ・キューンのロマンティシズムがスローでもアップでもゴージャスにアドリブ展開され・・・・
ゴージャスなアドリブ展開って何だ。イメージがわかない。「ゴージャス」って「贅沢な」とか「豪華な」という意味ではないか。「ゴージャスにアドリブ展開され・・・」?????わからない。意味不明だ。
●今日の一枚 404●
Sonny Criss
Crisscraft
私の住む街では昨日成人式が行われたようだ。街中でも振り袖やスーツ姿の若者たちを見かけた。被災地ということで、TVでも私の街の成人式が映し出されたようだ。困難な時代ではあるが、幸多かれと祈るのみだ。
数十年前の私の成人式、貧乏学生の私はジーパンで参加するつもりで帰省した。何の準備もしていなかった。お金がなかったこともあったが、格式ばった行事へのアンチの気持ちもあった。そういう時代の雰囲気もあったのだ。しかし、祖母がそれを許さなかった。私を不憫に思ったのだろう。これで背広を買ってこいと、10万円を渡された。箪笥の奥のなけなしの貯金だった。私は事情を説明して固辞したが、祖母はきかなかった。結局、成人式前日の夕方、私は紳士服店で高価なグレーのスリーピースの背広を買った。閉店間際にもかかわらず、紳士服屋さんは丁寧な対応をしてくれ、閉店時間をオーバーしてズボンにきちんとしたすそ上げを施してくれた。もはや体型が変わって着ることはできないが、その背広は今でも捨てることができずにクローゼットの奥ににしまってある。来年は私の息子が成人式を迎える。息子に私のような屈折した思いがあるのかどうかはわからない。
今日の一枚は、哀愁のアルト奏者、ソニー・クリスの1975年録音作『クリスクラフト』である。サックスの音色が美しい。繊細でどこか弱々しいが、透明感があり、サウンドの中にくっきりと浮かび上がるようなアルトである。手元にある『ジャズ喫茶マスター、こだわりの名盤』(講談社+α文庫:1995)は、このアルバムのソニー・クリスのアルトを、「クリスの美しい高音は天まで届くようだ」と記している。まったく至言である。
ブルースらしいブルース。ジャズらしいジャズだ。変ないいかただか、品行方正で折り目正しい演奏に思える。きっと、まじめな人だったのだろう。そうでなければピストル自殺などしなかったはずだ。この作品から2年後の1977年に、ソニー・クリスは原因不明のピストル自殺でなくなってしまう。私がジャズを聴きはじめる前のことだ。彼の人生はもちろん彼自身のものだが、演奏を聴くたび彼が亡くなってしまったことを本当に残念に思う。
●今日の一枚 397●
Trio Montmartre
Casa Dolce Casa
希望が見えてきた。先日の記事に記したHDDからの想い出の救出の件である。HDDを初期化した方が良いのではないかと思い立ち、内蔵HDDのご機嫌が良い状態を見計らって外付けHDDに重要データのみを避難させ、思い切って内蔵HDDの完全初期化を実行してみた。・・・・ところがである。HDDは軽くなったものの、何度試みても「録画できません」のメッセージがでてくる。ガーン!しまった。勇み足だった。内蔵HDDは完全に壊れていたのだ。外付けHDDに避難させたデータを戻すことは無理のようだ。想い出救出の見通しは暗礁に乗り上げてしまった。目の前が真っ暗な気分だ。最終手段は、外付けHDDの再生状態で他の機器にアナログコピーできるかどうかかと考えていた。ところがである。職場の電気電子を専門とする同僚に聴いたところ、内蔵HDDの交換によって復旧する可能性があるという。もちろん、自己責任でである。webで検索すると、私と同じ機種で、同じような困難を抱え、内蔵HDD交換によって復旧に成功したレポートがいくつもあるではないか。しかも意外と簡単そうだ。ここまできたらチャレンジしかない。早速、Western Digital社の内蔵HDD(1TB)を注文した次第である。
ニルス・ランドーキー率いるトリオ・モンマルトルのセカンドアルバム、2001年録音作品の『ローマの想い出』である。耽美的な演奏である。ある種の耽美主義というものは、自意識過剰で、聴き手からするとちょっと恥ずかしいものもあったりする。しかも写真で見るニルス・ランドーキーは貴公子然としたすがすがしい感じのイケメンで、「ヨーロッパを旅するピアニスト」などと形容されているのだ。キザな奴だ。ふざけんな、冗談じゃないぜ、といいたいところである。ところが、どうも彼の演奏が嫌いになれない。悔しいが、いい演奏だと思う。狂おしい感じの①「素敵なあなた」もいいが、私は③「テスタテ」が好きだ。もごもごとこもるようなベースにはちょっと抵抗があるのだが、これが結果的にいい味をだしているのかもしれない。ニルスの明快なピアノの輪郭をより際立たせているからだ。超耽美的に始まった演奏が、アルバムの中盤から後半に進むにつれてしだいにダイナミックになっていくのがまた面白い。
HDDから救出したいビデオの中には、幼い頃のものや、小中高の学芸会や文化祭、運動会やピアノの発表会、また部活動の試合を録画した映像が多数含まれている。この記事を読んでいただいている皆様方には、重要な映像は、めんどくさがらず、光学ディスクほか、「有事」に損なわれる可能性の少ないメディアにバックアップしておくことを強くお勧めする。
☆今日の一枚 389☆
Stan Getz
The Dolphin
午後からバスケットボールの練習に付き合わねばならないが、午前中はフリーだ。明日までに新しい教材を形にしなければならないが、もう少しなので何とかなるだろう。生協で購入した京都小川珈琲店のプレミアムブレンドを飲みながら、ゆったりと流れる時間を楽しんでいる。時々ではあるが、こういう落ち着いた時間を過ごすことができるようになったのはここ数年だろうか。若い頃は、仕事や研究や部活動に忙殺される日々だった。書店に行くと、読みたい本、読まなければならない本の多さに、本棚に押し潰されそうになるような錯覚を覚えたものだ。いつも何かにせかされ、心の中はある意味で修羅だった。ただ、それでよかったのかもしれない、と今は思う。
スタン・ゲッツ晩年の作品、1981年録音作品の『ザ・ドルフィン』。サンフランシスコのキーストン・コーナーでのライブ録音盤である。こういう穏やかな時間を過ごすにはぴったりのアルバムだ。本当に時間がゆったりと流れる。②A Time For Loveが心にしみる。ゆったりとしたサウンドの流れの中で、実に情感豊かなセンチメンタルなテナーが響く。まったくいつもながら、アドリブ自体が一級品のメロディーのような流麗な演奏だ。
長男は大学バスケットボールの新人戦だ。ちょうど今頃、仙台でゲーム中だ。けれども観戦にはいかない。見たいとは思うが、もう息子の世界に足を踏み入れるべきではないと思うし、私自身が子離れをしなければならないと思っている。もう数年したら息子も私ももっと大人になり、違った心持ちで息子の試合を見ることができるかもしれない。
●今日の一枚 371●
The Style Council
Our favourite Shop
この土日は、私の住む街のみなと祭りだ。震災後の経済的状況が厳しいらしく、かつては2時間近くやっていた花火大会もわずか30分間のみだが、復興支援のボランティア団体などの参加もあって、それなりに盛況のようだ。かつてはお祭り男だった私だが、年齢とともに喧騒と人間関係がわずらわしくなり、現在ではほとんど祭りには参加しない「非国民」になってしまった。地元ケーブルテレビでの実況放映もほとんど視ず、会場へ足を運ぶこともないが、明日は次男が打囃子に出演するので送り迎えぐらいはしなければなるまいと思っている。
スタイル・カウンシルの1985年作品、『Our Favourite Shop』である。私はどちらかというと、前作の『Cafe Bleu』の方が好きなのだが、もちろんこのアルバムも悪くはない。ジャージーな部分は影を潜めたが、サウンド的にはソフィスティケートされてよりポップでスタイリッシュになった。ちょっと前にクルマのHDDに入れてから、よく聴くようになった。20数年ぶりだ。非常に洗練されたサウンドであるにもかかわらず、どこかに荒々しさの痕跡を残し、サッチャー政権へのアンチを隠そうとしなかった彼らのスタイルに私は好感をもつ。
スタイル・カウンシルが活躍した1980年代以降、世界も日本もその根幹が大きく変わってしまったようにみえる。例えば、経済における格差の拡大と、政治・社会における「右」へのシフトてある。50歳を過ぎて、そのことの意味をきちんと理解したいと思うようになった。昨年の秋ごろから、ミルトン・フリードマンを中心とする市場原理主義者と、それらを批判した書物を時間をみつけては読み続けている。仕事のために作業は遅々として進まず、また経済学素人の私にどれだけの理解ができるのか心もとないが、自分が生きてきた時代と自分の人生を確認する作業のひとつだと考えている。
◎今日の一枚 350◎
Stan Getz
Anniversary
このブログの中心になってしまった「今日の一枚」も、やっとというべきだろうか、今回で350枚目である。最初の「今日の一枚」のジョアン・ジルベルト『声とギター』のアップが2006年7月11日(火)だから、もう7年以上経過している。時間がたつのは実に早いものだ。小学6年生だった長男も、もう高校3年生である。1000枚ぐらいは簡単に取り上げられると根拠もなく考え、軽い気持ちではじめてしまったが、生来の怠け癖で何度も中断し、あの大地震と大津波なんかもあったりして、1000枚などは夢のまた夢である。平均すると、ブログのアップはCD、LPの増殖には全然及ばないようなので、自分の所有するアルバム全部を取り上げるのは、一生かかっても無理だということがはっきりとわかった。だからといって、もうやめようとも思わないので、これからもダラダラと更新することになるのだと思う。これからもよろしくお願いします。
※ ※ ※ ※ ※
350枚目の「今日の一枚」は、スタン・ゲッツの晩年の作品、1987年録音の『アニヴァーサリー』である。デンマークはコペンハーゲンの"カフェ・モンマルトル"でのライブ盤である。
バーソネルは、
Stan Getz(ta), Kenny baron(p),
Rufus Reid(b), Victor lewis(ds)
以前も取り上げたように、癌と戦いながら音楽活動を続けた晩年のゲッツについては、本領は若い頃の流れるようなアドリブ演奏にあるとして、その積極的な評価を留保するのが批評家筋の一般的傾向であろうか。また、例えば村上春樹氏が「その音楽はあまりに多くのことを語ろうとしているように、僕には感じられる。その文体はあまりにフルであり、そのヴォイスはあまりに緊密である」(『意味がなければスウィングはない』)と語るように、「人生の物語」の重さゆえに、日常的に愛好することを忌避するという人も多いようだ。
しかし、私は聴いてしまうのだ。特に、この"カフェ・モンマルトル" のライブはいい、名盤『ピープル・タイム』などに比べて深刻な雰囲気がない。日常生活の中で、時にはBGMとしても聴いている。いつもながら、流麗で淀みのないゲッツのテナーが堪能できるとともに、その温かく、デリケートな音色に魅了される。気分がいい。ただ、気分がいいといいながら、そこに人生の哀しみのようなものを感じてしまうのは、やはりゲッツの音楽の持つ"深さ" なのだろうか。
◎今日の一枚 348◎
Kazunori Takeda(武田和命)
Gentle November
恥ずかしながら、「武田和命」という人を最近まで知らなかった。ジャズ本で知ったのは半年ほど前のことだ。日本の伝説的テナーマンといわれる人だったのですね。ジャズの「伝説」が好きな私は、これはすぐに聴かねばならないと思ったわけだが、たまたま作品が再発売されていて、すぐに入手できた。これまでなら、なかなか手に入らなかったらしい。
武田和命は、1960年代に富樫雅彦・山下洋輔らと日本で最初のフリージャズバンドを組み、相倉久人氏をして「60年台初期の日本ジャズシーンでフリー・フォームのジャズを、頭からでなく、からだで最初にこなしたプレイヤーのひとり」と言わしめた男だ。1966年には、エルヴィン・ジョーンズと共演する機会を得、エルヴィンが認めた唯一の日本のジャズマンだったともいう。1967年、本田竹曠(p)、紙上 理(b)、渡辺文男(ds)と武田カルテットを結成してジャズ界の注目を集めるが、1970年代初め、彼は忽然と姿を消し、その後約10年間ジャズシーンに現れることはなかった。彼自身の弁によれば、その頃家庭を持ち、ジャズでは喰えなかったのでキャバレーのバンドやドサ廻りなどで生活をつないでいたのだというが、本当のところは「謎」のようだ。
1978年に東京のライブハウスでR&Bバンドで演奏しているところを「再発見」され、翌1979年、山下洋輔グループをバックに吹き込んだ初リーダアルバムがこのGentle Novemberである。ベースは国仲勝男、ドラムは森山威男である。武田は40歳だった。
感激だ。いい作品だと思う。コルトレーンの「バラード」を意識した作品である。私は、コルトレーンの「バラード」というアルバムをあまり好きではないのだが、武田のこの作品には興味深く耳を傾けられる。ひきつけられる、といった方が正確だろうか。何というのだろう。コルトレーンの作品をある意味、「模倣」しているように見えながら、そこには独特の「叙情性」が漂っている。音色や、音の強弱、間の作り方に、欧米人のセンチメンタリズムとは異なる、穏やかな叙情性が漂っている。音が、神経症的でないのだ。もしかしたら、それは日本人にしか表現できないような種類の叙情性かもしれない。
世界の一体化が現在ほどではなかった時代、この極東の地で、日本人がJazzを演奏する意味を問うことは、想像以上に大きな問題だったに違いない。それは、例えばスタン・ゲッツら白人が、もともと黒人音楽だったjazzを演奏し、その意味を問う苦悩より、ある意味で、深刻で大きな問題だったかもしれない。そう考えると、このGentle November は、日本人でしかできないJazzを表出した、奇跡的な作品のひとつ、といえるかもしれない。
武田和命は、1989年8月18日、食道ガンのため49歳の若さで帰らぬ人となった。生前、武田はソニー・ロリンズの影響を受けたといっていたらしいが、そうであればなおさら、彼自身が「生活のため」と語った、10年間の沈黙の意味が、今となっては興味深い。
◎今日の一枚 343◎
Stan Getz
Voyage
3連休は久々に完全に休んだ。さらに夏にほとんど無休で働いた代休を3日ほどぶつけて、完全休業をきめこんでいる。いい身分だ。とはいっても、やらなければならない仕事があり、半日は職場に行っているのだけれど・・・・。
書斎の天窓をあけて、青い空と白い雲を見ながら音楽を聴いている。こんなにゆっくりできているのは何か月ぶりだろうか。みんなが働いているのにこんなにのんびりして、ちょっと後ろめたい気持ちもあるが、とりあえずは気分がいい。
さあて何を聴こうかと迷った挙句、やはり今日はこれだ、と選んだのが、Stan Getzの1986年録音作、『Voyage』である。LP時代、レコード会社の関係だろうか、早い時期に廃盤となり、幻の名盤と呼ばれていた作品である。ずっと若い頃、手に入れようと何度も探したのだが見つからず、そのうち忘れてしまった。それでもどこか頭の片隅にあったようだ。たまたまwebで見つけて、ハッとし、購入したのはほんの1か月ほど前のことだ。
パーソネルは、
Stan Getz(ts), Kenny Barron(p), George Mraz(b),
Victor Lewis(ds), Babatunde(congas), の5人。
何という穏やかさだろうか。青い空と白い雲にはベストマッチなジャズだ。白い雲とともに、時間がゆっくりと流れていくようだ。自分自身を取り戻したと感じるのはこんな瞬間だ。何か、自分の細胞と世界がフィットしたような気分になる。私は世界の一部として包まれている。ありきたりだけれど、人生のいろいろな「うまくいかないこと」が些細なことのように思えてくる。もちろん、それでいろいろな問題が解決するわけではないのだけれど・・・・。
ゲッツのテナーは本当に穏やかな音色だ。決して深淵な音ではない。けれども、確実に人に安らぎを与えるような種類の柔らかで穏やかな音だ。私が好きなのは、④Dreamsと⑤Falling In Love。それから冒頭の①I Wanted To Sayもいい。ゲッツの柔らかで穏やかなテナーがふわふわした感じを与えず、サウンドに安定感をもたらしているのは、間違いなく、ジョージ・ムラーツのベースだ。柔らかな音色だけれど、しっかりとした芯のあるベースの音だ。ケニー・バロンのピアノも、もちろん瑞々しくて素晴らしい演奏だ。ただ、後の、例えば、『People Time』における演奏のような、ゲッツとの緊密な連動性はまだないように思う。しかし、そこに、そう『People Time』における演奏へと、間違いなく向かっている演奏だ。
もう1時間もすれば、世界は薄暗くなり、日暮れとなるだろう。ちょっと残念だが、もうすこしだけ、この青い空と白い雲のもと、穏やかな気持ちでゲッツを聴いていたい。
やっぱり、私はゲッツが好きだ。
☆今日の一枚 333☆
Sting
Nothing Like The Sun
スティングは、1980年代後半にジャズ風味のクォリティーの高いアルバムを連発した。かくいう私もこのころのスティングはよく聴いたし、現在でもたまに聴くことがある。現在という地点から見ても、決して古びていない作品だと思う。しかしどういうわけか、現在私がCDで所有しているアルバムはこの一枚のみである。これ以外のものはほとんどカセットテープである。何枚かLPを所有していた記憶があるがちょっと見当たらない。(実は、昨日、Book Offで『ソウル・ゲージ』の中古CDを買ったので、本当は持っているCDは2枚になった。だから突然スティングの記事を書こうとなどと思ったわけであるが・・・・。『ソウル・ゲージ』の中古CDは、なんと300円だった。)
スティングの1987年作品『ナッシング・ライク・ザ・サン』。もはや、スティングの名を元ポリスのベーシストなどと修飾する必要はあるまい。それほどまでに彼が切り開いてきた独自の音楽世界は質の高いものであったし、実際それによって、ポリスと同等かあるいはそれ以上の高い評価と大きな名声を獲得してきたからである。スティングは、1984年頃から、ジャズ・サックス奏者のブランフォード・マルサリスや、キーボード奏者のケニー・カークランドらと独自の音楽活動を開始したが、このアルバムはそれらの活動の最もソフィスティケートされた成果といってもいいだろう。例えば、ライブ・アルバムの『ブリング・オン・ザ・ナイト』などと比べると、荒々しさや生々しさ、ジャズ的な面白さは影をひそめるが、彼らの音楽をより整った形で楽しむことができる。スティングのしゃがれ声のボーカルもなかなか味わい深いものであるが、やはりサウンドに特別の風味を加味しているのはブランフォード・マルサリスのサックスであろう。
後藤雅洋氏の『ジャズ喫茶 四谷「いーぐる」の100枚』(集英社新書)は、1960年代から現在まで、後藤氏が経営するジャズ喫茶「いーぐる」を彩った名演&名曲を紹介した本であり、後藤氏自身もいつになくリラックスした語り口で興味深い。後藤氏は、この本の中でスティングの『ブリング・オン・ザ・ナイト』を取り上げているのだが、ブランフォード・マルサリスとケニー・カークランドの演奏について、「傑作に勘定していい演奏である」と高い評価を与えている。特に、ブランフォード・マルサリスについては多くの紙数が費やされており、次のような記述がなされている。
「デビュー当時、ブランフォードはウィントンの兄としての立場しかなかったが、次第に独自性を発揮するようになった。」
「ジャズ・アルバムとして受け取られることのない作品で、リーダーでもないとなれば、よい意味での自由奔放さが発揮できる。その気ままさがジャズマンとしてのブランフォードに火をつけた。リーダー作では弟のやることに対する対抗意識か、ちょっとばかりコンセプト先行の堅苦しい部分があったが、単なるプレーヤーに徹することのできる場面では、ホンネ出しまくりの、”ブリブリ”テナーマンに変身だ。」
私も基本的に同感である。
☆今日の一枚 331☆
Thelonious Monk
Thelonious himself
午後から時間が取れて、懸案の、岩手は大船渡のジャズ喫茶「h.イマジン」に行ってみたのは、今週の水曜日9月12日のことだった。この日は陸前高田の「奇跡の一本松」が切断・解体される日で、行く途中はまだ半分ほど木が残っていたのだが、帰りにみると、もうすでに木はなかった。
さて、「h.イマジン」である。大変お洒落でこぎれいな店である。震災後、このような店を復活・開店されたマスターの苦労がしのばれる。どこかの企業から寄贈されたというJBLのスピーカーが鎮座し、なかなかにしっかりとした店だった。私が行った時、音はやや小さめで、お洒落でソフト&メロウな女性ボーカルがかけられていた。女性ボーカルは誰だったのだろう。サリナ・ジョーンズのような気もするが、サウンド的にもう少し最近のものかもしれない。小一時間ほど滞在したが、しばらくぶりにゆったりと落ち着いた、気分の良い時間を過ごすことができた。私の家からはクルマで約1時間ほどなのでそうしばしば訪れることもできないだろうが、是非ともまた来てみたいと思わせる店だった。ただ、お洒落な音楽を聴き、気分が良いと感じながら、このJBLでセロニアス・モンクを大音響で聴きたいと痛切に思ってしまったのはなぜだろう。私の身体にもまだ多少はJazz極道の血が流れているということだろうか。あるいは単なる生来のへそ曲がりの故だろうか。
というわけで、今日の一枚はセロニアス・モンクの1957年録音作品『セロニアス・ヒムセルフ』である。モンクのような個性の強いプレーヤーはソロがその音楽性を知るのに最も適している、と言われるが、確かにそこに展開されているのはまぎれもなくモンクの世界である。不協和音の響きを確かめるように、ゆっくりと奏でるそのタイム感覚がたまらなく心地よい。予定調和的な演奏を拒絶するかのように、時折繰り出される奇怪なタッチの不協和音が、平穏な空間を歪ませるようでなかなかに小気味よい。「h.イマジン」で痛切に聴きたいと思ったモンク。帰宅後、書斎机上のブックシェル型スピーカー、BOSE125で大音響で聴いてしまった。
そういえば、最近ジャズ喫茶にいっていない。昔、通っていたジャズ喫茶はどうなったのだろうか。若いころに通った東京や名古屋のジャズ喫茶は多くは店をたたんだらしく、また遠くて確認するすべもない。比較的近隣のジャズ喫茶はどうなのだろう。聖地・一関の「ベイシー」にもしばらくいっていない。佐沼の「エルヴィン」や若柳の「ジャキ」、石巻の「クルーザー」は震災後一度もいっていない。どうなったのだろう。仙台の「カウント」や「カーボ」もよく通ったジャズ喫茶だ。同じく仙台の「アヴァン」はとても気に入っていたジャズ喫茶だった。もう店を閉めたとも噂で聞くが、本当のところはどうなのだろう。また、それぞれ数度しか行ったことはないのだけれど、古川の「花の館」、釜石の「タウンホール」、秋田の「ロンド」も思い出深いジャズ喫茶だ。いまでもかわらずやっているのだろうか。私の住む街にもかつてジャズ喫茶がいくつかあったのだが、今はもう一軒のみである。震災後は数度しか訪れていないが、もう少し顔をだしてみようか。
昔よく通ったジャズ喫茶。どこももう一度訪れて確認してみたい店ばかりである。それは恐らくは自分自身を確認する作業でもあるのだろう。私も、そういう年齢になったのだということか。
☆今日の一枚319☆
Sonny Clark
Cool Struttin'
Blue Note 1500番台の超有名盤である。印象的なジャケットは、アートとしての評価も高く、ジャズ喫茶全盛の時代には、ジャズ喫茶で毎日頻繁に流されたという伝説的作品である。現在でも、日本で最も売れるジャズアルバムのひとつらしい。私の持っているCDの帯にも「不滅の人気盤」、「ハードバップの聖典」、という言葉が書き記されている。しかし、日本では超人気盤でありながら、本国アメリカではまったくヒットせず、ソニー・クラークの名前すらほとんど知られていなかったようだ。ブルーノートの創設者アルフレッド・ライオンは、日本からこのアルバムの注文が殺到したことを不思議に思ったという程だ。
ところで、私がジャズ喫茶に通っていた1980年代には、もうその神話的な時代はとうに過ぎ去っており、実際、私はジャズ喫茶で一度もこのアルバムを聴いたことはない。私がその偉大な伝説を知っているのは、あくまで書物や伝聞による知識としてに過ぎない。だからわたしは、基本的にニュートラルな状態でこのアルバムに出合ったのであり、このアルバムに対してフェテッシュ(物神的)な何ものかを感じるわけでもはない。
このアルバムとはもちろん、ソニー・クラーク(p)の1958年録音作品、『クール・ストラッティン』である。アート・ファーマー(tp)、ジャッキー・マクリーン(as)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)といった有名どころがサイドメンとして参加している点からも注目すべき作品である。私も、好きか嫌いかと聞かれれば、ちょっと迷った後で、好きだと答えるだろう。ブルージーでファンキーなサウンドは基本的に好きだ。フレーズもかっこいいと思う。サイドメンたちの演奏も悪くない。では、このアルバムをよく聴くかと問われれば、残念ながらそれほどよく聴くわけではない。ブルージーで、ファンキーで、かっこいいサウンドでありながら、例えば表題曲(①Cool Struttin')を鈍臭く感じてしまうのはなぜだろう。すごく鈍臭く、凡庸に感じてしまう。恐らくは時代の制約なのだろう。「ちょっと迷った後で」といったのはそういう意味だ。私が好きなのは② Blue Minor 、出だしの疾走感がいい。途中でピアノソロのあたりから、失速してしまうのだか・・・・・。とても好きなテイストなのだが、今ひとつのれないことがある、というのが正直なところだ。どうやら、このアルバムは私にとって「普通のいい作品」のひとつということになりそうだ。
家族が寝静まった深夜に、仕事をしながら、あるいはウイスキーを片手に本を読みながら、音量をしぼって聴くのがいい。私にとってはそういうアルバムである。
●今日の一枚 307●
Sonny Rollins
What's New
とにかく楽しいアルバムである。リズムに身体を委ねるだけで、とにかく楽しい気分になれる。ソニー・ロリンズの1962年録音盤『ホワッツ・ニュー』である。アルバムジャケットに、brings to jazz a new rhythm from South America と記されているように、ロリンズがその音楽的ルーツののひとつである「カリプソ」のリズムをジャズに取り入れた作品である。「カリプソ」は、カリブ海に浮かぶ島々、特にトリニダード・トバゴのカーニバルで発達した音楽ジャンルであり、レゲエのルーツの1つともいわれる。リズムは4分の2拍子だ。その「カリプソ」のリズムの中、ロリンズはただ自由奔放にテナーを吹きまくる。その潔さと洪水のように溢れ出るメロディーにはただ脱帽するのみだ。ラテン系のリズムの中で、やはりこれはジャズなのだと思わせるようなテイストを付け加えているのはやはり、ジム・ホールのギターだろう。時に、ロリンズの「ラテン系」にしっかりと付き合いながら、オカズやソロではしっかりジャージーなプレイをする。ジム・ホールのソロでほっとしてしまうのは、やはり私が保守的だということなのだろうか。
人間は暗く重い状況の中でも身体を動かすことでハッピーな気分になれることがある。もちろん、それで問題が解決するわけではないが、それが生きる《元気》となることはあるだろう。《心》と身体はつながっているのだということを再認識させてくれるような一枚である。