花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

入鹿さんの豪邸発掘される

2005年11月14日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
昨日、お客さんのところでこんな話が出た。「日本は良いですねえ、宗教が原因で殺し合いをしないですから」隣の国と地続きというせいもあるけれど、イスラム教圏では宗教が原因で戦争をしている。
れに比べて仏教はいたって肝要だ。一神教と異なり、たくさんの仏様がみえる。日本人は、神さんを拝んで、ついでに仏さんを拝んでいる。
来日本は神様の国だった。それを国家統一のために、聖徳太子が仏教を大陸から輸入した。豪族の蘇我氏が、仏教輸入に反対する物部氏を倒して、聖徳太子と国家統一のために宗教を利用した。(587年)
んなことを考えていたら、朝刊に曽我入鹿の邸宅跡が発掘されたと載っていた。蘇我氏は、その後国家の中枢に座り込み権力をほしいままにしたのだ。聖徳太子が死んだ後、邪魔な太子の子供である山背大兄王も殺してしまった。
ごれる者は久しからず。蘇我入鹿も、中大兄皇子と中臣鎌足に宮中で暗殺される。有名な、大化の改新(645年)だ。恨めしそうな入鹿の首が、御簾のところにブッ飛んでいる絵巻物がある。
原 猛が「隠された十字架」で聖徳太子一族の悲劇を書いていた。法隆寺は太子一族の怨霊を沈めるために建てたというのが、梅原さんの説だ。昔この本を読んだが、おもしろかった。入鹿が太子の霊に恐れおののき、法隆寺の前身である飛鳥寺を建てた。法隆寺には霊を沈めるための仕掛けがいろいろあるという。
門の柱が奇数だったり、塔の上に鎌が刺さっていたり、秘仏の救世観音を開けると災いが起こるとか、梅原流にほぜくり出すといろいろ出てくる。
ごれる者は久しからず、と書いたけれど、蘇我氏が物部氏を倒してから暗殺されるまで、代々にわたって60年近くも贅沢していた。まあ、久しくはないと思う。十分贅沢したと思う。
回は難しい話だった。間違いもあると思う。背伸びはしないこと。教訓