●今日の一枚 36●
Charles Lloyd
The Water Is Wide
Charles Lloydの The Water Is Wideについて、何か語りたい。言葉がでてこない。語れない。けれども、とにかくすごいアルバムだ。ことばが出てこないほどすごいアルバムだということだ。
Charles Lloydは、すごい奴だ。かつて、無名のキース・ジャレットを見出し、ミシェル・ペトルチアーニを見出した。このThe Water Is Wideでもまだ出始めのブラッド・メルドーを起用しているのだ。それだけでも凄いことじゃないか。おまけに、1960年代後半の名作『フォレスト・フラワー』の爆発的ヒットの後、「心の雑草を摘み取る庭師になろう」といって、音楽活動をやめてしまった。かっこいい。かっこいいではないか……。ちょっと恥ずかしいが、私はこういう話が好きだ。ジャズにはこういう話がいくつかある。例えば、ソニー・ロリンズ。絶頂期に突然引退して橋の上で練習していたなんて、すごいじゃないか。かっこいいとしかいいようがない。
次の言葉は、『Swing Journal』83年5月号に掲載されたチャールズ・ロイドの復活時のインタビュー記事である(ライナーノーツより)。
「デビューしてからクァルテットを解散するまで、私は常に静寂を求め、平和と自己の幸福を知らなければならない、というメッセージを抱いていた。ここ10年あまり、私は菜食主義になって瞑想にふけり、禁欲的な生活を送り、苦行し、ベーダの研究をし、クリシュナ、ブッタ、キリスト、アラーなどのことを学んだ。自分自身が何者であるか、それを知るために努力を続けてきたんだ。もうジャズ界にカムバックするつもりはなかったし、ビッグ・サーでの静かな生活を一生送るつもりでいた。」
隠遁していたロイドを復活させたのは、ミシェル・ペトルチアーニの ピアノだった。ロイドを訪ねた当時無名といってもよいペトルチアーニのピアノを聴いて、彼は音楽の世界に戻ってきたのだ。かっこいい話ではないか……。
ところで、ロイドの近年の傑作The Water Is Wide。何と表現して良いか言葉が見つからないが、深遠なアルバムだ。ポップで判り易い曲Georgia (ジョージア・オン・マイ・マインド)からはじまるのだが、ガラス細工を優しく扱うような、デリケートな音づかいだ。そして、それ以降は豊饒で深遠な世界だ。宗教的あるいは哲学的雰囲気すら感じるが、全然小難しい音楽ではない。音がゆっくりと流れ、心臓の鼓動が同化していくのが感じ取れる。
「静謐」……。私は、このアルバムを聞くといつもこのことばを思い起こす。神秘性すら感じさせる豊饒な音の世界を聴きながら、実は、音と音の間の無音の空間を感じている気がする。そもそも音楽とは音だけではなく、音と無音のコントラストから成立しているのではなかったか。その世界は、まさしく「静謐」だ。そして、すべての演奏が終わった時、私はその静謐な余韻の中に、じっとたたずむことになる。そこには静寂だけがある。放心状態になり、椅子から立ち上がれなくなってしまうこともある。けれども、それは至福の時間だ。解放された制約なき時間。
音楽を聞きながら感動し、聴き終わってからさらに感動する。まったく稀有なアルバムである。
CDの帯にはこう書かれている。「緩やかに流れる大河の如く」
その通りだ。
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