江戸の町に住む人々は、どんなお正月を送っていたのだろう。杉浦日向子(故人)の「お江戸風流さんぽ道」(小学館文庫)を覗いてみた。
初日の出を拝んで帰ると、あとはなあんにもしない。おせちをつまんで酒を飲む。ほろ酔い気分で家でごろごろ。これが江戸の庶民の正月だった。そういえばオイラがご幼少のころ、昭和30年代までは、この雰囲気が残っていた。
お袋がよく言っていた。お正月は何もしてはいけない。お風呂を沸かすと鬼が入りにくる。お年玉も使うな、只、お正月はじっとしていろと。
江戸の町もいたって静かだったようだ。遠くで羽根突きの音と笑い声が、澄んだ空気の中で聞こえてくる。お正月のために準備されたおせち料理は、日持ちのする煮しめが多く、もっぱら酒のつまみだった。
江戸式の雑煮もいたってシンプル。醤油のおすましに焼いた角餅。そこに小松菜と鶏肉または蒲鉾が少し入るくらいだった。これは家康公の、貧しかったころを忘れるなという戒めから始まったこと。ただ、庶民の間では、お国自慢のいろんな雑煮が、隣近所に振舞われたそうだ。地方から人が集まった江戸の町らしい。
初日の出は、ほとんどの江戸っ子が拝んだ。大晦日から夜明かしで飲んで騒いで、初日の出を向え、あとは寝正月だった。初日の出は1年分の吉運が天から降ってくると信じられていたからだ。(その頃、武士は年始まわりに忙しかった)
初詣は、松の内の15日までに済ませば良く、近くの氏神詣で程度だった。ところが、お正月に賑わった神社に、恵方参り(厄除けのお参り)と七福神巡りがあり、これは江戸中期から始まった。
不忍(しのばず)の弁財天、谷中感応寺(やなかかんのうじ)の毘沙門天、谷中長安寺の寿老人、日暮里青雲寺の恵比須・大黒天・布袋、田端西行庵の福禄寿が有名だったようで、多くの参拝者で賑わった。
オイラの地元、お諏訪神社のご神体は恵比須様だ。今度のお正月は、たんまりお酒を飲んだ後で、諏訪神社へ商売繁盛、商店街活性化を祈願して初詣をしようか。それから、江戸風のお正月で、帰ってからまた飲みなおそう。
くどいようだが、これだけ参拝しているのだから、少しは願いを聞いてくれてもよさそうなものなのに。生川神主さ~ん!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_yodare1.gif)
初日の出を拝んで帰ると、あとはなあんにもしない。おせちをつまんで酒を飲む。ほろ酔い気分で家でごろごろ。これが江戸の庶民の正月だった。そういえばオイラがご幼少のころ、昭和30年代までは、この雰囲気が残っていた。
お袋がよく言っていた。お正月は何もしてはいけない。お風呂を沸かすと鬼が入りにくる。お年玉も使うな、只、お正月はじっとしていろと。
江戸の町もいたって静かだったようだ。遠くで羽根突きの音と笑い声が、澄んだ空気の中で聞こえてくる。お正月のために準備されたおせち料理は、日持ちのする煮しめが多く、もっぱら酒のつまみだった。
江戸式の雑煮もいたってシンプル。醤油のおすましに焼いた角餅。そこに小松菜と鶏肉または蒲鉾が少し入るくらいだった。これは家康公の、貧しかったころを忘れるなという戒めから始まったこと。ただ、庶民の間では、お国自慢のいろんな雑煮が、隣近所に振舞われたそうだ。地方から人が集まった江戸の町らしい。
初日の出は、ほとんどの江戸っ子が拝んだ。大晦日から夜明かしで飲んで騒いで、初日の出を向え、あとは寝正月だった。初日の出は1年分の吉運が天から降ってくると信じられていたからだ。(その頃、武士は年始まわりに忙しかった)
初詣は、松の内の15日までに済ませば良く、近くの氏神詣で程度だった。ところが、お正月に賑わった神社に、恵方参り(厄除けのお参り)と七福神巡りがあり、これは江戸中期から始まった。
不忍(しのばず)の弁財天、谷中感応寺(やなかかんのうじ)の毘沙門天、谷中長安寺の寿老人、日暮里青雲寺の恵比須・大黒天・布袋、田端西行庵の福禄寿が有名だったようで、多くの参拝者で賑わった。
オイラの地元、お諏訪神社のご神体は恵比須様だ。今度のお正月は、たんまりお酒を飲んだ後で、諏訪神社へ商売繁盛、商店街活性化を祈願して初詣をしようか。それから、江戸風のお正月で、帰ってからまた飲みなおそう。
くどいようだが、これだけ参拝しているのだから、少しは願いを聞いてくれてもよさそうなものなのに。生川神主さ~ん!
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