WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

アナザー・ハンド

2014年01月10日 | 今日の一枚(C-D)

◎今日の一枚 364◎

David Sanborn

Another Hand

フュージョンの旗手サンボーンが真正面から取り組んだ正真正銘のジャズ。深夜にじっくり聴きたくなる、ジャージーなサウンドが秀逸の隠れ名盤。

 デイヴィッド・サンボーンの1991録音盤、『アナザー・ハンド』の帯の宣伝文句である。チャーリー・ヘイデンの名曲「ファースト・ソング」が収録されていることを知り、年末に購入したばかりのアルバムである。「名盤」かどうかは別にして、基本的に宣伝文句は嘘ではない。悪いアルバムではないと思う。やや一本調子な感じはするが、サンボーンのジャージーな哀愁のアルト全開だ。いい感じのアルバムである。

 お目当ては、① First Song だ。とってもいい感じの出だしだ、と思ったのだが、途中でよくわからなくなってしまった。よくわからないのは、ビル・フリーセルのギターだ。このギターが本当に必要なんだろうか。よくわからない。私は、音と音との隙間の余韻にひたりたいのであるが、その余韻の部分にビル・フリーセルのギターが入り込み、余韻をなくしてしまうのだ。そのギターの存在意義がよくわからない。特別な効果をもたらしているようでもあるが、一方でやはり哀愁のサウンドをぶち壊しているのではないかと思ってしまう。少なくとも私にとっては余計なギターに思える。そのよくわからないギターが、このアルバム全体の本質もよくわからないものにしている、と私は思う。

 私は恐らくはビル・フリーセルの良い聴き手ではない。いくつかのアルバムを教養的に聴いたことはあるのだが、特にひっかかる何かを感じたことは一度もない。かといって、否定的に語るような演奏でもない。何度聴いてもよくわからないギターだ。そのちょっと電気的で、ウネウネした弾き方に、何というか、決断のできない、優柔不断な印象をゆけてしまう。 

 決して悪い演奏ではないと思いつつ、このアルバムを数度聴いた後、私はスタン・ゲッツ&ケニー・バロンの演奏を無性に聴きたくなってしまった。