花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

遺影に関する考察 エッヘン!

2005年11月12日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
細木数子さんが、テレビで亡くなった人の写真をはずしなさいとおっしゃっていたそうだ。
舎の家に行くと、座敷のカマチに、亡くなったご先祖さんの写真が並んでいるのを見かける。多分、葬儀に使った写真だから、捨てるのもどうかということで、四十九日が終わったあたりで、仏間の横に並べて飾るのだろう。
真を破棄しなさいと細木さんが言ったらしい。あの方のおっしゃることはてきめんに世間に広がり、ここ数日、問い合わせの電話がオイラの店にもかかってくる。以前にも、ゲルマニウムブレスレットが利くといわれたことがあるらしい。単価の安い当店の品も、いくつか売らせてもらっている。
くなった人の写真は、あくまでもその人の面影をしのぶもの。お参りの対象ではない。言い切ってしまえば、唯の写真だ。掛けておかなけらばならない理由はない。お客さんによっては、あんな人の顔見たくもないと、仏壇の横に押し込んでみえる。
といって捨てるのも気がひける。大切な人の面影を、時々思い出すように飾っておいても良いんじゃないかと思う。無理やりはずす必要はない。
む対象は、あくまでも位牌だ。お位牌に書いてある戒名又は法名に手を合わせれば良い。しかし、位牌ではピンとこない。死んだ親父やお袋の写真を見たほうが、いろいろと語り掛けよい。
いうことで、写真は必ずしも飾る必要はないが、掛けておいても差し支えない。と、これがオイラの結論だ。
影の写真は、明治の終わり頃から始まった習慣だろうか?写真でなくて、デッサンも見たことがある。よく似た顔が並んでいて、さすが血が繋がっているんだなあと、変に感心させられる。