学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

いしる

2020-08-31 11:03:05 | その他
先日、両親から「いしる」という変わった名前の醤油をもらった。ラベルを見ると、能登産とある。ちょうど、じゃこ天を買ってきていたので、ワサビ醤油にして食べたら、烏賊の風味が加わって、すこぶる美味しかった。そう、この「いしる」は、烏賊を原材料として作る醤油らしい。だから、海の食べものとの相性がいいのだろう。

そういえば、7、8年前の秋の始めの頃、能登へ七尾城を見に出かけたことがあった。そのときは金沢から電車に揺られて向かった。事前の下調べはほとんどせず、現地で情報を得て、七尾城に登り始めたところが、ものすごい山道で、もう秋でだいぶ涼しくなってきたというのに、汗をだらだらとかいて本丸まで上がった。七尾城の本丸跡から地上を眺めたとき、船が行き交う海の景がとりわけ美しかったことを覚えている。かつてここを攻めあがった上杉謙信も、この絶景を見て感激したらしい。過去と今とがつながることに、私は何だか嬉しくて、城登りの疲労もどこかへ行ってしまい、しばらくその景色をぼんやりと眺めていた。

能登では食事をせずに帰ってきてしまった。たぶん、どこかの食堂へ行けば、「いしる」を使った料理が食べられたかもしれない。城へ夢中になりすぎて、食にまで関心が回らなかった。思い返せば惜しいことをした。幸い、我が家の「いしる」はまだ封を開けたばかり。あのときの能登の海の景色を思い起こしながら、食事に使っていきたい。
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クラシック音楽

2020-08-21 20:19:54 | その他
今は昔、大学4年の3月のことである。卒業を間近に控えた私たちに、お祝いの料理を振る舞いたい、と指導の先生からお誘いがあった。得意料理は豚の角煮と聞いて、食べ盛りの私たちはまったく遠慮もせずに、先生のご自宅へそろって伺うことにしたのである。

予想に違わぬ美味しい角煮をほおばっていると、先生のご主人が仕事から帰ってきた。ご主人はリビング奥の自室へ入ると、半分ほど戸を締め、厚めのジャケットを脱いでハンガーにかけている。私の父は仕事から帰るとすぐに床へごろりと転がるので、同じ男性でもずいぶん違うものだと思って驚いた。さて、軽装になったご主人は、次にオーディオのスイッチを入れる。すると、クラシック音楽が部屋中へ静かに流れ始めた。私たちの食事の邪魔にならない程度の大きさで。このとき、この家の生活にはクラシック音楽が根付いているのだと感じたのである。

それ以来、私は音楽のある生活に憧れた。縁遠かったクラシック音楽を聴くようになり、なかでもシューマン、ベートーベン、ヴァーグナーが今でもお気に入りだ。それらの音楽を聴いていると、あのときの食事会の仲間や、笑顔の先生とご主人の顔が目に浮かぶ。時間と音楽はつながっているようだ。私の幸福な人生の1ページである。
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メスキータ

2020-08-20 21:50:31 | 展覧会感想
ときどき、どう捉えていいのかわからない絵に出くわすことがある。栃木県の宇都宮美術館で見たメスキータの絵が、まさにそういう性質のものであった。

メスキータは、19世紀末から20世紀初頭のオランダで活躍した作家で、1944年にアウシュビッツ強制収容所で亡くなった。展覧会は、彼の木版を中心に紹介している。日本で木版、といえば、まず浮世絵があるし、メスキータと同時代なら新版画や創作版画があった。そういうものを頭で思い浮かべながら、楽しませてもらおうと思ったのだが、これが見事に失敗した。なぜなら、日本の版画を見る際の私の基準が全く当てはまらなかったからである。例えば、主題の扱いはどうか、彫りの巧みさはどうか、摺りの技術はどうか、そういう見方があまり通用しなかった。そもそも、この多くの絵を木版で表現しなければならない理由がどこにあるのか、という根本的なところまで考えたが、結局わからずに会場を後にした。

こうして家に帰り、メスキータ展のチラシを逆さにしたり、横にしたりしてみたが、一向にわからない。ただ、絵の残像だけが妙に頭に残っている。人間というのは面白いもので、物事に合点しなかったときのほうが気になるのかもしれない。気が付けば、この数日間、寝ても覚めてもメスキータのことばかり考えている。私に相当なインパクトを与えたことは間違いない。
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芋虫戦争

2020-08-18 19:04:18 | その他
事件のはじまりは、3週間ほど前だった。庭で草むしりをしていると、見慣れない昆虫がクチナシの周りをホバリングしていたのである。飛んでばかりで、一向に羽を休める気配がないが、細長い口のようなものがあって、体はやや薄緑がかっていた。どうも気味が悪かったが、人を刺す風でもないから、ほったらかしにして、その日は過ぎた。

数日後、クチナシの葉が芋虫に食われているのに妻が気づき、私に駆除を求めてきた(妻は芋虫が大の苦手なのだ)。芋虫を割りばしでつまみ、2、3匹を駆除したが、それ以来、ほぼ毎日のようにクチナシの葉にたかる。調べてみると、オオスカシバの幼虫であることがわかった。先のホバリングしていたのは成虫というわけだ。大きいものでは長さが5センチほどに達して、なかなか取るのも難儀する。一匹ずつ捕殺するしかないそうなので、朝、夕とクチナシのためにやむを得ず殺生する。1日で6、7匹は取れるだろうか。あまり気持ちのいいものではない。

芋虫との戦争をしているうちに、覚えたくもないのに、だんだんと捕殺のコツがわかってきた。まず、芋虫はクチナシの若い葉を狙うので、そこを中心に本体を探すこと。そして、捕殺のときには、一気に葉や茎から引き離すこと。相手は気配に気づくと、茎にしがみついて取りにくい。こうした私と芋虫との戦争を、妻は涼しい家の中から眺めている。元来は平和主義の私だから、1日も早くそちらの立場へ移れることを心から願っている。
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永井荷風『あめりか物語』

2020-08-17 20:05:40 | 読書感想
読みたい本を決めずに、書店や図書館をぶらつくことがある。目当てのものがないから、本の背表紙を目で追っていく。すると、ときどき面白そうな本とふいに出会う。最近では永井荷風の『あめりか物語』がそうだった。

この本は、荷風のアメリカでの生活が元になって書かれている。丸谷才一は『思考のレッスン』で、小説の文字と文字の間には社会が書かれていなければならない、と述べているが、『あめりか物語』はまさにそんな小説だ。アメリカン・ドリームなる言葉があるが、かつての日本人も夢を持ってアメリカ大陸へ渡ったのだろう。だが、現実はなかなかうまくいかない。小説では、アメリカの社会のなかで、必死に生きる日本人の姿が捉えられている。こうした主題を描こうとすると、作品自体が陰鬱なものになりやすい。だが、荷風は物語が暗い方向へ向かわないように、うまく操縦している。私が最も好きな場面は「六月の夜の夢」、すなわち最後の章である。まるで映画を見ているようだった。愛し合う2人が蛍が舞うなかを散歩し、そして遠くに光るサーチライトを眺める。ロマンティックという言葉だけでは語れない美しさがある。

大学時代、荷風の『ふらんす物語』を読んだのだが、だらだらと続くだけで、それほど楽しめなかった記憶がある。以来、私のなかで荷風は遠くに行ってしまった。だから、『あめりか物語』も実はあまり期待してはいなかったのである。だが、それを大いにひっくり返されたのだから、わからないものだ。こういう本との出会いがあるから、書店や図書館巡りは止められない。
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オタク

2020-08-16 09:15:03 | 仕事
新人のとき、事務職の上司から「学芸員ってのはオタクだね」と言われたことがある。学芸員、というと言葉はかっこいいが、その上司から見たら、私たちは絵に対してマニアックな知識を有するオタクにしか見えなかったようだ。

オタクという文言が、ネガティブな時代だったこともあって、その言葉に当時は腹を立てたものだったが、いまは妙に納得している。なぜなら、自分の好きな絵は何分でも見ていられるし、目当ての展覧会があれば遠くまで見に行くし、気に入った作家がいれば画集やカタログを買うという行為は、オタク以外の何者でもないからだ。私は自分の背負っている「学芸員」という看板が、やたら重く感じるときがあり、とてもしんどかったのだが、自分は絵の好きなオタクなのだと思うようになってから、そういう重みから解放されて心が軽くなった。

現在、新潟市美術館で式場隆三郎展を開催しているが、彼もまた文芸、美術、民芸など色々な方面でオタクぶりを発揮した。近代までの知識人は、こういう人が多かった気がする。このごろ書店へ行くと、自分の好きなことを仕事にしろ、という内容の本をよく見かける。それが必ずしも正しいこととは思わないが、好きなことに、とことん頭を突っ込んでいくエネルギーは、人生をさぞかし豊かにしてくれるに違いない。
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観察

2020-08-12 20:11:15 | その他
確かコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズの一場面に、ホームズが助手のワトソンに家の階段の段差がいくつあるのかを尋ねるシーンがあった。ワトソンが答えられないでいると、君はものを見ているだけで観察をしていない、とぴしゃり。

ステイホームのさなか、我が家ではNintendo Switch の「あつまれ どうぶつの森」がブームになっている。これは無人島暮らしを楽しむという内容で、とにかく自由度が高い。家を作ってもいい、釣りをしてもいい、海に潜ってもいい、花を植えてもいい、友達を増やしてもいい、つまり何でもできるのだ。そのなかに、美術品を扱うキツネがいる。キツネが売る美術品にはニセモノが含まれ、買う側は高精度の美術品の画像を確認し、それが本物か否かを判断して買う。これは実際にメトロポリタン美術館のデジタル部門が協力しているという徹底ぶりだから驚く。

仕事柄、私は妻にせがまれて、その画像を確認する鑑定士の役を担わされた。むろん絵画は百発百中の成績で、妻からは珍しく尊敬の眼差しを受けた。ところが彫刻になるとめっぽう弱いことが判明し、これまで2回もニセモノをつかまされた。評価を上げるのは困難だが、下げるのは簡単である。妻の眼差しがすぐに尊敬から軽蔑に変わった。これもまた、ものを見ているだけで観察していない証拠であろう。自分の不勉強を恥じる次第である。
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教養

2020-08-11 19:36:53 | その他
このごろ、書店へ行くと、「教養」の言葉をタイトルに付けた本をよく見かける。例えば、教養の文学というのがあって、読んでおいた方がいいという本の書名がずらりと並ぶ。また、あるいは教養の美術がいうものもあり、美術の歴史や主題、鑑賞のノウハウが書いてあったりする。

若い時分、私は知識不足のコンプレックスから、「教養」を身に付けたくて仕方がなかった。そうして文学、美術、音楽、映画、さらには科学の分野までありとあらゆる本を乱読したのである。ただ、ある時期から苦しくてたまらなくなり、すっぱりとやめてしまった。というのは、そういう行為は目的のないまま、広大な海を泳ぐようなもので、次々と押し寄せる波に呼吸が続かなくなってしまったのだ(私は完璧主義なところがあるせいかもしれない)。

先日亡くなった外山滋比古さんは『思考の整理学』のなかで、知識が多いだけの単なる物知りじゃいけない、モノを考えることこそが重要なのだと書いていた。私も同意見である。「教養」の本は、あくまできっかけとして使い、面白そうな小説があれば1冊でも手に取ってじっくりと読んで考えればいいし、興味を持った絵が1点でもあれば実際に所蔵館へ見に行くことが大切であろう。ありとあらゆる分野に精通するなど、人間の限られた時間のなかでは不可能である。なによりそういうことはインターネットが解決してくれる時代だ。広く浅く、ではなく、狭く深く、を私はお勧めしたい。
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お盆

2020-08-10 22:54:20 | その他
もうすぐお盆である。世の中を騒がせている新型コロナウイルスも、亡きご先祖様にとっては一向に関わりのない話であろう。いつものようにあの世から帰ってきて、いつものように戻ってゆくに違いない。

私の祖父は10年ほど前の夏に80年の生涯を終えた。祖父亡き後、古い写真がいくつか出てきて、それを叔父に頼んで見せてもらった。最も古いのは太平洋戦争の戦地で撮影されたもの、続けて帰国後に新築した家の前、そして新しく生まれた家族との記念写真など20枚はあったろうか。1つ1つ写真をめくるたびに、私の知らない祖父の過去が目の前に現れてきた。

祖父がどんな道を歩んできたのか知りたい。そこで私は親族へ聞き取りを開始し、さらに地元の町史・市史をひっくり返して、祖父の人生と街の歴史を重ね合わせた。すると、祖父の人生は大変なものだったことがわかった。幼くして母を亡くし、兄弟たち3人はみな子供のころに病死、そうして青年時代には中国大陸へ出征、無事に帰ってきたものの、戦後すぐに父を看取る。その後、米農家を継いだが、慣れない仕事のうえ、地域では水害が多くて、ずいぶん難儀したらしい。だが、新たに果物の栽培を始め、家計の収入の底上げを図る。

このコロナ禍の現状は精神にこたえる。だが、祖父はその生涯において多くの困難にあいながらも、父を通して命のバトンを私までつないでくれた。このバトンを私の代で落とすわけにはいかない。今年のお盆は帰省できないが、亡き祖父をはじめとするご先祖様への感謝の気持ちを、胸のなかに持ち続けて静かに過ごしたい。
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2020-08-09 21:06:24 | その他
夏も盛り。果物が美味しい季節である。店の棚にも葡萄や桃が並び始めた。果物はなかなか値が張るので、ふだんはあまり手を出さないのだが、あまりにも熟れて美味しそうなので、先日は桃を買ってしまった。

その桃を食べている最中、ふと、昨年の今頃に妻と山梨へ旅行に出かけたことを思い出した。『失われた時を求めて』のマドレーヌみたようなものだが、あの日は暑い一日のなか、駅前でワインを飲み、桔梗信玄ソフトを舐め、最後に桃パフェを食べた。2人そろって飲み食いを楽しんだ旅行である。それにしても、あのパフェの桃は舌が溶けるんじゃないかと思うほど甘くて柔らかくて美味しかった。以来、桃を見るとどうも食欲がそそられて仕方がない。私が買ってきた桃も大変美味しかったので、産地のラベルを見ると山梨県とあった。

私は東北の生まれなので、子供のころは福島県や山形県の桃を食べて育ち、そして今は山梨県の桃を手にしている。その私のささやかな夢は、岡山県の桃を食べること。岡山には桃太郎の物語もあるくらい、桃のゆかりの土地柄なのだから、さぞかし美味しいに違いない。新型コロナウイルスが落ち着いたら、いずれ夏の岡山にも行ってみたい。
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