秋の一人旅に栃木県茂木町八雲神社に参拝しました。町の中心部にあり、茂木町はツインリンクもてぎの舞台になっています。今回参加できた市民マラソン大会の後に寄ることができました。
主祭神は素戔嗚命。神社御由緒略記によれば、後鳥羽天皇の御代建久三年(1192)に創祀され茂木町の前身である藤縄村、槻木村の総社として祀られてきました。寛政3年(1791)領主細川氏により本殿・拝殿・大鳥居が奉納されました。昭和十九年には初代領主細川興元公を祀る大光神社を合祀しています。織田信長にも仕えた細川興元は、信長の没後は秀吉に仕え、小田原征伐、その後文禄の役にも参戦しています。興元には後継に恵まれなかったため、兄、忠興の子、興秋を養子にとっています。細川興秋の実母は細川ガラシャで、キリシタンとしての洗礼を受けていました。
昨年の大河ドラマ真田丸にも出ていましたが、ガラシャは明智光秀の娘であり、激動の戦国時代の中で壮絶な最期を迎えています。興秋は本能寺の変後、幽閉され、秀吉のとりなしで幽閉を解かれから産んだようです。
晩年は兄忠興と不仲になり、徳川秀忠の時代に茂木の所領は十万石のはずが一万石になったとも伝えられています。
本殿脇にある三法殿には細川家由来の宝物や古文書、興元が初陣で用いた甲冑などが所蔵されています。
創始による伝承としてつぎのように残っています。
昔藤縄村に清兵衛なる百姓がいた。川岸で肥桶を洗っていると、何やら流れてきたものがあった。柄杓で手繰り寄せてみると何とも神々しく感じられる。大切に拾い上げ川岸の丘に大切にお祭りすると、不思議なことに当時流行っていた疫病が治まり、農作物の害虫被害も少なくなりその年は豊作に恵まれたという。それ以来子の祠を大切に祀るようになった。これが茂木八雲神社の始まりとされている。
現在の鎮座地南方五百米の丘の麓にあり、「古っ天王さん」と呼ばれる祠があり、のの丘の地名は「古天王山」として歴史を伝えているそうです。
御朱印です。日本各地にこうした神社創建の言い伝えが残っていると思います。
縁起として残るものがあれば口伝として継承されることもあるでしょう。地域のかずだけ、またはそれ以上に歴史は眠っているように思います。