ついに「国家の品格」第三章まで来ました ここでは藤原氏が第二章で論理の出発点の選択が大切なことを述べましたが欧米由来の論理で疑って掛かるべき自由・平等・民主主義を彼の視点で滅多切りです (これに対抗するに)欧米ではエリートがいて潰れない 日本では惻隠という武士道精神で論理の衝突を避けよと訴えます
まづ自由について:17世紀の英国の思想家トマス・ホップズの自然権「各人が自己生存のためになんでもする自由」と次の世代のジョン・ロックの「他人の自由と権利を侵害しない限り自由」の2説を引いてロックの説は「援助交際も自由」となってしまうでないかと批判します
話が高尚なのでその時ごとに爺の感想を述べます 時代背景を考えれば産業革命を契機に裕福市民層(ブルジョアジー)が勃興し王権とか領主権と呼ばれる「生殺与奪」一切の権限を持つ者に対抗するべく生まれた思想(理屈)であろう 「援交自由」は広く人倫とかもう少し細かく見れば貞節・廉恥・愛の様な観点で規制される筈が藤原先生は両者の合意は「自由」であると問題をはぐらかしたか混乱させる意見である
さて先生はついでロックが自説を言い出した背景を次の様に言う 16世紀に始まった宗教改革のプロテスタンチズムの、中でもカルヴァン主義にある 最大の特徴はカルヴァンの唱えた「予定説」で救済されるかどうかは神の意思にで予め決められている そこでどんなに祈っても寄進しても救済されるかどうかは無関係である
カルヴァン主義はヨーロッパのプロテスタントの中でも大論争になったそうです 「救いの確証」を得たいと思っても神の意思を知る方法は無い そこで勢い「神から与えられている職業(天職)に励む」 利益のチャンスがあったら神の意図し給うたものだから積極的に励む かくして金儲けに倫理的栄光があたえられた
ロックが「個人は快楽を追及してよい 全欧の神が社会に調和をもたらしてくれるから」との重大発言はカルヴァン主義「予定説」の流れにある
さらにアメリカ合衆国の独立宣言にある「自由と平等」もロックの亡霊が暴れまくった年でロックの言葉の焼き直しであり草稿者であり後の第3代米国大統領をコメントしようもないとついでに「国富論」を書いたアダム・スミスもその手合いである
つまりロックのいう自由平等は独断、ジェファーソンは神頼み 「人間の尊厳」とか「ヒューマニズム」や「人権」はカルヴァン主義の信仰に過ぎずいい加減な物だと喝破されます
爺は思う 次々出てくる人名は高校の世界史でチラット見た程度で藤原先生のお考えはそうですかなと思うばかり しかしカルヴァンの主張はローマ法王の権威に対しては(その当時)鮮烈な反対主張(アンチテーゼ)であったわけです 宗教倫理の革新は哲学・経済学・政治学に多大な影響を与えアダム・スミスをして「国富論」を書かせカール・マルクスに続いて行くのでないかと思うのです 何とか富の蓄積と権力の結合による経済の暴走を止める為に
これで半分です まだ重い主張が 第三章 後半 へ続きます
まづ自由について:17世紀の英国の思想家トマス・ホップズの自然権「各人が自己生存のためになんでもする自由」と次の世代のジョン・ロックの「他人の自由と権利を侵害しない限り自由」の2説を引いてロックの説は「援助交際も自由」となってしまうでないかと批判します
話が高尚なのでその時ごとに爺の感想を述べます 時代背景を考えれば産業革命を契機に裕福市民層(ブルジョアジー)が勃興し王権とか領主権と呼ばれる「生殺与奪」一切の権限を持つ者に対抗するべく生まれた思想(理屈)であろう 「援交自由」は広く人倫とかもう少し細かく見れば貞節・廉恥・愛の様な観点で規制される筈が藤原先生は両者の合意は「自由」であると問題をはぐらかしたか混乱させる意見である
さて先生はついでロックが自説を言い出した背景を次の様に言う 16世紀に始まった宗教改革のプロテスタンチズムの、中でもカルヴァン主義にある 最大の特徴はカルヴァンの唱えた「予定説」で救済されるかどうかは神の意思にで予め決められている そこでどんなに祈っても寄進しても救済されるかどうかは無関係である
カルヴァン主義はヨーロッパのプロテスタントの中でも大論争になったそうです 「救いの確証」を得たいと思っても神の意思を知る方法は無い そこで勢い「神から与えられている職業(天職)に励む」 利益のチャンスがあったら神の意図し給うたものだから積極的に励む かくして金儲けに倫理的栄光があたえられた
ロックが「個人は快楽を追及してよい 全欧の神が社会に調和をもたらしてくれるから」との重大発言はカルヴァン主義「予定説」の流れにある
さらにアメリカ合衆国の独立宣言にある「自由と平等」もロックの亡霊が暴れまくった年でロックの言葉の焼き直しであり草稿者であり後の第3代米国大統領をコメントしようもないとついでに「国富論」を書いたアダム・スミスもその手合いである
つまりロックのいう自由平等は独断、ジェファーソンは神頼み 「人間の尊厳」とか「ヒューマニズム」や「人権」はカルヴァン主義の信仰に過ぎずいい加減な物だと喝破されます
爺は思う 次々出てくる人名は高校の世界史でチラット見た程度で藤原先生のお考えはそうですかなと思うばかり しかしカルヴァンの主張はローマ法王の権威に対しては(その当時)鮮烈な反対主張(アンチテーゼ)であったわけです 宗教倫理の革新は哲学・経済学・政治学に多大な影響を与えアダム・スミスをして「国富論」を書かせカール・マルクスに続いて行くのでないかと思うのです 何とか富の蓄積と権力の結合による経済の暴走を止める為に
これで半分です まだ重い主張が 第三章 後半 へ続きます
この本のなかにも、どんなエリート教育しても女性スキャンダルはなくならないってありますし。
許されるのは体制への批判の自由だけって記述もありましたが、恋愛や表現の自由も大切だと思います。
藤原先生はある連続する事柄を非常に狭い視野からチラリと眺めさせ自説を展開します
例えれば塀の節穴の近くにホルスタイン種の牛を立たせ黒の斑を覗かせ「牛は黒だ!」というのです 先生と同質の嗜好を持つ方はとても心地よい主張でしょう
でも爺にはいただけません 著名の数学者というのに爺の様な市井の人間がどこかおかしいと感じる様な事を書いては 尺貫法で建てている家にメートル法で作ったサッシのトビラを入れている様にも感じてしっくりきません
下巻は面白くなります お付き合いの程