日曜劇場『陸王』初回放送の冒頭で、ミシンの部品を求めて宮沢が駆け回るシーンが出てきます。
実際にあり得る話だそうです。現在行田市内の足袋屋はわずか8社。そのうち製造工程すべて自社で手掛けることのできるのはわずか2社だそうです。
足袋作りの工程は13に分かれ、それぞれの工程で分業化され、すべての工程をこなす職人さんはほとんどいないそうです。足袋の衰退とともに職人の数が減り、結果的にすべてこなすようになったといいます。ドラマの中でも20人前後女工役の方が登場します。実際にすべての工程が基本歩合制で成り立ち、人件費が抑えられていた経緯があります。結果、裁断から始まり、通し、押さえ、コハゼ付け、羽縫い、甲縫い、先付(爪)、廻しといったすべての工程別々に作業し、一部は家庭での内職に委ねられました。役所広司演じる社長の宮沢が爪縫いのミシンに座ったシーンがあり、『ありえないな!』といった声が職人さんから聞こえましたが、それだけ工程の難しさや特徴に差があるのだと思います。
裁断です。重ねた生地を型に合わせて打ち抜きます。男性職人が担当します。
通しと呼ばれこはぜをかける糸を通し縫いします。ドラマの『こはぜ屋』のこはぜは甲馳と書いてかかとにつける金具のことです。私は神職ですので実際に足袋をはいています。今までこはぜという名前も知りませんでした。
羽縫い、甲縫いにに使われるミシンです。1890年代のドイツ製です。
爪、先付けです。最も難しいとされる工程です。
仕上げです。特注のアイロンを使用します。小型で重量があります。こうしたアイロンも貴重な道具だそうです。
今日見学した足袋とくらしの博物館は平成17年に開館。NPO法人行田足袋蔵ネットワークの運営で、ほぼボランティア運営。開館に当たっての資金補助のコンペでも中島先生は大変ご苦労されたそうです。こうした地道な活動が活動により日本遺産への道が開かれてきたのです。
平成12年から始まった「民学官パートナーシップ町づくり事業」として足袋蔵等歴史的建造物の改修修復が進められ、初めて「足袋蔵」という言葉が認知されたといわれています。蔵の町は全国各地にあります。景観も素晴らしい街並みはたくさんあるのでしょう。でも「足袋」に特化した蔵はここ行田にしかない。繁栄と衰退を重ねつつも、今日までまちの景観として佇んでいる。そこにこそ他にはない物語があって、町の歴史そのものを見てきた蔵に人は惹かれほかに発信すべき事柄なのです。オンリーワンの町行田。私もこの街に住みながら、こうした歴史を学んできませんでした。話を聞いても心の琴線に触れなかった。ドラマの騒ぎにたきつけられて目を向けているだけでは、何も変わらない。歴史に学び、自分の使命に気づき行動してこそ意味のある生き方だと思いつつ、講義後市民大学研究班の方と、今後の研究発表に向け打ち合わせをして今日の講座を終えました。