皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

忍城裏鬼門守護 大宮神社

2018-02-22 20:51:17 | 神社と歴史 忍領行田
忍城の西、大宮口と呼ばれる城門は天正18年石田三成が忍城攻めの火蓋を切った所とされる。やがて攻めあぐねて、世に有名な水攻めが始まる事となった。大宮口の久伊豆神社は、その名前通り武蔵一ノ宮氷川神社から勧請している。但し御祭神は事代主命。
創建年代は明らかでないが、成田氏が忍城築城に際して、裏鬼門に当たる故をもって産土神久伊豆神社を祀ったものである。城表鬼門避けの長野の久伊豆神社と区別している。拝殿前には一対の灯明が残っているが、成田氏長は社殿消失の際、大宮の一石を灯明代として免地としたと伝えている。
九月五日の大祭は盛大で、城下に響き渡るが如く花火がうち上がる。灯籠も数多くたてかけられる。氏子の敷地には屋敷稲荷が多く、初午にはすみつかれを供えることが習わしだったとされている。
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市民大学最終回はグループ研究発表

2018-02-22 16:57:35 | 生涯学習
行田市民大学9期生グループ研究発表会が行われました。場所はものつくり大学です。
真冬の寒さに戻りましたが、月に二度通った市民大学講座も本日が最終回。大学の理念の元、毎回の講座とは別にグループごとテーマを決め、最終回の今日発表することになっていました。グループは5つに別れ、歴史文化が二班、福祉健康、産業経済、行政の分野で研究発表します。持ち時間は質疑応答含め20分。資料は両面でA4用紙10枚に制限されます。資料は先週作成済みでした。
行田ケーブルテレビの収録があり、後日放映されるそうです!私は歴史文化Aグループの発表者で、テーマは「行田における神社の系譜」氏神様の御祭神と地域の伝承文化を追って、という内容でお話させていただきました。トップバッターとして話しましたので、持ち時間を計りながらかなり緊張していました。
行田の神社総数や、種類、また個別神社として皿尾城久伊豆神社について資料に沿って説明しました。ご質問もいただき、市内の神社の歴史や概要について興味を持っていただけたと思います。終了後、個別に感想もいただきました。
他班の発表もとても興味深く、特に行政サービスの比較においては、行田、熊谷、桑名(友好都市)の3市を数値的に比較しており、自主防災組織の活動など良く調べていらっしゃいました。
また日本遺産について、足袋蔵を案内に沿って実際見学し、観光客の視点から巡り易いか検証していたのに驚きました。福祉グループでは、実際に社会福祉協会と連携し、「生き生き元気サポート」を実施し、問題点も取り上げていました。
終わりに今村理事長の挨拶があり、来期からはいよいよNPO法人行田市民大学として、行政(教育委員会)は後援になるとの話があり、自主運営の重要性を説かれていらっしゃいました。
来期(10期生)の応募が既に50名を越えており、場合によっては抽選入学になり得ることのようです。
「共に学ぶ仲間に出会えることはうれしい事です。」「学んだ事を日々の暮らしや地域に活かすことは素晴らしいことです。」市民大学の理念です。仕事柄木曜日に休みが取れ、受講日が重なり、思いきって飛び込んだ市民大学。40代の受講者は私だけでしたが、本当に充実した一年となりました!共に学んだ皆さんと運営事務局の方に感謝しています。
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持田竹之花 諏訪神社

2018-02-22 11:20:00 | 神社と歴史 忍領行田
忍城の持田口に当たる竹之花の地は中仙道に備える重要地点でありました。竹之花には剣神社があり、その末社として祭りは行われています。但し、創建は建久の頃とされ、成田泰時は、延徳二年(1490)忍氏を滅ぼし、忍城に入城する際、この諏訪社を城内に移したとされます。鎮守を失った竹之花は隣村(沼尻)と相談し、分霊を祀ったと伝わります。祭神は建御名方命。
村境を流れる忍川には沼尻橋がかかります。現在の社殿は平成になって建て替えられましたが、それ以前は寛保二年造営の社殿が残っていたそうです。市内を縦断する忍川です。
忍城の鎮守諏訪神社はこの地を起源としているようです。
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しもつかれ、すみつかれ

2018-02-21 21:06:11 | 食べることは生きること
[user_image 36/13/e3f9f40d6e0d3afa11fabc761f47faed.jpgB級グルメという言葉が流行って久しいか、北関東の郷土料理に「しもつかれ」なるものがある。我がではずっと「すみつかれ」と言って母が今でも作っている。下総の国茨城では国名にちなみに「しもつかれ」の名でスーパーの店頭にも並ぶ。
初午の日に赤飯と共に稲荷神社に備えるのが習わし。鮭の頭と野菜の残りを煮込み大根おろしと混ぜた料理だ。子供のころは、決して美味しいとは思わなかった。茨城で働く事になって、まさか店で売っているとは思わなかった。名前の由来は宇治拾遺物語の説話にあるらしく、「酢む漬かり」を起源とするらしい。発音から言えば、我が家の「すみつかれ」のほうがより近い。「宇治拾遺物語」は仏教説話、民間伝承などを収録した13世紀の物語集。「今昔物語」と並ぶ作品とされる。「わらしべ長者」や「こぶとりじいさん」などが有名だ。私はこのわらしべ長者の説話が好きだ。縁を紡いで豊かになる物語だ。
我々世代では森高千里の「ロックンロール県庁所在地」にバックコーラスフレーズとして、歌われている。
稲荷神社の神使は狐であることから、お供えとして、油揚げを上げるが、地方によっては赤飯をお供えすることも多いあり、行田市桜町(長野)の久伊豆神社の境内社は赤飯稲荷(しゃくじきいなり)と呼ばれている。赤飯と共にすみつかれも供えられていたのだろう。
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鷺栖神社と石田堤

2018-02-21 20:27:33 | 神社と歴史 忍領行田

 荒川左岸に位置する行田市門井町は元荒川水源近くに位置し、忍城水攻めの際に築かれた石田堤の西の端にあたります。当地の鷺巣神社は現在この堤後に建てられていて、小高い塚の上に立つ社殿の様子はことのほか美しく見えます。元は神明社と称し、いつのころからかこの社に鷺が飛来するようになり、棚田村の鷺栖神社から分霊し勧請したと伝わります。慶長期に社殿が構築されたとあるため江戸初期の頃です。その後大井村から分村し門井村となり、伊勢に倣い月読神社等を祀り、明治になって山神社、塞神社など合祀しています。主祭神は日本武尊。土地柄農耕治水の神として信仰されてといわれます。
 元荒川の氾濫から水の神として信仰され、口碑に江戸期久下村(熊谷市)の土手が切れ大水害となった際、この地では堤に神社を祀っていたため難を逃れたと伝わります。現在でも神社脇の道は狭く、JR行田駅からわずかの距離にもかかわらず、静かな環境です。この道の先に棚田神社があり、道沿いには道祖神、賽神が祀られ、それぞれ延宝七年、寛文十三年の年号が刻まれ、江戸期からの信仰が見て取れます。

農業地区から駅前の信仰住宅地に変化しつつも、最近行われた伊勢講、出雲講の石碑が建てられており、地域の神社に対する信仰の深さが分かります。
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