今日、家族旅行の帰り、子どもたちと妻にせがまれて、映画『ゲド戦記』を見てきた。はっきりいって、作品が破綻しているし、この映画が撮られる必然性が理解できなかった。機会があれば、この映画に対する批評めいたことを記したいとは思っている。
しかし、そんなことより、監督・宮崎吾郎とは一体なんだ。妻に聞けば、宮崎駿の息子であるというではないか。何でも昔は親と子の確執があったとかで、きっといろいろ複雑な事情があったに違いない。しかし、スタジオジブリで映画を撮影するとはどういうことか。まったく、失望した。収益と話題性を考えねばならない鈴木プロデューサーはともかく、宮崎駿や吾郎本人は何をどう考えているのだろう。
省みるに、近年の日本は、世襲制国家あるいは家産制社会である。政治家しかり、芸能人しかり、今度は映画監督かという感じである。経済的な財産の世襲が当然のこととされている以上、エスタブリッシュメントをめざす人間にとっては、親の知名度やコネクションも重要な財産のひとつと考えられてもいたしかたないのだろう。
しかし、才能や能力を必要とする分野ぐらいは、フェアであってほしいと感情的に思ってしまう。まあ、二世議員や二世芸能人を受け入れてしまう有権者や視聴者のがわに問題があるのだろうが……。
やはり、我々は二世議員や芸能人あるいは二世監督に対して特に厳しくあらねばならないだろう。経済社会同様、淘汰することが必要である。それが真の良い政治、良い作品を生む土壌になるのだから……。