知恵伊豆の異名をとった松平伊豆守信綱。忍藩三万石の藩主を務めまた徳川家光、家綱の代老中として有能に実務を取り仕切ったといわれています。
彼の幼少期のエピソードとして「正直」にまつわる話が残っています。
信綱がまだ長四郎という幼名時代、竹千代(三代家光)と共に千代田城(江戸城)で遊んでいたころ、ある日将軍家の大切にしていた屏風を破ってしまったそうです。将軍徳川秀忠の怒りは凄まじく、だれもが咎をうけるか恐れていたところ、「私が破りました」と正々堂々と名乗り出て「大変申し訳ないことをいたしました」謝った子供が長四郎だったといわれます。すると将軍秀忠は「よくぞ正直に申し出た」と長四郎をほめ、「これからはかような過ちをしないように」と一言だけ戒めると、特に信綱を咎めることなくその場を去っていったといいます。
「正直は一生の宝」という言葉がありますが、根底に正々堂々の気持ちがあれば、自然とその人間には威厳が生じるようになるとう意味合いがあるのではないでしょうか。その威厳が自信となりその人を後々大きくするのです。信綱が老中である間、幕府は安泰であったのは間違いありません。
「大儀」という名のもとに、議会は解散されました。ハロウィン、そして神無月を前にとても日本中騒がしくなってしまいましたが、今問われるのはそこなのかと疑問に思う人はたくさんいるのでしょう。穏やかな実りの秋の刈り入れが終わることを切に願います。
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