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WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲

2006年09月29日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 58●

Glenn Gould    

Bach : Goldberg Variations

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 グレン・グールドが脳卒中のため亡くなったのは、1982年だった。この作品はグールド最後のアルバムである。奇しくも、1955年に録音した彼の初アルバムと同じタイトルだ。周知のように、グールドは人気の絶頂期である1964年一切のコンサートの拒否宣言を行い、以後レコーディングに専念することになる。「客の咳払いやくしゃみ、ヒソヒソ声が気になって演奏に集中できない」ので、より演奏に集中するためという理由らしい。

 私がグールドの演奏に惹かれるのは、その演奏が「歌心」に支えられていると思うからだ。クラシックに精通しているわけではないので適切な表現ではないかも知れないが、どんなに高度な演奏をしようと、彼の演奏の底流に独特の歌が流れているのを感じることができる。例えば、彼独特の「鼻歌」だ。グールドはピアノを弾きながら(まるでキース・ジャレットのように)、恐らくは彼の心の中に生起するメロディーを口ずさむ。多くの評論家はそれに対して批判的であるが、私の中にはその「鼻歌」が「鼻歌」としてすんなり入ってくるのだ。その素朴なメロディーに魅了され、つい一緒に口ずさんでしまうこともしばしばだ。

 「歌心」を感じることができるのは、恐らくは独特のタイム感覚のためだ。例えば、この晩年の『ゴールドベルク変奏曲』の冒頭部分はどうだろう。初録音の同じ曲の演奏はもちろん、他のどのピアニストも、このようなゆっくりとしたスピードの演奏をしたことがあっただろうか。このゆっくりと、本当にゆっくりとしたスピードの演奏が、すんなりと私の身体の中に入ってくるのだ。生理的なリズムに合致しているのだろうか、身体の中で旋律とビートが私の中の何ものかに同化して溶け合うのがわかる。音楽に身をゆだね、大げさに言えば、無我の境地になるような気さえする。

 クラシックという音楽を批評するほど聴きこんでいるわけではないが、「音楽」として稀有な一枚であることは、恐らくは間違いないであろう。

 間違いない。

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↓ここで晩年の『ゴールドベルク変奏曲』が聴けます↓

http://windshoes.new21.org/classic-gould.htm

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↓このページの グールド紹介は、結構面白い↓

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/gould.html


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