WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

さようなら、困ったちゃん

2021年08月05日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 528◎
Tommy Flanagan
Overseas

 《困ったちゃん》が転院していった。数日前に記した、頻繁にナースコールをして看護師を困らせていた同じ病室の人である(→こちら)。
 看護師の他にも多くの人を困らせているようだった。リハビリがちょっときついと、もうリハビリはやらない、リハビリ担当を変えてくれ、あいつは態度が悪い、と騒ぎだす始末だった。担当医がわざわざ来て、治す気があるならきちんと取り組むよう説得しても、今度はその都度理由をつけてキャンセルするようになった。
 数日前から、担当医師が来て転院するよう説得、というより通告していた。彼はもともと他の病院にいたが、治療の目的でこの病院に一時的に転院したらしかった。この病院での治療が終わったので、元の病院に帰らなければならないという。彼はものすごい勢いで抵抗した。あの病院は、人を人間扱いしないといい、たくさんの具体的事例をあげた。実際、前の病院では彼にいくつかの禁止事項が設定されていたようだ。それはもちろん、彼が多くのルール違反を犯して周囲に迷惑をかけていたことが原因だったらしい。しかし、彼は自分に対する扱いに反発を強め、暴れたり、人を殴ったりしたようだった。
 今朝、元の病院に戻るようにという医師からの最後の通告に、彼は「絶対戻りません」「あの病院に戻るなら、ここで息を止めて死にます」とまでいった。しかし、もう決まっている、ご家族も了解して今日迎えに来る、前の病院からももうすぐ迎えに来る、などの話を聞いて、結局観念したようだった。転院の支度をしながら、彼は看護師に前の病院がいかに酷いところがを力説し、この病院は良かったなあと語った。そして、10時過ぎにひっそりと転院していった。
 彼の落ち度や問題点はかなり大きいと思う。けれども、やはり病人は社会的弱者なのだと改めて思った。病人、障がい者、子ども、老人、当然のことながら、上野千鶴子先生はここに女性も付け加えるだろう。みんな社会的弱者である。誰もがいつか、社会的弱者になる。

 今日の一枚はトミー・フラナガンほ1957年作品、『オーバー・シーズ』である。ピアノトリオの名盤である。今日も入院中ということでアップルミュージックで聴いた。学生時代、渋谷の音楽館でよくかかっていた。本当にしばらくぶりに聴いた。ザ・ピアノトリオ、ザ・昔のジャズ喫茶の音楽という感じだ。
 眺めの良い5階の面会室で、病院のコンビニの100円のコーヒーをすすりながら、安いベッドホンでこのアルバムを聴いた。窓の外には、仙台の夕暮れの風景が広がっている。
 さようなら、困ったちゃん。





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