WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

強くなった楽天イーグルス

2007年06月08日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 170●

Jay Leonhart

Fly Me To The Moon 

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 最近更新が滞っていたのは、仕事がちょっとだけ忙しかったのと、楽天イーグルスがいい試合を続けているため、音楽をじっくり聴く余裕がなかったからだ。

  それにしても、今年の楽天イーグルスの変わりようは何だろう。今年のイーグルスは強くなった。勝率5割云々なんて夢のようだ。やはり、野村効果なのだろうか。勝っても負けてもいい試合をする。特に試合の後半でみせる粘りは、本当に感動ものだ。実際、負けていてもまだまだ勝負はわからないと思えるから不思議だ。仙台のファンは、弱い楽天にも惜しみない声援を送ってきた。応援からは、選手たちに気持ちよくプレーして欲しいという思いがありありと伝わってくる。本当に気持ちの良い応援だ。それは選手たちもわかっており、選手たちもさまざまな方法でそれに応えている。勝利したゲームの後、選手全員が並んでスタンドに挨拶するのもそうであるし、その日のヒーローがグランドを一周しつつファンと握手をするのもそうだ。そういう光景をみていると、やはり地元に球団があるということはいいものだ、としみじみ思う。山崎、フェルナンデスなどスター選手もでてきた。ミスター・イーグルス磯部もいいし、打撃の職人リックもいい。「必殺仕事人」高須の活躍もみごとだ。もちろんマー君も初々しくていいじゃないか。私は、山崎を「山ちゃん」、フェルナンデスを「フェルちゃん」と呼んで、ソフトバンク・ファンの息子といつも対抗しつつ応援している。今日はジャイアンツ戦だ。敵地での戦いだが、何とかがんばってもらいたい。3位以内に入って、プレーオフでパ・リーグ優勝、などということを夢想するのは私だけではないはずだ……。

 さて、ジェイ・レオンハートの2003年録音盤『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』である。サブタイトルに「レイ・ブラウンに捧ぐ」とあるように、ジェイ・レオンハートはレイ・ブラウン直系のベーシストであり、実際に指導を受けたこともあるようだ。彼はニューヨーク・トリオあるいはエディ・ヒギンズ・トリオのベーシストとして小気味よいプレーを聴かせるが、リーダー作のこのアルバムでもなかなか趣味のよいサウンドを作り出している。ドラムのない、ピアノ、ベース、ギターというトリオ編成がなんともいえずいい味をだしている。

 レイ・ブラウンはオスカー・ピーターソン・トリオのベーシストだったので、ピアニストにピ-ターソンに薫陶を受けたベニー・グリーンを抜擢したのはわかるような気がする。ギタリストのジョー・コーンはなんとアル・コーンの子息だということだ。出しゃばらないが、存在感のあるなかなかいいプレイをする。

 好きなサウンドだ。

  [追伸]イーグルスの応援にフルスタ宮城に行きたいのだけれど、なかなか時間がとれない。2年前の秋のホークス戦に行ったきりだ。下の写真は、その時携帯電話で撮影したものだ。何とバックネット裏の席だった。

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ダブル・レインボウ

2007年05月25日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 168●

Joe Henderson

Double Rainbow

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 陽気のせいか、近頃ボサノヴァづいている私であるが、今日の一枚もボサノヴァがらみ……。ジョー・ヘンダーソンの1994年録音作品『ダブル・レインボウ』、アントニオ・カルロス・ジョビン曲集である。「ダブル」とは前半がブラジルのミュージシャンによる編成、後半はアメリカのジャズミュージシャンによる編成と、タイプの違う2つの編成からなっているところからきていると思われる。ジョビンの楽曲をボサノヴァ的な演奏とよりジャズにひきつけた演奏との2つの視点から取り上げたものだが、もしかしたらLPのA面B面を意識したものでもあるのかも知れない。

 好きな一枚である。ジョーヘンの穏やかで温かみのある音色は、ボサノヴァには結構あうのではなかろうか。スタン・ゲッツの影響を受けたジョーヘンであれば当然のことなのかもしれないが、実際彼は次のように語っている。

「実は自分に、ボサ・ノヴァに敏感な一面があると感じている。実に柔らかな一面だ。……柔らかな雰囲気というのは私のとって格別のものだ。そうした曲をレコーディングしている時の私は、自分自身にも周りの世界にも、実に平和なものを感じていた。」

 ところで、この作品はジョビンの追悼アルバムとして発表されたようだ。雑誌やブログの多くの紹介記事もそういっており、タイトルにも「ジョビンに捧ぐ」とある。しかし、CDの帯に「ジョビンへの深い敬愛と哀悼を込めてブロウするジョー・ヘンダーソン最高の快演」とあるのはどうだろう。ちょっといただけない。Wikipediaによれば、アントニオ・カルロス・ジョビンが亡くなったのは1994年12月8日だ。それに対してこの『ダブル・レインボウ』は1994年9月19~20日と1994年11月5~6日に録音されている。つまり、ジョビンの死以前に録音されているわけだ。それを「哀悼を込めてブロウする」とは言えないだろう。いい加減なことをいわないでもらいたい。おとなげない言い方だが、宣伝はまっとうに行ってもらいたいものだ。この作品は、ジョビン追悼アルバムとして《 発売 》されたが、ジョビンを《 追悼 》する演奏ではないということだ。

 最近知ったことだが、ジョーヘンは1970年代にはブラス・ロックの雄、あのブラッド・スウェト & ティアーズに在籍していたのですね。ちょっと意外だ。


彼女はカリオカ

2007年05月16日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 165●

Joao Gilberto

Ela E' Carioca

Watercolors_14  先日Liveでボサノヴァを聴いて以来、ボサノヴァがマイブームである。5月も中旬、わが東北地方もだいぶ陽気がよくなってきた。ボサノヴァ日和である。

 というわけで、今日の一枚は、ボサノヴァのオリジネイター、ジョアン・ジルベルトがメキシコ滞在中の1970年に録音した『彼女はカリオカ』である。心にしみる美しい作品だ。耳の側でささやくようなジョアンの声がたまらない。鳥肌が立つ。

 Bossa Novaはポルトガル語で「新しい感覚」、「新しい傾向」といった意味らしく、1950年代後半に、リオ・デ・ジャネイロの海岸地区に住む中産階級の学生やミュージシャンたちによって生み出された音楽だ。ボサノヴァの創始には、作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライス、そして歌とギターのジョアン・ジルベルトの功績が大きい。特にジョアンは、、「ボサノヴァの神様」と呼ばれることもあり、バスルームに一日中閉じこもって、クラシックギターを弾きながら歌を歌い続け、サンバのリズムをギターだけで表現する独特の「ボッサ・ギター」の技法を発明したという伝説をもつ男だ。

 ボサノヴァのサウンドからはいつも涼しげな風が吹いてくるように感じる。だから私は、夏が近づくといつもボサノヴァを聴く。陽気のせいか、先日のLiveのせいか、今年はいつもより早くボサノヴァのシーズンがやってきたようだ。

[過去の記事] ジョアン・ジルベルト 『声とギター』


Songs From The heart

2007年04月07日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 151●

Johnny Hartman

Songs From The heart

Watercolors0001_12  おとといから、静かに聴くジョニー・ハートマンにちょっとはまってしまった

 ジョニー・ハートマン初期の作品、1955年録音の『ソングス・フロム・マイ・ハート』(Bethlehem)。若々しいジョニー・ハートマンの声がいい。ハートマンは1923年生まれなので、32歳の時の作品ということになる。古い録音だが、24bit Remaster のCDだからだろうか、音量を上げて聴くと彼特有の張りのある低音ヴォイスがびんびん響いてきて気持ちいい。コーン紙の震えがそのまま空気を伝わってきて、私の身体を共振させているかのような感覚を覚える。

 けれども一方、音量を絞って聴くハートマンもまた格別である。低くつぶやくように歌うクルーナー唱法がじわじわと身体にしみこんでくるようだ。バラードを中心とした構成とスモールコンボのバックがそれをより際立てている。ハワード・マギーのトランペットが大きくフューチャーされており、これがまたなかなかいい雰囲気をだしている。寛いだ、しかも繊細なフィーリングの音だ。夜中に、酒でも飲みながらじっくりと時間をかけて聴きたい一枚である。

 私はときどき思うのだけれど、ハイエンド・オーディオの臨場感溢れる音だけがいい音なのではない。時と場合によっては、あるいは聴く音楽によっては、古いラジオのスカスカのスピーカーからでてくる音の方が心に響くということもあるのだ。


I Just Dropped By To Say Hello

2007年04月05日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 150●

Johnny Hartman

I Just Dropped By To Say Hello

Watercolors_12  今、深夜の3時だ。昨夜は、妻と長男が実家に泊まりにいったため、次男と二人だった。ふたり残されたわれわれは、男同士の共犯関係のような感情で、妻たちに内緒で焼き肉屋で飯を食べ、サウナに行ってゆっくりと寛いだ。まだ小学3年生の次男は、私との秘密の行動にかなり満足したようで、帰宅するとすぐに眠ってしまった。わたしも一緒に寝たのだが、意に反して目が覚めてしまったのだ。

 ジョニー・ハートマンの1963年録音作品『アイ・ジャスト・ドロップト・バイ・トゥ・セイ・ハロー』(impulse) 、コルトレーンとの競演盤とほぼ同時期の録音だ。ジョニー・ハートマンのようなスタイルをクルーナーというのだそうだ。クルーナーとは、語りかけるようなソフトな発声でなめらかに歌うスタイルのことだ。ささやくようにゆったり、しっとりと歌うそのボーカルを聴いていると、もっと英語が理解できたなら、感動はさらに深まるだろうになどと思ってしまう。深夜で音量を絞って聴いているため、ハートマン独特の低音の響きを体感することはできないが、そのかわりクルーナー唱法の趣をじっくりと味わうことが出来る。ハンク・ジョーンズのピアノがリリカルですばらしい。ところどころで絶妙のアクセントをつけるケニー・バレルとジム・ホールのギターもなかなかいい。

 ところで、このアルバムを知ったのは比較的新しく、雑誌『サライ』2005.2.3号の特集「レコードを今こそ聴き直す」の中で、オーディオ評論家の菅野沖彦氏のレコード棚に飾ってあるのを見たのがきっかけだった。渋くて趣のあるジャケットだと感じたのだ。菅野氏はその記事の中で、レコードについて次のような傾聴すべき発言をされている。

「レコードを聴くには、盤面に触れないように丁寧にジャケットから出し、ターン・テーブルに載せて、針を慎重に置く。そうした一連の儀式が必要でした。レコードをかけるのは受身の行為ではなく、聴き手も参加する演奏行為なのです。」「プレーヤーの扱い方にも面白みがある。工夫次第で自分の好みの音が出せるんです。CDに比べて、人とのかかわりが濃密なんですね。」「大きくて目立つLPのジャケットは芸術性が高いうえ、時代の証言者でもある。レコードは音楽だけでなく、芸術や歴史をも含んだ、総合的な文化遺産なんです。」

 残念ながら、私がもっているのはCDだ。

[関連記事]ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン


4,5&6

2007年03月09日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 133●

Jackie Mclean     4, 5 and 6

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 ジャッキー・マクリーンがその73年の人生を終えたのは、そういえば去年の今頃だった。2006年3月31日、ジャッキー・マクリーン死去。ずいぶんと以前のことのように思っていたのだが、月日が流れるのははやいものだ。

 歌心溢れるソロでいつも我々を魅了してくれ、あの名曲「レフト・アローン」によって哀愁のアルト吹きというイメージの強い彼だが、意外にもその人生の軌跡を追うと、時代の流れに敏感に反応して自身の音楽を大胆に変化させていることがわかる。1950年代にチャーリー・パーカーの後継者的な評価を受けていた彼は、1960年代初頭まで、ファンキーなテイストも感じさせるハードバップ作品を多く残している。しかし、1960年代のマクリーンは、モードやフリージャズの影響をうけ、より大胆な演奏へと変化していく。以後マクリーンは多彩なミュージシャンと競演し、より自由で創造的な演奏を展開していく。ところが、1960年代末以後、マクリーンはジャズシーンの表舞台から忽然と姿を消すのである。1970年代の彼は何と大学の先生をしていたのだ。コネチカット州にあるハートフォード大学でジャズ理論やジャズ史を教え、アフロ・アメリカン音楽学部の学部長まで務めるのである。マクリーンは演奏活動をやめ、幻のミュージシャンとなったわけだ。晩年といっても1980年代以後だが、彼は再び演奏活動をはじめるのだが、その演奏はかつてのハード・バッパーの姿であった。フリーや大学での研究を通り抜け、マクリーンは自身のハードバップを再武装したのかもしれない。

 1956年録音の『4,5&6』(prestige)。マクリーンが、カルテット、クインテット、セクテットによる演奏を収録した一枚である。若い頃は、この作品のよさがわからず、退屈な演奏だと思っていた。年齢を重ねるにつれてこの作品がじわじわと心にあるいはからだに沁みてくるようになった。メロディーはスムーズに流れ、音色はどこまでも伸びやかである。もはや古い本だが、最近たまたま『名演 Modern Jazz』(講談社)のページをめくっていたら、この『4,5&6』についての次のような文章に出会い、「ほほう」と感じ入った。

 「……つまり弱冠24歳のマクリーンの演奏が聴けるわけだが、そのテーマの部分ではさながら海千山千のベテランの演奏のごとき余裕さえ感じられる。しかし、それがいったんアドリブパートに入るとどうだろうか。演奏はガラリと様相を変えて、”ぬきさしならぬ”といった気配をただよわせるのである。高い音域での鋭い音色が、それを一層助長する。ジャッキー・マクリーンの思いのたけがこめられたその”ぬきさしならぬ”一音一音は当然のごとく聴き手に手に汗をにぎらせる。……」


恋に落ちた時

2007年03月06日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 132●

Junior Mance    Ballads 2006

Watercolors0007_1  ジュニア・マンスの2005年録音盤(発表は2006年)、『恋に落ちた時』。ジュニア・マンスはこの作品について、「『ジュニア』と並ぶ出来になった」といって喜んだそうだが、そのことはふたつのことを示している。一つは、この作品が素晴らしい出来であるということ。もうひとつはジュニア・マンスというピアニストがデビュー作にして名作といわれる『ジュニア』という作品をずっと引きずって来たのだということだ。若い時分に素晴らしい作品を創造するという鮮烈な経験をすると、我々はしばしばそれを引きずって以後の人生を送ることがある。『ジュニア』という作品は、彼にとってそれほどまでに重要なものなのだろう。ジュニアは78歳になって自分自身を超え、あるいは更新したということなのだろうか。

 ところで『恋に落ちた時』だが、私は好きだ。CD帯にあるように「ジュニア・マンスの新たなる代表作」かどうかはわからないが、とにかく美しい作品だ。彼特有のブルースフィーリング溢れる雰囲気やスムーズなメロディーラインももちろんすばらしいが、この作品に関しては音の響き、和音のニュアンスが何ともいえずいい。Swing journar誌2006-6号で藤本史昭さんは「老境の芸術とはかくあるべしという見本」と記したが、そのやや大げさな表現も首肯できるほどにいい作品だと思う。新しい作品だけあって、録音もいい。

 


わたらせ

2007年01月23日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 118●

板橋文夫     WATARASE

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 板橋文夫の『わたらせ』……。1981年の録音で長らく廃盤状態だったが、やっと数年前にCD化された。誰が何といっても日本のジャズの名作である。「日本のジャズ」という言い方はフェアではないかもしれないが、まぎれもなくこの作品は、というより板橋文夫は、日本のジャズなのである。それほどまでに板橋は、日本的なものに、いや日本などという偏狭なものが生成する以前のもっとネイティブなものにこだわっている。

 以前にも記したが、数年前に隣町の小さなホールで見た板橋のコンサートは、衝撃的だった。金子友紀という若い民謡歌手が一緒だったが、民謡歌手の歌にあれ程の感動を受けるとは予想だにしなかった。板橋の演奏もすざまじかった。左手が創り出すうねるようなビートの中で右手のメロディーが自由自在にかけめぐっていく。時折使用するピアニカのブルースフィーリング溢れる響きもすごかった。魂が入ると、ピアニカなどという楽器があれほどまでに輝かしいサウンドをつくりだすとは、はっきりいって信じられなかった。

 さて、本作であるが、日本のジャズの名作である、と繰り返し叫びたい。同じくピアノソロで比較的近年の『一月三舟』とくらべると、演奏がややぎこちなく、たどたどしく聞こえる。それだけ、板橋の技術と音楽性が向上したとみることができるのだろうが、そのぎこちなさゆえに、かえってネイティブな雰囲気が伝わってくるという効果もある。岡林信康は「日本人のリズムはエンヤトットである」と語ったそうだが、板橋のピアノのずっと奥のほうでも「エンヤトット」は鳴り響いているように感じる。

[以前の記事] 一月三舟


心も身体もしびれる

2007年01月06日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 112●

John Coltrane & Johny Hartman

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 『ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマン』、1963年の録音である。この頃のコルトレーンといえば、1961年にインパルスに移籍し、フリー・ジャズへの方向を歩み始めた時期である。良く知られているように、この時期、コルトレーンはマウスピースが気に入らずに手を加えたらますます悪くなり、急速調の演奏も思いどうりに出来ず、代わりのマウスピースも入手できなかった。そのため、プロデューサーの提案で、『バラード』や『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』、そして本作 『ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマン』が録音されるわけである。そのような事情で成立した作品がこのような稀有な美しさをもったものになるとは、まさに奇跡的といえるかも知れない。

 ③ My One And Only Love は、この曲白眉の名演だと思っている。消え入りそうな高音が印象的なコルトレーンの繊細なソロにじっと耳を傾け感じ入っていると、満を持したようにジョニー・ハートマンのボーカルがはじまる。その低音はスピーカーのコーン紙を震わせ、空気を伝って私に届き、私の身体全体を震わせ、心を振るわせる。音が空気を伝わって私に届くことがはっきりと感じられ、鳥肌がたつ。胸がしめつけられ、切なさが身体全体にしみわたる。すごい演奏だ。生きていて良かった。人生って素晴らしい。そう思ってしまう。

  あなたを想うと私の心は歌いだす  

  春の翼に乗った四月のそよ風のように

  あなたは華やかな輝きに満ちてあらわれる

  あなたこそ私のただひとりの恋人…… 


ヴァーモントの月

2006年10月29日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 77●

Johnny Smith     Moonlight In Vermont

5550002  書斎の天窓から月が見える。半月に近い月だ。日曜日の夜ぐらい、しっとりとした雰囲気で月を眺めたいと思い、取り出したのが、最近買ったCD、ジョニー・スミスの1952年録音盤『ヴァーモントの月』だ。もちろん、ビールを飲みながらだ。

 ずっと昔の本だが(1986年刊、今でもでているのだろうか)、油井正一ジャズ ベスト・レコード・コレクション』(新潮文庫) の中で片岡義男がエッセイで紹介したのがこのアルバムだ。エッセイ自体は、気取った、意味のない、つまらないものだったが、レコードはなんとなく気になっていた。今回、「ジャズ決定盤1500」シリーズから廉価で発売されたので購入してみたわけだ。

 いかにも、1950年代のサウンドという感じだ。刺激的ではないが、悪くはない。解説を読むと、ジョニー・スミスという人は、繊細で正確なテクニック、美しい音色、技術的なアイデアの幅の広さ、といった点では超一流で、人気も他のギタリストたちより数倍上だったようだが、「セッションの醍醐味」というものが希薄で、次世代のジャズ・ギタリストに与えた影響が少なかったらしく、現在では「聴かれないギタリスト」になってしまったとのことだ。

 まだ、2度しか聴いていないのでよくわからないが、生活にしっとりとしたメローな雰囲気をもたらしてくれる音楽としては悪くない。できれば、アナログ・レコードで聴いてみたい一枚である。


パット・メセニー&ジム・ホール

2006年10月09日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 67●

Jim Hall & Pat Metheny

Scan10007_18  3連休も今日で終わりだ。今朝、73分57秒の長いこのアルバムをしばらくぶりに聴いた。嵐も過ぎ去り、天気の良いさわやかな朝だ。こんな朝にぴったりのアルバムだ。穏やかな気持ちになり、時間がゆっくりと流れていった。

年齢こそ大きく違うが、互いに尊敬の念を失わない2人のギタリストによる1998年録音盤だ。ジム・ホールはいわずと知れたジャズギターの巨匠、ジムを敬愛するパットの才能はいまや誰の目にも明らかだ。才能溢れる2人の競演ということでテクニックの応酬となる可能性だってあるわけだが、そうならないところがこの2人のすごいところだ。パット・メセニーは数種類のギターを使い分けカラフルなサウンドを志向するが、ジム・ホールの落ち着いたギターがサウンドに安定感を与えている。ギター・ワークは違っても「歌心」の部分では共通しており、安心してしかも心地よく聴くことができる作品である。

 アルバムタイトルはあえて2人の名前だけのシンプルなものにし、アメリカ盤にはライナーノーツもつけなかったということで、ジム・ホールの言によれば、「ふたりのギタリストが、ただ演奏しているだけ、そんな場面を浮かび上がらせたかったんだ」とのことである。


ブルー・トレーン

2006年09月18日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 53●

John coltrane     Blue Trane

Scan10016_1  やはり、こういう音楽をたまには聴くべきだ。私のJAZZの原点とはこういう音楽をいうのだ。

 いわずと知れたジョン・コルトレーンの名盤『ブルートレーン』。1957年録音のコルトレーン唯一のブルーノート、リーダー作である。初期のコルトレーンの代表作といっていいと思う。

 ケニー・ドリュー(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)というしっかりとしたリズム隊をバックに、コルトレーン(ts)、カーティス・フラー(tb)、リー・モーガン(tp)という三管フロント陣がアンサンブルを繰り広げ、コルトレーンは"シーツ・オブ・サウンド"といわれる一瞬の間もなく音が連続するようなソロを展開する。実にスリリング、かっこいい演奏だ。

 この作品を聴くといつもある男を思い出す。学生時代、行きつけの酒場で知り合った男だ。哲学科に所属しているくせに歴史学にも興味をもつその男は、私と酒場で会えば、いつも中世史や哲学・思想について議論した。議論は多岐にわたり、しばしば激論となることもあったが、酒が回って酔っ払うと、その男はきまってBlue Traneを口ずさむのだった。それはテーマからはじまり、ソロをへてフィナーレにいたるまでほとんど一音も間違えることなく完璧に歌われた。いつのころからか、私がカーティス・フラーとリー・モーガンのパートを担当してハモり、トレーンのソロパートではリズム隊を担当するようになった。それが結構面白かったらしく、よく他のお客さんものってくれたものだ。おかげで私はいまも、Blue Traneのソロパートをほぼ完全に口ずさむことができる。一回性のアドリブにかける音楽としてのJAZZを聴く姿勢としては正しいものではないのだろうが、私にとってはかけがえのない楽しい日々であった。

 彼は今頃どうしているだろうか。彼とはもう20数年会っていない。


ジュニア・マンスの"ジュニア"

2006年09月18日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 52●

Junior Mance     "Junior"

Scan10007_13  大好きな一枚だ。CDの帯には「ジャズ・ピアノ・トリオ名盤中の名盤」とある。1959年の録音だ。1959年といえば、ジャズの世界ではあの『カインド・オブ・ブルー』をはじめ名だたる作品がなだれのように登場した伝説の年だ。

 ジュニア・マンスはジャズらしいジャズをやるピアニストだ。「トラディショナル・モダン」という言葉があるらしいが、ジュニアのピアノはまさしく「トラディショナル・モダン」といえるかも知れない。ライナー・ノーツには次のようなオスカー・ピーターソンの言葉がおさめられている。

 「昨今、ピアノの何たるかさえわきまえない前衛ジャズマンや低級なピアニストが横行するジャズ界にあって、豊かなテクニックとフレッシュなアイデアに恵まれたジュニア・マンスの登場は、実に爽快だ。しかもジュニアは、聴き手の心に直接的に訴えかけるエモーショナルなものを内蔵しており、ジャズの最も根源的なスウィングを忘れることがない。豊かな楽想に恵まれているジュニアは、アイディアをとめどもなく発展、変化させていく過程で、ひとつの演奏にいつの場合にもある種の物語性をもたらす。これはマンス独自の特質だが、そんな意味からも、このアルバムは、あなたに多くのドラマを伝えるはずだし、マンスはまだまだこれからもわれわれを楽しませてくれるにちがいない。」

 ③ウィスパー・ノットがいい。よくスウィングし、歌心のある演奏だ。リズムに同化して心が躍り、とてもハッピーな気持ちになる。ウイントン・ケリーとケニー・バレルがやった名演と甲乙つけがたい演奏だ。


ジョニー・グリフィンのケリー・ダンサーズ

2006年08月15日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 30●

Johnny Griffin     The Kerry Dancers

Scan10012_1  お盆休みも今日で終わりだ。墓参りと親戚まわりを済ませて、ちょっと叙情的なのが聴きたいなと思って取り出したのがこのアルバムだ。 Johnny GriffinThe Kerry Dancers(1961,1962録音)。もちろん、④ The Londonderry air (ロンドンデリーの歌,ダニー・ボーイ)を聴くためだ。やはり、名演だ。さびのところを消え入るようなかすれた音で吹くのが良い。ググッときて、ああ、もう卒倒しそうだ。

  しかし、しばらくぶりに聴いたが、他の曲もすごく良いではないか。はっきりいって全曲あきるところがなく、結局、2回も聴いてしまった。特に、② Black Is The Color Of My True Love's Hair (彼女の黒髪)や⑧ Ballad For Monsieur は好きな演奏だ。⑦ Hush-A-Byeは、彼の作品の中でもかなりの名演ではなかろうか。 

 寺島靖国さんは『辛口!Jazz名盤1001』(講談社+α文庫)の中で、「入門者には『ハッシャ・バイ』だが、そのうち必ず『彼女の黒髪』がよくなる。演奏が深いのだ。一番気持ちがこもっていて、その証拠にテナーの音がギュッと絞りこまれていてそこが聴き物。」といっている。寺島さんもたまにはまっとうなことをいう。「彼女の黒髪」はたしかに感動的な演奏だ。「入門者には…………」という寺島さんらしい権威主義的なものいいは好きではないが、私の好きな「彼女の黒髪」を評価してくれるのはうれしい。 

 全体的になんというか、本当にしばらくぶりにジャズらしいジャズを聴いた感じがする。やはり、ジャズはいい。


ジョン・コルトレーンのマイ・フェイヴァリット・シングス

2006年08月06日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 26●

John coltrane      My Favorite Things

Scan20001  昨夜から家人が出かけており、私一人だ。しばらくぶりに、大きな音で音楽を聴いてみたいと思い取り出したのは、John coltrane My Favorite Things だ。表題曲についていえば、例えば Selflessness 収録のものの方が、演奏としての面白みがあり、また創造的プレイだといわれている(私もそう思う)。けれども、個人的な思い入れがあるのだ。思えば、学生時代、私の心の中では、いつもこの演奏が鳴り響いていたような気がする。当時はまだ、Selflessness は聴いていなかったのだ。私の学生時代の1980年代前半には、コルトレーンを神のようにあがめる時代はとうに終わっており、世間ではケニー・ドリューのスケッチ風のおしゃれなジャケットのやつ(「エレジー」とかそういうやつ)やマンハッタン・ジャズ・クインテットなどが流行していたが、私はレンタルレコードからダビングしたカセットテープでとりつかれたようにトレーンを聴いていた。うまく説明できないが、トレーンの音楽の何かが私をとらえたのだと思う。若い頃の一時期、私はコルトレーン漬の一時期を送り、My Favorite Things は、中でも好きな演奏だった。カセットテープで聴いていたのは、レコードをたくさん買うお金がなかったからだ。そのテープはその後も聴き続け、Atlantic Jazz 1500 シリーズの24 bit デジタルマスタリングのものを1500円で購入したのは、つい最近のことだ。 

 やはり、素晴らしかった。しばらくぶりにおいしい空気をすったような気持ちだ。なんといっても、① My Favorite Things である。エルヴィン・ジョーンズの正確無比なドラムに支えられて、スティーブ・デイヴィスの重厚なベースとマッコイ・タイナーのピアノのブロックコードが創り出すリズムは、まるで寄せては返す大海の大きなうねりのようだ。そのうねりの間をトレーンのソプラノサックスが縦横無尽に駆け巡る。ビートに身をゆだねていると、胸の鼓動が聞こえ、身体が熱くなってくるのがわかる。トレーンのソロは、自由に空を飛びまわる。ああ、自分も空を飛びたい。この演奏を聴くたび、私はいつもそう思うのだ。 

 この作品は1960年の録音だ。私の生まれる前である。しかし、考えてみれば不思議だ。録音という技術によって、自分の生まれる前の演奏を聴くことができ、そしてそれに感動することができるのだから……。