学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

ハウフ『盗賊の森の一夜』3

2018-10-30 18:00:26 | 読書感想
お金とはなんだろう。お金があれば、私たちは贅沢ができる。生きるために必要とされる衣食住はすべてまかなえるし、そもそも仕事をしないでも遊んで暮らせる。毎日が楽しくなるだろう。けれど、そこに幸せがあるのだろうか。そもそも幸せとは何?と、考え出すと、とたんにきりがなくなります。

ハウフ『盗賊の森の一夜』を読了しました。小説のプロットとして、盗賊に襲われる可能性のある旅籠での話が大きな筋になっていて、そこに夜通し話しをする人物たちの短編が入ってくる、というものでした。短編のほうは、メルヒェンを通して、人間とお金との関係、あるいは幸せとは何かがテーマになっていたような気がします。金におぼれるものは身を亡ぼす。よく言われるテーマですよね。私が気になっていた「冷たい心臓」の続きが、ハッピーエンドだったのは救いです(笑)

この小説のように、一室に集まって、男たちが夜通し話をする。同じようなスチエーションで日本と関係するものがなかったかなあ、と考えてみるにありました。江戸時代の百物語です。一部屋に集って夜通し怪談話をし、100話目の話が終わると、ろうそくが消えて幽霊が出る、というものですね。19世紀初頭の日本とドイツ、電気もない時代、どの世界でも似たようなことがあったのかもしれません。

ハウフ『盗賊の森の一夜』はメルヒェンとしても、そしてお金に対する教訓としても、私たちを今なお楽しませてくれます。


・『メルヒェン集 盗賊の森の一夜』ハウフ作、池田香代子訳、岩波書店、1998年

作品の調査へ行く

2018-10-29 08:17:41 | 仕事
学芸員には、調査・研究という基礎的な仕事があります。ある作家、作品、またはその周辺の社会を調べる。調べる、といっても、作品図版を見るのではありません。モノをきちんと見て、それに向き合う、それが学芸員にとって最も重要で大切なこと、と私は考えています。

先日は、個人宅で作品の調査をさせていただきました。その方の2、3代前の方が作家活動をされていて、その作品が残っているとの情報を得たためです。縁側からご案内をいただき、部屋に入ると、もうたくさんの数の作品がずらりと並んでいました。保存状態はどれも良好、ご遺族の方が今まで絵を大切にされてきた想いが強く伝わってきました。

それらの絵を描いた作家は、いわゆる教科書に載るような偉大な作家、というわけではありませんが、郷土に暮らし、その日々の生活の中で生み出されたイメージを作品にしています。これまで完全に歴史の中に埋もれてしまっていたのですが、郷土にもこうした作家がいたのだ、ということを発掘するのも学芸員の使命のひとつ。これから、所蔵者の方と相談しながら、継続して調査を進めていく予定です。

とても良い勉強をさせていただいた時間でした!

詩のたのしみ

2018-10-25 21:31:45 | 読書感想
私は小説をよく読みます。それは自分が違う世界に入ってゆけるから。『枕草子』で平安時代に行くこともできるし、『坊っちゃん』で明治時代に行けるし、『シャーロック・ホームズ』で19世紀のロンドンに行くことだってできる。でも、同じ文学のジャンルでありながら、これまで「詩」についてはちょっと敬遠気味でした。ただ、ひとり、萩原朔太郎をのぞいては!

私の手元に『詩を読む人のために』という三好達治が書いた本があります。この本は、三好がセレクトした、いわばオムニバス詩集。


「詩を読み詩を愛する者はすでにして詩人であります」


詩というと、どうも高尚で難解なイメージがあったのですが、この言葉で一気に敷居が低くなるような気がします。

このごろ、何気なしにこの本を読んで、気に入った詩人の詩を音読したり暗唱したりして楽しんでいます。なぜ、音読や暗唱するのか。それは音読や暗唱をすると、自分の体のなかに詩がふっと降りてくる感じがするから。私にとって、詩は黙読するものではないのです。

詩集には、私の好きな萩原朔太郎が入ってもいるわけですが、読むといいな、と感じるのは堀口大學の「夕ぐれの時はよい時」、津村信夫、田中冬二あたりです。特に田中冬二は最近のお気に入り。


醤油    日が暮れると田舎の町は真暗だ
さうめん  広重の海に雨
蕎麦    しぶしぶと暗い雨の夜 怪談


こうした、思わずうなってしまうような聯想の発想が好きです。

敬遠気味だった詩も、この本のおかげで大分楽しくなりました。これをきっかけに、もっと色々な詩人の詩を知りたい。毎日が楽しくなりそう!



・三好達治『詩を読む人のために』岩波書店、1991年

『ずぼらヨガ』

2018-10-24 19:21:16 | 読書感想
ヨガをすると自律神経に良い、と聞いて、以前からやってはいるのですが、私はなかなか継続しません。根が飽きっぽいのと、疲れているとどうしても億劫になってしまうのです。また、いわゆるヨガの指南書を買ってみると、あまりの分厚さにまずどれをやったらいいのかわからない。そんなこともあり、しばらくヨガからは離れていました。

けれど、最近、またヨガを復活させています。というのは、先日書店で崎田ミナさんの『ずぼらヨガ』を買って、また再びヨガに取り組みたくなったのです。この本が面白いところは、自律神経を害した著者がヨガでどのように体調が変わったのか体験談を書いている点、ヨガについてイラストでわかりやすく説明している点、そしてとにかく最低限のメニューだけを記した点です。

タイトルに、ずぼら、と書いているだけあって、家や職場、出先でも手軽にできるヨガの方法が書いてあるのがうれしい。ずぼらな私にはまさにぴったりで、現に1週間継続しています(笑)ヨガ、という特別な時間をとらなくても、細切れの時間で済ませられる。なかなかいい!私はまだ1週間なので、体調が改善した、肩こりがほぐれた、などの効用はまだ出ていませんが、ぜひ継続して、体をリフレッシュさせてみたいですね!


・崎田ミナ著『ずぼらヨガ』飛鳥新社、2017年

東京ビエンナーレ2020

2018-10-23 20:12:38 | その他
10月22日、日本経済新聞夕刊文化欄に、2020年の東京オリンピックに合わせ「東京ビエンナーレ」を開催するとの記事がありました。元々、東京ビエンナーレは1952年から1990年にかけて行われており、その歴史を踏まえたうえでの開催だそう。関東ではすでに「中之条ビエンナーレ」、「さいたまトリエンナーレ」、「横浜トリエンナーレ」があり、オリンピックを契機に、こうした周辺の動きとも関係しているのかもしれません。

その構想展では「美術というよりまちづくりのアイディアのよう」と記者が書いていますが、美術をより私たちの身近なものに落とし込んでいくための手法が取られるようです。詳しいところはぜひ記事で…。

ただ、こうしたビエンナーレ、トリエンナーレが各地で乱立して開催されているなかで、東京ビエンナーレが他とは違うアイディアと切り口をどのように私たちに見せてくれるのか、美術にたずさわるものとしてハラハラしつつも楽しみです。これはビエンナーレやトリエンナーレではありませんでしたが、2016年の「茨城県北芸術祭」は「科学技術」が切り口のひとつになっていて、とてもクオリティの高い作品がそろっていました。あのときのような、心がどきどきするような作品を東京ビエンナーレをぜひ見てみたい!!2020年が楽しみですね!

ハウフ『盗賊の森の一夜』2

2018-10-22 19:28:50 | 読書感想
みなさんは、どこで読書を楽しんでいますか? 私の場合、もっぱら我が家の寝室やリビングです。ただ、ちょっとした憧れがあって、それはカフェで読書を楽しむこと。好きな飲みものを横に置いて、本の世界に入っていけるなんて、きっと幸せだろうなあ、といつも思っていたのでした。それで、実は今日初めてそれをやってみることにしました。何ごとも挑戦です。そんな大げさなものではないけれど。

私は近くのカフェに立ち寄り、アイスコーヒー(デ・カフェ)を注文。贅沢なソファにゆっくり腰をかける。この時点で幸せでした(笑)カフェに持ち込んだ本は『盗賊の森の一夜』。続きが気になっていましたからね。

「冷たい心臓」というメルヒェン。主人公のペーターは、炭焼き、という自分の仕事が気に入らず、金持ちになりたくて仕方がない。それも楽をして。そんなとき、森の小人(妖精)の話を思い出します。紆余曲折を経て、深い森のなかでとうとう小人を呼び寄せることに成功。そしてかなえてもらった3つの願い。どれもあさましい願いごとでした。

「うぬぼれはつまづきのもとだぞ」

こんな小人の言葉を無視して遊びほうけるペーター。結末は…お察しのとおりです。

最初に読んだ「鹿の銀貨」と比べると、話にアップダウンがあって、面白い話です。また、森の小人の服装が美しい色ガラスで彩られている描写は、これぞメルヒェン!! 気になるのは…実はこれが「冷たい心臓 その1」ということ。この続き、読みたい!!

と、気づくと、私はまったくコーヒーを飲んでおらず、本に夢中になっていたことに気づきました。何のためにカフェに来たのやら。いけない、いけない。私、本に夢中になるともうその世界にまっすぐ飛び込んでしまうことを忘れていました。うーん、次は大丈夫かなあ。そんな私のカフェデビューでした。


・『メルヒェン集 盗賊の森の一夜』ハウフ作、池田香代子訳、岩波書店、1998年

津島佑子『鳥の涙』

2018-10-22 10:43:27 | 読書感想
昔ばなしは、読むよりも聞いたほうが印象に残る。私自身、子どものころ、ふとんのなかで祖母や母が話してくれる昔ばなしに心が踊らされたものでした。桃太郎、金太郎、浦島太郎…、こうした話は、本で読んだ、というよりも、祖母や母が話してくれたもので、家族との思い出のひとつとして記憶に残っています。

津島佑子さんの『鳥の涙』は、アイヌの民話(伝承)を元に展開していく短編小説です。強制労働に駆り立てられた父が、首のない鳥として舞い戻ってくる、その民話を祖母、母、私の三世代にわたって語り継がれていくというもの。語り継ぐ、といっても、世代ごとに民話に寄せる想いは異なり、首のない鳥のイメージとして、祖母は事故死した夫、母は疾走した夫、そして「私」は幼くして死んだ弟を想起させる仕立てになっています。ひとつの民話から、これだけ重厚な小説が書けるのだと、その手法に驚かされます。また、首のない鳥を弟と見立て、その翼からあふれる涙が「私」の体を濡らしていく場面は視覚として現代美術を見ているような感覚を覚えます。

日本文学全集で選者を務めた池澤夏樹さんは「このまま長編小説になりそう」と述べていますが、私も同感です。たしか村上春樹さんが、自分の小説の位置づけとして、短編小説は長編小説となるための実験的な場である、というようなことを書いていた気がしますが、『鳥の涙』はまさにそんな雰囲気を持った小説です。短編小説、奥が深い!


・津島佑子『鳥の涙』日本文学全集28 近現代作家集Ⅲ 河出書房新社 2017年 収録(『鳥の涙』の原本は1999年刊)

散歩で朝日を浴びる

2018-10-22 08:45:44 | その他
昨日に引き続き、今朝も天気がよい。天気のよい朝は散歩をするのに限る。太陽の光が暖かいし、秋のやや冷たい風は心地よいし、鳥のさえずり、虫の音に心が癒される。朝の散歩は脳の働きにもよいと聞く。

今年の私は、立場がやや上になって、中間管理職のような仕事をするようになった。これまで通り、自分だけの仕事に専念するというわけにはいかない。美術館全体としてどうしたらいいのか、ということも今まで以上に考える必要が出てきた。もともと要領の良くない私、そこに新しい立場の仕事が来る。そうするとどうしても元気が足りなくなってくる。以前、自律神経を悪くしたので、それが再発しないか、なおさら心配がつのる。

ストレスを上手に解消する方法として、私は散歩をこよなく愛する。自然のなかに自分が溶けてゆくような気がするから。積もる仕事も、なんだか大したことがないような気がしてくる。散歩のコツは、ゆっくり歩くこと、何も考えずに無心で歩くこと、コースを適度に変えること、この3つに尽きる。それだけでストレスが消えてゆくなんて、なんて贅沢な時間なのだ。

と、私は今日も休日の散歩に行く。さあ、今日もよい1日になりますように!

ハウフ『盗賊の森の一夜』1

2018-10-21 19:35:14 | 読書感想
どういうわけか、子供のころ、押入れのなかに豆電球を持ち込み、薄暗い明かりの中で漫画を読むという行為が好きでした(笑)それはたぶん、『ドラえもん』の影響があったのかもしれない(ドラえもんは押入れで寝てますからね)けれど、暗い空間のなかに独りいることがなぜか冒険のように感ぜられて、胸がわくわくしたのです。

ハウフの『メルヒェン集 盗賊の森の一夜』は、19世紀初頭のドイツを舞台とした物語。シュペッサルトの森のなかの旅籠(ネットでシュペッサルトを検索すると、今でも深い森が残っているみたい。昔はもっと暗くて怖いところだったでしょうね)で、盗賊の影におびえる鍛冶職人、錺職人、馬方、学生が寝首をかかれまいと、朝までめずらしい話を語り合うというメルヒェン集です。テーブルの上に置かれた、ろうそくの小さな明かりの周りに大の大人が4人が集まって細々と語る…そんな場面に私自身の子供時代がふいに思い出されたのです(笑)

話は二重構造。旅籠に泊まる男たちが襲われるのではないかというスリル、その彼らが交代で語る世にも不思議なメルヒェン。それがらせん状のようにからみあって、とても深みのある小説になっているのです。構成について、私は読んだことはありませんが、デカメロンの『ボッカチオ』と似ている?

今はようやく「鹿の銀貨」を読んだところ。メルヒェンはハッピーエンド、というわけでもなさそうで…もやもやする終わりではありましたが、軽るみのある優しい話に引き込まれます。

さて、明日以降は続きを読んで楽しみます。


・『メルヒェン集 盗賊の森の一夜』ハウフ作、池田香代子訳、岩波書店、1998年

羽をのばす

2018-10-21 11:12:59 | その他
今日は仕事が休みの日。温かい布団にくるまって、ゆっくり朝寝坊でもしようと思っていたら、朝の7時頃に寝室の窓にガツンと何かが当たる音がして目が覚めました。寝室は2階なので、まさか人ではないだろうと思っていましたが、カーテンを開けると、ベランダの床で1羽の鳥が座って苦しそうに鳴いていました。どうも飛んでいて、運悪く我が家のガラスに当たり、床に落ちてしまったよう。

私が鳥に詳しければ、どこか怪我をしているところがないかを見てあげるところなのですが、知識のない私にはどうすることもできず。ただ、羽ばたけずに鳴いている鳥を見ると、どうもかわいそうでしかたがない。ネットで調べると、どうも窓ガラスに当たった鳥は脳震盪を起こすことが多いので、ほっておくと良い、とのことだったので、心苦しくもそのままにしておくことにしました。

私は朝ごはんを食べ終え、着替えを取りに寝室へ向かい、そのついでに鳥の様子を見に行ったら、もうすでに鳥はいなくなっていました。フンだけを残して…(笑)のちほど調べたところによると、どうもガラスにぶつかった鳥はモズのようでした。間近で見たのは初めて。茶色い羽のかわいらしい鳥でした。今日は朝から衝撃的なスタートだったわけですが、まあ、鳥がフン(運)を落としてくれたことだし、何かいいことがあるでしょうか(笑)幸いにして今日は雲一つない晴天。鳥も羽を伸ばしたくなるわけだ。私も羽を伸ばしてゆっくり休むことにしましょう。