学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

炎暑

2024-08-19 21:47:37 | その他
 今夏も35度近い気温が続き、我々は怠惰の誘惑にさらされている。常日頃、いかに精神を鍛錬しているかが個々に問われるだろう。酷暑、の言葉をテレビや新聞、雑誌で頻繁に見かけるようになった。暑さが酷い、とはよく言ったものだが、永井荷風の『断腸亭日乗』(岩波文庫、2024年)を引くと、彼はこういうときに炎暑の言葉を使う。燃え上がる炎のような暑さ。レトリックは言葉に一層の膨らみを持たせる。
 茨城県近代美術館のコレクションに安田靫彦の≪鴨川夜情≫(1932年)があって、この絵は、いつまでも眺めていられるほどの魅力を持っている。これは鴨川にかけた四角い縁台のうえに、髷を結った男性3人が座ったり、寝そべったりしている、ただそれだけの絵である。しいていえば、縁台の端に乱れず直立した瓢箪と盃、その下には静かでゆるやかな鴨川が流れ、ところどころ誇張された川原石が愛らしい。あとはぽっと照る提灯が描かれるのみ。画面の大半は余白がしめ、余計なものが一切ない。安田は、いわゆる歴史画を主題とした作品を数多く残した。だから、この3人も歴史上のある人物であることは間違いない。だが、彼らが一体誰なのか、そして、どんな関係性なのかを考えることは、もはや野暮でしかない。この絵そのものの魅力を楽しめばいいことで、それは、ゆたかな時間の流れに尽きる。江戸の趣味というものを、表層的に捉えたのではないところの。
 この美術館の北側には、千波湖がいつもゆたかな水をたたえていて、この日は暑いながらも涼を求めて多くの人が散歩を楽しんでいたし、美術館の中も子どもから大人まで多くの人たちが絵を楽しんで見ていた。湖の対岸には水戸藩主徳川斉昭の造園した偕楽園がある。偕楽園は、人が皆で楽しむ園と書く。実際、ここは斉昭の意向によって、武士だけでなく、庶民にも大いに開放され、多くの人がここで風流を楽しんだという。そういう水戸の精神のようなものが、この美術館にも息づいているように感じられ、また心持ちが良くなった。

迎え盆

2024-08-13 21:01:13 | その他
 両手いっぱいに黄や白の花を抱えた年配の女性と、おそらくはその娘、さらに孫らしい女の子が、狭い歩道を一列に並んで、暑さに顔をしかめながらもしっかりと歩いている様子を見かけた。今日は迎え盆。ご先祖様があの世からこの世へやってくる日である。
 子どものとき、お盆は必ず東北の両親の実家へ行って、墓参りをするのが常だった。みなで墓参りを済ませると、蝋燭の火の種を家紋の入った提灯にうつし、それを消さないように用心しながら家まで持ってゆく。それから仏壇の蝋燭にその火をうつし、これでご先祖様を家にお迎えしたことになるのだった。仏壇の前にはたくさんの料理が並び、祖父母、両親、親戚一同20人くらいが、一同に会食する。お酒も出たが、ご先祖様の前だからか、みなたしなむ程度。子どもながらにいつもの食事とは異なる厳かな雰囲気を感じていた。それが私にとってのお盆の光景である。今から30年近く前の。
 祖父母や親戚の多くがもう亡くなってしまったせいなのか、または社会人になって盆休みが無くなったせいなのか、あるいはそういう時代のせいなのか、季節と共にあったはずの年中行事から、年々縁が遠くなってしまっていて、ゆえに墓参りに赴く女性たちの姿を見かけたとき、今を生きている実感というものが心の中にこみ上げてきた。日常のなかで忘れられがちな、こういう「今」への感覚は大切にしてゆきたい。