学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

考えるのをやめること

2016-12-16 22:16:20 | その他
つい、このあいだ小峰城を観に行った気がするのですが、いつの間にかもう12月も半ば。今年ももうすぐ終わりますね。早いものです。年の瀬ということもあり、仕事でバタバタと忙しい毎日を送っています。

近頃の私が意識していること。それが表題の「考えるのをやめること」。正確にいえば、無駄なことを考えるのをやめること、です。私は元来考え込みやすく、空想にふけりやすい性格のようで、頭の中をどうでもいいことでぐるぐると考えては独りやきもきしているような人間なのです。

例えば、私は朝起きると今日は何か悪いことが起こる気がしてひとりでに気分が悪くなりえづくことがあります。電車に乗ってもそう。電車の中で気分が悪くなったらどうしよう、などと考えなくても良いことを考えてしまうのです。本当に馬鹿馬鹿しいことなのですが、そんなことを思ってはひとりで四苦八苦しています。

こうした自分自身の感情を何とか改善できないかと思い、さまざまな本を読んでは試してみたのですが、さほど効果は挙げられず。感情はコントロールできない、が私の結論です。ただ、仏教関係の本や横尾忠則さんの著作、今読んでいる箒木蓬生さんの『生きる力 森田正馬の15の提言』(朝日新聞出版、2013年)などを読んでみて共通することは、無駄なことは考えないほうがいい、ということ。どうもこれに尽きるようです。

効果があるのかどうかはわかりませんが、確かに無駄なことを考えないのはいいかもしれません。目の前のことに集中できる、といいますか。しばらく、これを実践していきたいと思っています。先に挙げた箒木さんの著作に、陶芸家河井寛次郎の言葉が引用されています。

「手考足思」

手で考え、足で思う。

余計なことは考えずに、まずは手足を動かして、毎日をしっかり生きたいと思います。なんか暗い話になってしまいましたね(笑)最近、私が考えていることを書いてみました。

小峰城、ふたたび

2016-12-05 21:31:53 | その他
先週の土曜日、からりと晴れたので、福島県の白河にある小峰城へ行ってきました。このあいだもここへ来たような、と思い、ブログの更新履歴を探してみると、たしかに今年の3月に小峰城を訪れています。あの頃はまだ寒かったですねえ。



平成3年、写真中央にある三重櫓が再建されています。手前側の広い空間には藩主が住む御殿があったとのこと。




小峰城から東を眺めた風景。手前側に石垣がありますが、かつてここには清水門がありました。さぞ大きい門だったのでしょうね。門周辺に柵がたくさん見られますが、小峰城は現在東日本大震災で受けた石垣を修復中なのです。この柵は工事のものというわけです。私は小峰城の本丸から白河の街を眺めるのが好き。古い町並みが目立つわけではないのですが、ぼんやり観ていると心が安らぎます。どことなく、私の故郷と似ている気がするのかも。



こちらは桜御門跡を下から眺めたもの。近くに桜の木が植えられていたのが門の名前の由来とか。



3月のブログにも書いたように、小峰城の石垣はひとつの生命体のように見えるんですよねえ…。



こちらは白河集古苑前の堀跡。当時は水堀だったようです。



小峰城を出て、東側に抜けるとJR白河駅。この周辺もかつてはお城で発掘調査で出てきた石垣を出来る限り残しています。これらの石垣は道場門跡。奥側がJR白河駅のホームです。

近くで街歩きマップを手に入れたので、ざっと観てみると、まだまだ街中には城の名残があるそう。いいですねえ。歴史の香りが残る街は大好きです。これはまた白河へ行くしかありませんね!白河ラーメンも食べたいし(笑)

夢のなかの女性

2016-12-02 23:07:06 | その他
夢の中で、私は床の間に布団を敷いて仰向けに眠っている。すると、右腕に腕を絡ませてきたものがある。皮膚と皮膚が触れ合った感触は、シワだらけでやわらかいものだった。私は心臓が飛び出るほど驚いて布団から飛び上がる。すると、目の前に包丁を持った骸骨が立っていた。私の右腕に腕を絡ませてきた相手は、この骸骨であったらしい。私がドタバタしたものだから、後ろのふすまから誰かが出てきて、なぜか骸骨を懐中電灯で照らし出した。すると、部屋のなかは稲妻が落ちたかのようにぴかりと光って、次の瞬間、骸骨は女性の姿に変わっていた。

彼女は若くて綺麗な着物姿の女性だった。髪の結い方や着物の着こなし、そして佇まいから、どうも現代の女性ではなく、明治か大正時代の古い写真に出てくる女性のような感じがした。手には相変わらず包丁を握っている。どうも私を刺す目的で持っているようなのだが、刺すことにためらいもあるようで、私が彼女の細い腕を掴んで包丁を取り上げると「いやだ、いやだ」と騒ぐ。

騒ぐ彼女を落ち着かせ、なぜ私を刺そうとするのかを尋ねてみた。すると、彼女はこんなことを言うのである。

「私はあの世の人間で、15歳のときに死んだ。このあいだ、久し振りにこの世へ来てみたら、あなたを観て好きになってしまい、あなたが死んでしまえば一緒になれると思った」

彼女はどうも幽霊だったらしい。好かれるのは嬉しいが、私はまだ生きている人間である。

「私はまだ生きている人間だからダメだ。あなたの住む世界には、私よりもずっといい男がいるだろう。私はあなたよりも年を重ねているし、あなたにふさわしい年齢の男性がきっといるはずだ」

夢の中とはいえ、説得力に欠ける言葉であるのは否めない…が、彼女は首を縦に振って納得してくれた。私は、せっかく私の夢に出てきてくれたのだから、お茶でもごちそうするよ、と言って、彼女を茶の間へ通したとき、彼女の体が再び光出して、一羽の小鳥に変わった。そして青い空に飛んでいったのである。私は広い空を自由に舞う小鳥をずっと見つめていた…。


…ここで、私は目が覚めました。目が覚めてから、布団のなかで夏目漱石の小説『夢十夜』の第一夜を思い出していました。寂しげなるロマンチック。夢か真か。