花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

救急隊出動!

2005年11月13日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
昨夜、救急車に乗った。初乗りだ。あまり気持ちのいいものではない。
22時45分ごろ、エンタの神様を見て馬鹿笑いをしていたら、隣から電話があった。隣にはおかぁんの両親が住んでいる。おばあさんが転倒したということだ。あわてて覗きに行くと、台所で頭から血を出してひっくり返っていた。オイラは酒を飲んでいるので車の運転ができない。やむを得ず救急車を呼んだ。
急車はすぐ来た。女の方が運転している。あまり美人ではない。これでは署内で不倫騒動も起こるまい。おかぁんはパジャマなので、お前添乗で行けと言う。初めて救急車に乗せていただいた。酒のにおいが車内に充満しないかと心配で、余計な話は控えた。
日市市立病院の救急センターへそのまま横滑りで入った。夜遅いのに、結構な人で賑わっている。赤ちゃんを連れた親子、外人の団体、おなかの大きい婦人を伴った夫婦、時々顔をしかめて痛がるおじさん、若いサラリーマン、ツッパリ姉ちゃんの二人連れ。ここで殺人事件が起きたら、誰が犯人だろうか?
針縫ってから、CTを撮っていただいているので時間がかかる。掲示板に、救急感者が入ったので、その人から診察を始めていますとの表示が出ている。おばあさんのことだ。しばらくたって表示が消えたので、もう帰れるかと思って喜んでいたが、一向にお呼びがかからない。また救急患者がタンカーで運ばれてきた。大繁盛だ。
前を呼ばれたので、診察室に入ったら、トイレに連れて行ってくださいといわれた。勘弁してよと思ったが、気はしっかりしているのでトイレまで連れて行き前で待った。
わって再び診察室へ。今度は、部屋の前で待たされた。眠気が襲う。前のナースセンターは、テレビで見るような緊張感はない。あまり美人もいそうにない。普通のおばさんがパソコンとにらめっこをしている。勤務を終えた看護婦さんがうれしそうにかばんを持って帰っていった。横の部屋に、三人連れの家族が心配そうに入っていった。
の先生に呼ばれたので行ってみると、ここへ寝ろという。エッ!何でという顔をしたら、患者さんと間違えられたらしい。さっきの、顔をしかめて痛がるおじさんが代わりに入り、しばらくたって頭から網をかぶって出てきた。
前2時。娘とおかぁんが迎えに来てくれて、家に帰った。これだけ時間がかかって2700円とは安い。しかも薬のお土産つきだ。酔いもすっかりさめてしまった。夜の救急センターにはいろんなドラマがありそうだ。テレビで取り上げられるのも、ごもっともなことだ。
院に勤務する人は大変だ。誰もあくびをしていなかった。

遺影に関する考察 エッヘン!

2005年11月12日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
細木数子さんが、テレビで亡くなった人の写真をはずしなさいとおっしゃっていたそうだ。
舎の家に行くと、座敷のカマチに、亡くなったご先祖さんの写真が並んでいるのを見かける。多分、葬儀に使った写真だから、捨てるのもどうかということで、四十九日が終わったあたりで、仏間の横に並べて飾るのだろう。
真を破棄しなさいと細木さんが言ったらしい。あの方のおっしゃることはてきめんに世間に広がり、ここ数日、問い合わせの電話がオイラの店にもかかってくる。以前にも、ゲルマニウムブレスレットが利くといわれたことがあるらしい。単価の安い当店の品も、いくつか売らせてもらっている。
くなった人の写真は、あくまでもその人の面影をしのぶもの。お参りの対象ではない。言い切ってしまえば、唯の写真だ。掛けておかなけらばならない理由はない。お客さんによっては、あんな人の顔見たくもないと、仏壇の横に押し込んでみえる。
といって捨てるのも気がひける。大切な人の面影を、時々思い出すように飾っておいても良いんじゃないかと思う。無理やりはずす必要はない。
む対象は、あくまでも位牌だ。お位牌に書いてある戒名又は法名に手を合わせれば良い。しかし、位牌ではピンとこない。死んだ親父やお袋の写真を見たほうが、いろいろと語り掛けよい。
いうことで、写真は必ずしも飾る必要はないが、掛けておいても差し支えない。と、これがオイラの結論だ。
影の写真は、明治の終わり頃から始まった習慣だろうか?写真でなくて、デッサンも見たことがある。よく似た顔が並んでいて、さすが血が繋がっているんだなあと、変に感心させられる。

糖尿病病床日記結果報告

2005年11月11日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
昨日は検査の結果を聞きに行った。半年振りの健康診断。血糖値は悪くなっている自信があった。
日、検査の日におみやげでもらった、大腸がん検査の袋は提出済みだ。検便は二日に分けて採取した。オイラんちは、腰掛式の便器だから、以前は逆に座って便が水の中に落ちないような姿勢をとった。なんか異様な姿勢だ。
回は厚手の水に溶けるシートが特別フロクで付いていた。シートを水の上に敷いて、そこへナニを盛る。心地よい臭気があたりに充満する。採取する容器の棒で、ナニの表面に網の目模様を書く。先に付けたナニが多すぎたせいか、容器からあふれてしまった。昔のマッチ箱のほうが入れやすい。死ぬまでこんな作業が続くのか。
便を好む方がみえるというのは以前にも書いた。但し、若い女性の便らしい。世の中にはいろんな方がみえる。いっそ、ネットで便を販売してはどうか。猥褻物にはなるまい。しかし、どんな人のナニか証明するものが必要になるだろう。そのときのシーンの写真か?犬がしゃがんでいてはまずい。やはり猥褻物に引っかかりそうだ。
察室で名前を呼ばれたので、覚悟を決めて入った。先生の第一声。「何か体に良いことでもしていますか?」「先生何もしていません。酒も減っていませんし、ああ、先日、鈴虫寺で地蔵さんにお願いしました」とは言わなかった。
重も減ってないのに、結果は前より良くなっていた。悪くなってないと先生も張り合いがなさそうだ。「油断しないでくださいよ。あなたの年頃だと、一気に悪くなる可能性もありますよ」ご機嫌が悪そうだ。
をつけます。どうもスミマセン。と謝って帰った。
ぜ謝らなければならないのか、よく分からなかった。
かし糖尿病には違いない。お祝いに、検査用紙をちらつかせながら、しっかり焼酎を頂いた。

江戸のお正月

2005年11月09日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
江戸の町に住む人々は、どんなお正月を送っていたのだろう。杉浦日向子(故人)の「お江戸風流さんぽ道」(小学館文庫)を覗いてみた。
日の出を拝んで帰ると、あとはなあんにもしない。おせちをつまんで酒を飲む。ほろ酔い気分で家でごろごろ。これが江戸の庶民の正月だった。そういえばオイラがご幼少のころ、昭和30年代までは、この雰囲気が残っていた。
袋がよく言っていた。お正月は何もしてはいけない。お風呂を沸かすと鬼が入りにくる。お年玉も使うな、只、お正月はじっとしていろと。
戸の町もいたって静かだったようだ。遠くで羽根突きの音と笑い声が、澄んだ空気の中で聞こえてくる。お正月のために準備されたおせち料理は、日持ちのする煮しめが多く、もっぱら酒のつまみだった。
戸式の雑煮もいたってシンプル。醤油のおすましに焼いた角餅。そこに小松菜と鶏肉または蒲鉾が少し入るくらいだった。これは家康公の、貧しかったころを忘れるなという戒めから始まったこと。ただ、庶民の間では、お国自慢のいろんな雑煮が、隣近所に振舞われたそうだ。地方から人が集まった江戸の町らしい。
日の出は、ほとんどの江戸っ子が拝んだ。大晦日から夜明かしで飲んで騒いで、初日の出を向え、あとは寝正月だった。初日の出は1年分の吉運が天から降ってくると信じられていたからだ。(その頃、武士は年始まわりに忙しかった)
詣は、松の内の15日までに済ませば良く、近くの氏神詣で程度だった。ところが、お正月に賑わった神社に、恵方参り(厄除けのお参り)と七福神巡りがあり、これは江戸中期から始まった。
忍(しのばず)の弁財天、谷中感応寺(やなかかんのうじ)の毘沙門天、谷中長安寺の寿老人、日暮里青雲寺の恵比須・大黒天・布袋、田端西行庵の福禄寿が有名だったようで、多くの参拝者で賑わった。
イラの地元、お諏訪神社のご神体は恵比須様だ。今度のお正月は、たんまりお酒を飲んだ後で、諏訪神社へ商売繁盛、商店街活性化を祈願して初詣をしようか。それから、江戸風のお正月で、帰ってからまた飲みなおそう。
どいようだが、これだけ参拝しているのだから、少しは願いを聞いてくれてもよさそうなものなのに。生川神主さ~ん!

イベント「まちなか音楽祭」

2005年11月07日 | おいらの商店街

5・6日の二日間にわたっておこなわれた、表参道のイベント「まちなか音楽祭」も終わりました。
や、疲れました。グリーンモールさんの秋の祭りのとき行なわれたイベントを100点満点とすると、スワマエは、50点くらいだったかな?と自己評価しています。イベントに対する各お店の理解が、まだまだ低いと感じています。
極的な協力店。理解はしていただいているのですが、自店が手薄なため静観しているお店。まったく無関心なお店といろいろです。お手伝いが無理でも、どこまで理解を持っていただけるのかが、これからの課題でしょう。
スム会長と、オイラと、だっくす亭さんで、頭を下げてお小言の通過を耐え忍ばせていただきました。準備が不十分だったことも原因のひとつだったと思います。
回のイベント成功も、やはり街の皆さんのおかげと感謝しています。同時に行なわれた「まちなか文化祭」の来街者を、表参道スワマエに呼び寄せることが出来ました。
ベントが終わってから、ちゃりんこさんから、どうして準備段階で「お諏訪さんにいらっしゃい」のメンバーに声をかけてくれなかったのかと、お叱りを受けました。ありがたいことです。みんなの協力を大切にしたいと思います。
ったり疲れて、家で食事の後、みたらしが出ました。店に誰かが持ってきたというのです。スワマエでは配っていませんでしたから、誰だろうと考えたら、グリーンモールの松岡さんからいただいた様子です。昨日はみたらしのタレがなくなり困っていたところ、グリーンモールさんから援助していただきました。忙しさにかまけて、十分なお礼も申し上げることが出来ませんでした。
して何よりうれしかったのは、発展会の意外な方々が、一生懸命協力していただいたことでした。
はりイベントをしていて張り合いがあるのは、街の皆さんとの暖かいつながりです。思いはひとつ。この繋がりを大切に育てていかなくてはなりますまい。

得々商店街 おもてなし秋冬号発刊

2005年11月03日 | おいらの商店街
四日市諏訪西商店街が組織する得々商店街通信「おもてなし」の第4号が作られた。えらそうに言いますが、今回は最高の出来でございます。
紙は、辻写真館さんが昭和30~40年頃撮られた、四日市中心商店街の写真が載っている。懐かしいので、面玉くっつけてなめるようにしてみた。昭和43年の1番街の様子がある。ものすごい人だ。こないだの秋の祭りのグリーンモールみたいだ。ちょっとぉ、商店街の皆さん、これを見て何か感じませんか?オイラは、ご先祖様に大変申し訳ないと思います。
めのページをめくると(最も、めくるページは1枚しかありませんが)各お店の秘蔵の品が掲載してある。古い品で見て楽しい一品である。先日の愛知博日本館にも戦後の古い品が展示されていたが、それらを足元にも寄せ付けないほどの品が並ぶ。
ぜ、これほどべた褒めなのかと申しますと、ここに親父が持っていた火縄銃が入っているからだ。親父は先代から受け継いだ骨董好きで、おふくろと旅に出ては、骨董屋を覗いていた様子だった。といってそれほど高価なものを買うわけでもなかった。
行から帰ったおふくろが、おかしそうに話すには、ある骨董屋で置時計をいじくっていたら落としてしまい、しかたなく買い求めてきたそうだ。そのときの、親父のバツの悪そうな顔が目に浮かぶ。
日は朝から、諏訪西振興組合の野村さんが店に来て、火縄銃展示してあるかとお尋ねになる。「まんだぁ」といったら、「各お店を見て回れるように書いてあるから、出しといて」とおっしゃる。やはり、こまめに世話をする野村さんや中嶋さんがいるから、立派な「おもてなし」が出来るのだと感心する。
速、店頭に火縄銃と解説を飾った。解説文を作っていて勉強させてもらったが、燃えている火縄は、火挟みと言う金属製柄の先に装着され、狙いを付け引き金を引くと、バネの力で、火が火皿上の発火薬上に落ち、瞬時にこれを発火させるのだそうだ。
き金を引き、発射が瞬時でないと弾丸は狙ったところには行かない。銃がぶれるからだ。よく花火のように火縄が燃え尽きて発火すると誤解している人がいるが、それでは銃器としての体裁をなさない、とあった。
縄が燃え尽きるまで構えていたら、多分おしっこがしたくなるだろう。
追伸
明後日に迫った「まちなか音楽祭」のことを考えると落ち着かない。ススム会長が来て、オイラの胸のうちを告白すると、「明日の段取りを考えるわ」ときた。どういう神経の持ち主なのだろう   か。

イベント「まちなか音楽祭」迫る

2005年11月02日 | おいらの商店街
11月5・6日、オイラの発展会、表参道スワマエで「まちなか音楽祭」のイベントを行なう。
の数日、準備で大忙しだ。これがうちの店だったらなあ、とススム会長とこぼしている。いたって本業は暇なので、これだけ入れ込むことが出来るのだろう。いいことか、悪いことかわっからない。
昨日は、食材を調べに回った。千賀ちゃんと、横ちゃん嫁が一緒だった。初めに、道路許可申請を取りに警察へ。提出が遅れたので、しっかり絞られた。今後イベントをされる方で、道路許可を取られる方は早めに行っておいたほうが良い。10年位前でも遅くはないぞ!
日は、ススム会長と、文化会館にあるグリル四日市の丹羽さんのところに相談に行った。先日なくなったひふみさんとかなり親しかったようすで、イベントに関する食材から器具までの一式を調達することが出来た。食のイベントで相談されたい方は、ススム会長に聞いていただくと紹介してあげます。但し、相談受付は30分5000円???です。
日は、本業ほったらかしで、ポップ作りをしていた。抽選の景品を各お店から出していただくのだが、冷たいお店が多いと思っていたのですが、結構皆さん協力的なので、良かったです。やっぱり、声をかけてみるものです。
追伸
一日は、恒例の諏訪神社参拝だった。祝詞をいただいている間、頭を床に付くくらいお辞儀していたが、苦しくて、ケツが30センチほど浮いていた。前に転ぶのではないかと心配な参拝だった。