WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

天皇制批判の常識

2021年11月07日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 555◎
Ben Sidran
Laver Man
 小谷野敦さんの本のタイトルである。『天皇制批判の常識』(洋泉社新書:2010)という書物である。この本の中で、小谷野さんは、従来の戦争責任や権力論、階級・君主制論と全く別の視点で、天皇制度を批判し反対している。すなわち、「法の下の平等」の視点から、日本に居住していながら国民として扱われず、基本的人権を保障されない天皇あるいは皇室という存在を犠牲にして、社会制度が成り立っていることを批判しているのである。被抑圧者としての民衆ではなく、天皇の人権という観点から論じているところが面白い。なお、この本の中でも触れられているが、社会学者の橋爪大三郎さんも、基本的人権が認められない不合理に皇族を縛り付ける国は人権と民主主義の国では無いとして、 同じような視点から天皇制度に反対している。
 基本的に首肯すべき見解だと思うが、この本が出た2010年頃にはこうした見解にリアリティーはなかった。論理として面白いと思っただけだ。ところが、秋篠宮長女結婚問題などを契機に、小谷野さんや橋爪さんの見解にリアリティーが生じてきたように思う。皇室も自由を求め始めているのだ。
 近代市民社会が人権というものを基本的価値として成立していることを考えると、このことは重大な矛盾だといえる。社会制度を守るために、特定の個人の人権を犠牲にしていいのかという根源的な問いかけがなされなければならないだろう。一方、そうまでして、守らなければならない《日本的な価値》(そんなものがあればの話だが)が、それに値するのかが問われなければならない。
 私自身は、歴史を学ぶ者として、天皇制度は肯定的な意味でも否定的な意味でも歴史的に大きな役割を果たしたと考えているが、その役割は終わりに近づいていると考えている。もともと日本は文化的アイデンティティーを内面化しやすく、天皇制度などなくとも「統合」の意識は生じやすいが、急激な近代化の推進のための国民統合の必要上作られたのが近代天皇制度である。したがって、歴史的には特異な制度である。けれども、肥大化し拡散した今日の時代状況は、もはや特定の価値観で統合することは困難に見える。皇室のあり方に対する「錯乱」した状況は何よりそれを表している。少なくとも、結婚問題を契機に発せられた皇室に対する罵詈雑言を見る限り、国民統合の象徴としての権威の失墜が露呈しつつあるように見える。皇室が悪いのではない。国民が変化してしまったのだ。

 今日の一枚は、ベン・シドランの1984年作品、『ラヴァー・マン』である。学生時代の愛聴盤だが、現在は廃盤のようだ。残念ながら、LPもCDも所有しておらず、学生時代に貸しレコード屋で借りたLPをダビングしたカセットテープで聴けるのみである。日本人を皮肉った①Mitubishi Boys のようなユニークな曲も収録されている。
 ベン・シドランは《ドクター・ジャズ》と呼ばれ、ジャズをベースにロックやファンク、フュージョンを行き来する、ボーダレスな感性の知性派であるといわれる。才能のある人なのだ。才能があるゆえに、興味関心が拡散していくのであろう。もったいないと、思う。このような才能のある人こそ、ジャズを突き詰め、突き抜けて、新しい境地を確立して欲しかったと思ったりもする。


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