復興へ出発進行! JR石巻線、4年ぶり全線開通(産経新聞) - goo ニュース
昨日21日石巻線で最後に不通となっていた浦宿と女川間が繋がり震災後はじめて全線開通の1番電車が走りました。別紙と会わせて読むと女川駅は200メートル内陸で7-8メートルかさ上げした場所に新設されたので全線開通に時間が掛かったようです。
車を持たない(運転できない)町の人には通勤、通学や病院通い等に心強い限りと思います。
観光で町を訪れる人が増えるのを期待する向きもある様です。
さて震災後4年が経ちその間代替バスの運行は無かったのでしょうか?
心理的な安定感は列車や電車ほどないにしても女川迄繋がっていたのでないかと思ってしまうのです??
連絡はされていても復興計画は駅舎を中心に商店街などもこれからなのかも知れません。
「取らぬ狸のなんとやら」にならぬ様に頑張って下さい。
写真:大漁旗に迎えられる1番電車
産経新聞:
東日本大震災の津波で被災し、不通となっていた宮城県女川町のJR石巻線浦宿(うらしゅく)-女川間(2.3キロ)が21日、震災後初めて運転を再開した。これを記念した式典も開催。祝福ムードの中、一番列車は多くの町民の歓声を背に、復興に向けて走り出した。
石巻線は小牛田(同県美里町)と女川を結ぶ約45キロの路線で、震災直後は全線不通となった。津波で被災した女川駅は震災前より約200メートル内陸側に移設。駅舎は世界的な建築家の坂茂氏がウミネコをモチーフに設計した。
午前6時過ぎに列車が駅に到着すると、待ちわびた町民らから歓声が上がった。須田善明町長が運転士に花束を手渡し、同12分に発車。大漁旗がはためく中、送り出された。通学で利用する同町の高校2年、須田茉緒さん(17)は「電車が通ってくれて便利。町を訪れる人も増えると思う」と話し、始発列車に乗り込んだ。
(引用終わり)
昨日21日石巻線で最後に不通となっていた浦宿と女川間が繋がり震災後はじめて全線開通の1番電車が走りました。別紙と会わせて読むと女川駅は200メートル内陸で7-8メートルかさ上げした場所に新設されたので全線開通に時間が掛かったようです。
車を持たない(運転できない)町の人には通勤、通学や病院通い等に心強い限りと思います。
観光で町を訪れる人が増えるのを期待する向きもある様です。
さて震災後4年が経ちその間代替バスの運行は無かったのでしょうか?
心理的な安定感は列車や電車ほどないにしても女川迄繋がっていたのでないかと思ってしまうのです??
連絡はされていても復興計画は駅舎を中心に商店街などもこれからなのかも知れません。
「取らぬ狸のなんとやら」にならぬ様に頑張って下さい。
写真:大漁旗に迎えられる1番電車
産経新聞:
東日本大震災の津波で被災し、不通となっていた宮城県女川町のJR石巻線浦宿(うらしゅく)-女川間(2.3キロ)が21日、震災後初めて運転を再開した。これを記念した式典も開催。祝福ムードの中、一番列車は多くの町民の歓声を背に、復興に向けて走り出した。
石巻線は小牛田(同県美里町)と女川を結ぶ約45キロの路線で、震災直後は全線不通となった。津波で被災した女川駅は震災前より約200メートル内陸側に移設。駅舎は世界的な建築家の坂茂氏がウミネコをモチーフに設計した。
午前6時過ぎに列車が駅に到着すると、待ちわびた町民らから歓声が上がった。須田善明町長が運転士に花束を手渡し、同12分に発車。大漁旗がはためく中、送り出された。通学で利用する同町の高校2年、須田茉緒さん(17)は「電車が通ってくれて便利。町を訪れる人も増えると思う」と話し、始発列車に乗り込んだ。
(引用終わり)