WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

この国で一度だけ成功した「革命」

2022年01月09日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 561◎
Rahsaan Roland Kirk
The Return Of The 5000lb. Man
 今年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』というタイトルだという。中世史なのでしばらくぶりに見てみようかと思っている。鎌倉時代初期の13人の合議政治を扱うのであれば、なおさら興味深い。

 中心となるのは、北条義時である。北条義時といえば、大澤真幸『日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか』(朝日新書:2016)で、日本でたった一人の成功した革命家として評価された人物である。「革命」というものを、社会の根本的な変革が、その社会のメンバーによって意図的に引き起こされることと概念規定すれば、確かに大澤氏のいう通り、北条義時は成功した革命家といえるかもしれない。
 まず、承久の乱で後鳥羽上皇を中心とする京都の朝廷と戦い、勝利したことが重要だ。朝廷と幕府の力関係は大きく変動することになる。後鳥羽・土御門・順徳の3上皇はそれぞれ隠岐・土佐・佐渡に配流され、仲恭天皇は廃位された。幕府と朝廷の関係は完全に逆転し、以後、京都の朝廷は六波羅探題によって監視され続けることになる。また、3000か所といわれる上皇側の没収地には東国武士が地頭として派遣された。没収地は西国に多かったから、これにより大量の東国武士が西国へ移住することになる。日本の多くの部分が、実質的に東国武士の影響下に入ったわけだ。
 承久の乱後、義時の政治は泰時に引き継がれ、政治体制も大きく変革されることになる。連署や評定衆が設置され、有力御家人による合議政治の体裁が整えられる。もちろん、北条氏が執権として大きな力をもつわけだが、体裁としてはあくまで合議政治なのである。また、御成敗式目が制定され、法に基づいた政治の体裁が整えられる。御成敗式目は、これ以後後世においても、武家法の基本として尊重されていくことになる。北条氏は大きな権力を握りつつも、法に従い、合議制によって政治を行っていくという形式を作り出したわけだ。これは、一介の地方武士に過ぎない北条氏が独裁的に政治を行っているという批判を回避するためでもある。京都の九条家から藤原頼経を迎え、いわゆる摂家将軍としたことも、この文脈で理解できよう。

 この記事を書きながら今聴いているのは、ローランド・カークの1976年録音盤『天才ローランド・カークの復活』である。ワンホーン構成で、コーラスやボーカルも交えて作り出された音楽からは、深い情感が感じられる。レビューにある「『ラヴィン・ユー』の名演で支持を得た、ローランド・カーク晩年の傑作アルバム。人生の喜怒哀楽を捉えたヒューマニズム溢れる世界が横溢する作品。」という言葉通りの作品である。「いーぐる」の後藤雅洋さんもこのアルバムによってカークに開眼し、店でカークをかけまくったとのことだ(『ジャズ喫茶四谷「いーぐる」の100枚』集英社新書)。
 演奏を聴きながら頬が緩み、微笑んでいる自分を発見する。