もっとも頼りになる者がもっとも恐ろしい。
鎌倉殿の十三人では史実通り、上総介広常が謀反の疑いをかけられて誅殺された。頼朝の非情で計算深い一面がよく現れていた。
広常が討たれたのは、梶原景時と双六を興じた後のこと。景時も生かすか殺すか思案に明け暮れ、その双六の結果で広常の命運つきるとするシナリオが描かれていた。広常の脇差しを事前に抜く善児。なすすべなく討たれ、「武衛!」と叫ぶ広常の最後の姿が虚しい。
双六は古代から多くの人々が興じ、その運や技に魅了されてきた。徒然草のなかに双六に対する兼好の考えが記されている。
双六の上手といひし人に、その行(てだて)を問い侍りしかば「勝たんと打つべからず。負けじとうつべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一目なりともおそく負けるべき手につくべし」といふ。道を知れる教え、身を修め、国を保たん道もまた然り
(訳)双六がうまい人にそのやり方をきいたところ「勝とうとしてうってはならない。負けないように打つべきだ。どの手を打てば早く負けるだろうと考えてその手を使わず、少しでも遅く負けるようにすればいい」
兼好法師はこれを「その道をよく知った教え」と合点が行き、身を修め、国を治める道もまた同じと説いている。
政治家が「国を良くする」といってよくなることは少ないという。よい国がその人にとって都合のよいに過ぎないことが多い。夢や展望を語ることは大事だが、間違った方向に多くの人を向けないことが肝要だという。勝つことではなく、負けないこと。さらには負けるにしても、すぐには負けないこと。石橋を叩いて渡る人の方が政には向いているらしい。現代にも当てはまることのようだ。
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