気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

お菓子の『水無月』とは?

2019-06-28 16:12:06 | お稽古

お菓子の水無月とは?
形は氷を象った新粉製三角形の上に邪気払いの煮小豆を
散らしたもの。
生菓子の「氷室」より考案されたもので、加茂の水無月祓
の神事にこじつけて、6月(水無月)のお菓子として京都の
お菓子屋さんが考案したものだということのようであり、
京都では、毎年6月30日に暑気払いのおまじないとして
市民が頂くようになった。

いつ食べるもの?
氷の朔日である6月朔日?、夏越しの払いである6月晦日?
旧暦6月1日は、宮中では氷の朔日と称して、氷の節会、
氷室の節会があり、民間では歯固めとして寒餅、凍餅を
焼き調べ神仏に備えて食べるなどの風習があった。
6月と12月の晦日は大祓の日で、半年分の罪や穢れを祓う
ための祭事とされた。

6月の大祓を「夏越の祓(なごしのはらえ)」あるいは
「水無月祓(みなづきはらえ)」といい、起源は古く、
大宝律令(701年)に宮中の年中行事に定められている。


旧暦の6月1日は新暦では今年は7月3日となります。
私が思うところでは6月1日から7月初めまでの間で、
いつ水無月をいただいてもいいのではないかしら。
稽古に来ていただいている方々には一回は水無月を
お出ししようと思っております。
暑気払いになりますように・・・
  

因みに宗家では毎年新暦6月1日に水無月をいただかれると。 

水無月でお稽古

2019-06-16 20:26:14 | 主菓子とお干菓子



二十四節気『芒種』末項は「梅子黄(うめのみきばむ)」
6月15日から20日頃とされ、梅の実が黄ばんで熟す頃。
青梅は次第に黄色みをおび、赤く熟していきます。
6/7⇒6/15

15日の稽古は昼から、菓子をどうしましょう。
この時期、少し早いのですが『水無月』を造ることに。
外郎(ういろう)の上に小豆を載せたお菓子ですね。
  

京都で水無月が食されるようになった由来は、6月1日に
宮中で行われていた「氷の節句」だといわれています。
古来氷室(洞窟など)で、氷や雪が冬のうち保管され、
水無月の頃、朝廷や幕府に献上されて、取寄せた氷を口に
含み、暑気を払って夏を無事に乗り切れるよう祈願された。
しかし、庶民にとって氷は高嶺の花でせめて氷をういろうで
表し、氷で涼をとったつもりになる水無月を生み出しました。

水無月は、白い外郎で氷をイメージし、上に載った小豆は、
魔よけの力を持ち邪気を払うものとされ、さらに三角の形も、
魔よけ、厄病よけの意味にもなるお菓子です。

京都の人々は、6月30日に夏越しの祓えという習慣があり
水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり
拾遺和歌集で読まれている通り、神社にお参りをし、
夏を迎えるにあたっての邪気払いのお菓子をいただくことで、
厄をのがれ、夏を迎えようとする気持ちを込められています。

奈良はまだ梅雨入りもしておらず、半月前で早かったですが、
厄をのがれられ、夏を迎えて頂ければ・・・。

床に軸は『竹』、花は紫陽花、ホタルブクロ、鳴子百合
更好棚を用いて、薄茶と濃茶点前を薄茶器には『四滴』の『弦付』を
使ってみました


 

愉しんでいただけたでしょうか。

追加)今日の先生のお稽古で頂いた奈良・樫舎の水無月です。
外郎の代わりに葛で造られており、流石上品な甘さと・・・。

知られざる?大和文華館コレクション展へ

2019-06-14 21:31:32 | 大和文華館
梅雨入りがまだない近畿地方、晴れ渡った日に訪れた「大和文華館」、
名残のササユリが門前に一輪のみ咲き、終わりを告げ、バトンタッチは
「紫陽花」へと、季節の移り変わりを教えてくれました。


本館前まで行きつくのに汗が出るほどで、ほんとに夏色です。


7月7日まで「知られざる?大和文華館コレクション」展が開催中です。


大和文華館は来年で開館60周年を迎えます。
美術史家であった初代館長・矢代幸雄により〝日本やアジアの美術史の
流れが分かる美術館を”とバランス良く集められたコレクション、
現在は2000件にまで達しており、日頃展示されない考古学遺物や
絵画作品に日の目が当たる企画です。
なお初出展は2件、40年ぶりや十数年ぶりも数点ありました。

土偶、埴輪や土器が展示された本館内、考古学博物館では目にしますが、
美術館でお目にかかるとは?。


この企画者である古川攝一学芸員に説明をしていただけました。
ここでは土偶や埴輪は彫刻に、土器は日本陶器に分類されており、日本
美術史における縄文・弥生・古墳時代の文化史の違いと、中国や朝鮮を
通じて渡ってきた文化が日本で花開いた一端を窺い知ることが出来ました。
またこのように展示すれば重要文化財へ指定されることもあるのかもと。
力が入っていたマニ教の六道図、それとも・・・数年先が楽しみに。

展示品数は約50件で、重要文化財は古墳時代の埴輪像2件で、
【日本考古】、【東洋考古】と【絵画・彫刻】の三部構成で、
改元の典拠となった万葉集巻5(江戸時代1643年の版本)も参考出展。
後ろ4行からで、梅の花だけでなく、次ページでいろいろな花の名前が
出てくるのですよと


【日本考古】
4.土偶立像 秋田県出土 縄文晩期(紀元前1000~400年)
  土偶は殆どが女性、お産の大事さと豊かさを表すのでしょうか。
  遮光器土偶の後の時代で、 体中点々の刺突紋や顔には化粧か
  入れ墨、首や肩の部分には赤い絵の具が残っており、背中には
  「6」字形の模様が表され、愛らしい姿に見とれます。


5.縄文大壺 新潟県 加曾利E式 縄文中期
  火焔式土器で、炎の大切さ、非対称な文様は美意識の多様性を表す?
  縄状にして積み上げて壁は厚く、焼成温度は900℃まで酸化焼成

8.弥生壺   弥生時代
9.土師器大壺 古墳時代 
  ロクロが使用され、壁が薄くなるが、まだ900℃で焼く
10.埴輪鷹狩男子像 群馬県出土 古墳時代 重要文化財
  冠を被り、髪を美豆良に結い、玉を連ねた髪結びで目鼻立ちの整った
  容姿が可愛い。両腕には籠手を付け、左手には嘴の鋭い鷹がとまる。
  大腿部が異様に膨らみ当時の造形感覚を推し量るが先の台座は欠ける。
埴輪鷹狩男子像 重文

11.埴輪 男子立像 茨城県出土 古墳時代 重要文化財
  つばの部分に斜め格子文様のある兜、美豆良の髪は肩まで・・・
  頬の部分の赤身、口の周りの黒味など服の白の蛇の目模様など
  彩色がのこり、下半身の造形的不均衡が何とも言えぬ造形感覚だ。
男子立像 重要文化財

13.出土刀装具 10点 古墳時代
15.翡翠勾玉 5点 古墳時代
16.須恵器提瓶 古墳時代
  竃で焼くことで1200-1300℃の還元焼成が出来、自然釉も登場
21.三尊塼仏 大阪大平寺 奈良時代前期
  寺の壁に飾られ、金箔が残るものもあり、華やかであったのでは

【東洋考古】お墓から出土した物品
24.灰陶加彩鴟鴞尊 中国・前漢 
  ミミズクは繁栄と再生、リアリズム
28.灰陶加彩誕馬 中国・南北朝 財産を表す
29.灰陶加彩駱駝 中国・南北朝 財産を表す 15年ぶりの展示
31.塑像武人俑 中国・唐 足元の鬼を踏みつける姿 
     台の横に穴があり、11番の埴輪の台にも穴が開き同じ用い?
33.塑像武人俑 アスターナ出土 大谷探検隊 中国・唐
     かわいらしさが・・・
34.犬塑像 中国・唐末期  15年ぶりの展示
  猟犬で西洋犬でシルクロード由来か、
  次世代の大和文華館のアイドルに???、肌が痛んでいる。


38.飛天文軒平瓦断片 5点 慶州・興輪寺、普門寺出土 統一新羅
    かわいらしい飛天が、精度の高い技術が使われている

【絵画・彫刻】
42.六道図 中国・元
  当初は仏教画と思われていたが、2006年の泉武夫の論文より日本でも
  数点しか確認されない数少ないマニ教画と2008年に判明した。
  マニ教とは、ササン朝ペルシャのマニ(210-275年頃)を開祖とし、
  ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの流れを
  汲む宗教で、二宗三際を基本とする。ゾロアスター教の二元論と宇宙は
  三際、つまり初際、中際と後際になり回帰し、694年に中国に布教され、
  老子化胡経として広まったが、一度は禁教となったが、元時代に復活、
  再び禁教となり、現存しないとされる。
  『大和文華』121号(マニ教絵画特輯)によれば、マニ教は本来折衷主義的な
  宗教であり、マニ教絵画を制作した絵師たちも、寧波仏画と共通する図像や
  表現を用いていることが指摘され、赤い縁取りの白い衣がマニ僧の特徴とされる
  左右の袖での上下に四角の中に顔が現れ、藤田美術館や山梨・栖雲寺所蔵の
  『虚空蔵菩薩像」にも同様なものが確認される。と

 
47.木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代 (パンフレットの右下の像)
  截金を用いられており、おでこが広い形で下から見上げることを考慮されたか 

48.六字経曼荼羅図 南北朝
51.愛染明王図 大津絵 江戸中期
   愛らしさと稚拙さが同居する(パンフレット中央上のもの)
52.雷図 大津絵 江戸後期 初めての展示

53.涅槃図 道益画 江戸後期 木版筆彩、庶民に普及してきた
54.日蓮上人涅槃図 江戸後期 木版彩色 庶民に普及してきた
55.大峰山全図 江戸後期 初めての出典 

なかなか面白い企画で、二回伺いました。 

菓子は青梅で

2019-06-06 20:36:11 | 主菓子とお干菓子
六月六日、24節気の『芒種』初候は螳螂生(とうろう しょうず)
芒(のぎ)のある穀物、稲や麦などの種をまく季節からですが、
初候、カマキリなどの虫の孵化が始まり、次候は螢が川から上がり
草に宿り始め、末候は梅の実も黄色づき始める気候を表します。

現在奈良の籾蒔きは山間の早場米地帯は4月初旬、平地で5月初旬頃
平地の田植えもそろそろ終わり掛けです。

また今日は「梅の日」で天文14年4月17日(新暦1545年6月6日)、
京都・賀茂神社の例祭・葵祭で後奈良天皇が神事をされた際に
梅が献上されたという故事から紀州梅の会が制定した。

家の梅はまだ青梅のまま、末候になれば黄色く熟し始めるのでは。


先日先生のお稽古に伺ったおり、菓子は樫舎(かしや)さん『青梅』で、
上品な色模様と形、備中白小豆の粒餡との取り合わせ美味しさに感動!(写真なし)

触発されこの火曜日のお稽古前に造った『青梅』、時間がなく
慌てていたためか形が?
お出での方々には、喜んで頂けたようです。




床には、軸は『善な寶』百五代法隆寺管長、間中定泉


花は縞葦、ホタルブクロ 白南天とヤマアジサイ
 

午前中は更好棚にて薄茶平点前と入れ子点を
午後は、お茶碗荘りを
「このお茶碗は、恩師よりいただいたもので・・・」
お稽古でなりきるのは、気恥ずかしいものですね。


圓照寺門跡 山村御流いけばな展へ

2019-06-02 13:09:56 | 散策
令和に改元され皐月もあっという間、水無月になりました。
空気中の湿度も増え、平年並みの7日にも「梅雨入りした模様」
との発表があるかも。降水量も平年並みに抑えて頂ければ・・・。

昨夕に稽古場も障子から簀戸へと切り替え、季節を感じて下さいね。


昨日は、奈良西大寺の近鉄百貨店・奈良店六階近鉄奈良ホールでの
圓照寺門跡 山村御流いけばな展』へ伺いました。
 

会期は六月四日(火)までで、今日二日から後期になります。
写真は禁止ですので、入り口だけに

珍しい山野草から食卓にのぼる果物まで
センスよくいけられており、茶室に置いても
しっくりいくような作品がいっぱいでした。
見るだけでもセンスが磨けたらいいなと思いながら・・・
そしてお茶も頂いてきました。