学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

職場体験、予算、展示エトセトラ…

2007-10-31 22:13:07 | 仕事
情けないことに今日もへとへとです。

職場体験で来た高校生は、大変にまじめで、キャプション作りや収蔵庫の整理など一生懸命やってくれました。さすがに高校生、私としては仕事が進んで大助かりです。

予算…。当たり前のことですが、予算がなくては展覧会もワークショップもできないわけで、そろそろ締め切りが近いため、来年度予算を算出しているところです。年々予算は少しずつ削られており(他の美術館では作品購入費がゼロのところもあると聞きました)、それは致し方ないにしろ、やはり展覧会にはお金が必要です。

展示、明後日からの準備で大忙し。予算との同時並行は大変!

仕事が山積みですが、明日も頑張ります!!

今日は何だか

2007-10-30 20:57:16 | 仕事
疲れ気味です。精神的に…。

対外交渉ばかりだったため、神経を使いすぎたのかもしれません。

身体的な疲れは、寝ればある程度回復しますけれど、精神的な疲れはなかなか取れないですよね。コンロ周辺に飛び散る油汚れの如し。(私の部屋のコンロ周辺はある程度…キレイです。念のため…)なかなか疲れはしぶとい!

明日は、例の高校生が職場体験に来ます。
今週は、毎日何かしらのイベントがあって、大忙しなのですが、火曜日からこの調子で大丈夫なのかしらん。

今週のプレッシャーと闘うためにも、今日は少し早めに就寝します。
それではおやすみなさい。

野外展示で記念撮影を!

2007-10-28 21:13:54 | 仕事
昨日、今日と当市の文化振興イベントがあり、美術館ももちろん参加です。

当館で行ったのは、木版画刷りの体験と野外展示です。

野外展示は、本物の作品を…と言いたいところですが、さすがにそうもいきませんので、当館が所蔵する作品を拡大した複製画を作り、それをイーゼルにのせて戸外へ展示したのです。たかが複製画、されど複製画。美術館の周りに配置するだけで、ここがアートな空間?に早代わり。なかなかどうして効果があるものです。

昨日は台風の影響で大雨、強風でいけませんでしたが、今日はとても良い陽気。見回りで外を歩いていると、家族連れが複製画の前で立ち止まっていたり、記念撮影をされている方もいらっしゃったり、とても好評のようでした。

この複製画、かなり重いので出し入れするのが大変なのですが、そのかいがありました!

不思議な夢の話

2007-10-26 21:26:08 | その他
不思議な夢を見た。

私はどこか真っ暗な空間を歩いている。どこへ向かうでもなく、ただぼんやりと歩いている。すると、目の前に紫の着物を着た老婆が現れた。左目がない。私は、その老婆がこの世の人ではないことをなぜか知っていた。老婆は私の前まで来ると、私の右手を両手でとって、強く握った。私は恐怖のあまり、声が全くでなかった。老婆は、私の右手を強く握ったまま、こんなことを耳元でささいた。

「あなたは旅が好きそうだから、ぜひ全国を旅するといい。そして、旅の経験を、正直な文章で紀行文として書いて欲しい」

そんなことを言うのである。私は相変わらず恐怖で声が出なかったが、了承すれば、この老婆が居なくなるような気がしたから、懸命に声を出そうとした。そしてかすかな声で「わかりました」と返事ができた。老婆は「よろしく頼むよ」といって私の前から姿を消した。

夢がさめて、私はがばりと上半身を起こした。あんな恐怖を感じた夢はなかった。少し汗をかいている。そして、右手に強い握力のかすかな残りを感じた気がした。私は老婆に約束をしたとおり、旅に出て、紀行文を書くべきなのだろうか。夢といえば夢であるが、どうにも気になって仕方がない。

職場のスタッフたちに話すと「意味深な夢だね」と言われ、親(たまたま電話がかかってきた)に話すと「紀行文を書け」と言う。書けと言われると、書きたくなくなるのが私の性分であるが、また老婆が出てきて、今度は約束を守らないとはどういう料簡かと怒鳴られるのもいやなので、とりあえず、どこか近いうちに旅をしようか。

そんな打ち合わせの出来事

2007-10-25 21:52:12 | 仕事
当館では、学芸員と木版画家が小学校へ出向き、版画の指導をする木版画教室という事業を行っています。毎年2校で開催しており、今日は残る1校との打ち合わせで小学校へ行ってきました。

時刻は夕方。小学生は帰りの会(懐かしい!)がすんで下校の時刻です。私は打ち合わせの予定よりも早く着いたので、正門の前で講師の先生をお待ちしていました。すると、校庭から小さな女の子が走ってきます。お互い「こんにちは」と挨拶、私はまた正面を向きなおしました。すると、女の子は、なにやら私に話しかけてきます。どうも上着を教室に置いてきてしまったそう。とってきておいで、と言うと、怖くて一人で教室へいけないから教室まで一緒に来て、との返事。それは出来ぬ注文なので、職員室へ行って先生と一緒に行っておいで、と言っても、いやだと言います。どうにもしかたなく、私はその生徒を連れて職員室へ行き、先生が教室まで付いて行ってくれるように事情を説明しました。打ち合わせ前に何ともほのぼのとしたお話。

それからまもなく講師の先生はいらっしゃり、打ち合わせです。来月から、早速指導の開始です。まずは再び作品鑑賞の時間。前回の経験をふまえて、しっかり取り組んできたいと思います。


漫画家

2007-10-24 19:56:18 | 仕事
今まで当館では、中学生の職場体験を受け入れていましたが、今年は初めて高校生も受け入れることになりました。今日は、その打ち合わせの日。

職場体験希望者は、女子生徒です。自己紹介カードに目を通すと、将来の夢はイラストレーター、または漫画家とのこと。美術館へ職場体験に来る生徒は、やはり少なからず美術に興味関心があるものです。「きちんと将来の夢を持っているなんて、とても素晴らしいことだよ。」と話をしたら、「やっぱり、夢を持たなくてはだめですよね。」と大人びた返事。とてもしっかりした生徒のようなので、仕事を一生懸命やってくれそうです。

さて、どうでもいい話ですが、私は一時期漫画家になりたかったことがありました。そうはいっても、今は昔で、小学校3,4年生の頃のお話。部活動でも漫画クラブに入っていましたし、家に帰っても自由帳に漫画ばかり描いていました。漫画の内容は、およそ小学生とは思えない内容。なんと織田信長の生涯!についてです(笑)何ともおかしな小学生でしたね。おかげさまで、今だに鎧兜や髷をゆった侍の絵を描くことができます。(全く何の役にも立たないですけれど)当時から歴史は好きでしたから、漫画にもそんな内面?が表れたんでしょうと自己分析をしてみます。そんな、どうでもいい話でした。

近頃、関心のあること

2007-10-23 21:36:34 | その他
近頃、関心のあること。

北欧。コーヒー。ロシア文学。教育。仕事。街の景観。哲学。蜘蛛。

とりとめもない単語が並ぶ。

この順番には何の意味もないと思う。

でも、ためしに何か意味を持たせてみる。
自己分析ができるかも。

「北欧」と「コーヒー」、「街の景観」は結びつきそう。
北欧の街並みと日本の街並みを比べたくはない。悲観するから。

「教育」と「哲学」
教育には哲学がなくてはならないもの。
「豊かになれば教育が下手になる。そして人は物を考えなくなる。」
大学時代の指導教授が言った言葉。

「ロシア文学」と「仕事」と「蜘蛛」
到底結びつきそうもないね。
ただ「ロシア文学」ではなく、「ドイツ文学」であったなら、ゴットヘルフ《黒い蜘蛛》で結びついた。惜しい。

そんなとりとめもない内容のブログでした。

木版画を作ってみました

2007-10-22 13:18:55 | その他
休日を利用して、久しぶりに木版画を作ってみました。まだ、試し刷りの状態なので、新聞紙に刷っています。

画題は、ご覧のとおり「獅子頭」です。芹沢介(せりざわ けいすけ)コレクションの図録から模写して版画にしています。

これから多色刷にする予定です。完成が楽しみ!!

ガルシン『四日間』を読む

2007-10-21 20:30:36 | 読書感想
人間は、戦地で瀕死の状態に陥ったとき、一体何を思うのでしょうか。故郷のこと、両親のこと、兄弟姉妹のこと、フィアンセのこと…。ロシアの作家ガルシン(1855-1888)は、一兵卒からみた戦争の苦しみを描いています。

主人公は、戦場において、いつの間にか自分が足を負傷して地面に倒れていることに気が付きます。目の前には人影らしきものがある。闇夜のためよくわからないのですが、朝になると、それが敵兵の死体であることがわかります。仲間の助けが来ないかと待ちわびる主人公、目の前の敵兵の死体は徐々に腐乱して、異臭を漂わせます。主人公の思考は、初めのうちは助けを求めることで頭が一杯でしたが、次第に自分と同じような状態にあって殺された子犬のこと、母親のこと、そしてフィアンセのことを想うようになります。

「さようなら、お母さん、さようなら、わが許娘、恋しいマーシャ!」

しかし、運命は彼を殺さなかったのです。負傷して4日目に、仲間から発見され、片脚を切断するも一命を取り留めるに至ります。

私は、この主人公の姿が、太平洋戦争における日本兵の姿と重なり合って見えました。あの戦争で、故郷や両親、恋人たちを想い死んでいった人たちは大勢居るはずです。それは「きけわだつみのこえ」を読んでみても、よくわかります。国は違えど、人間が瀕死になったときに考えることは同じよう。ちなみに、本の奥付を見ると、1937年発行とのこと。昭和12年ですから、太平洋戦争で亡くなった人たちも読んでいたのかもしれません。そう思うと、何ともいたたまれない気がするのです。